少々補足・修正します。
各藩の禄高は版籍奉還時に、これまでの表高から実際の収穫高にもとづく現米総額に改められ、その1/10が藩主の個人的な家禄と認められ、あとの9/10が藩運営の経費や陪臣の家禄にあてられました。
それ以下の陪臣については版籍奉還の時点ではいちおうは従来の家禄が認められていましたが、その後の経費削減で徐々に減らされていきましたす。
幕臣については徳川家が静岡に転封されたときに、静岡藩士になったり、朝臣になったり、あるいは武士を辞めたりしていましたが、武士を辞めたもの以外はもとの禄が5000石以上では350石といったように削減して家禄が与えられました。
ただ、すべての所領は政府に帰属し、知行取りもすべて蔵米支給に改められています。
しかしそれでも格藩の家禄の負担が大きいため、明治9年に秩禄処分が行われて30年分の家禄に相当する金禄公債が与えられてすべての家禄は廃止になりました。
お礼
御回答ありがとうございます。 そういう事なのですね。 1割が個人的な家禄というのは結構太いですね。 五千石の歴とした旗本も静岡では三百五十石の武士ですか… もっと家禄の低い旗本・御家人はさらに大変だったのでしょうね。