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人が生まれ、死ぬことの意味。

もうすぐ30歳になる者です。 最近、自分も歳をとるっていうことを やや実感しつつあり、親も歳をとって、そのうちおじいさんとおばあさんになって そして…と考えてしまいます。 もちろん、自分も友達も夫も いずれは歳をとって死んでしまう。または、若くして死んでしまうこともある。 せっかく出会えたのに、離れ離れになるということを 他の人はどうやって納得するというか克服するのでしょうか? 誰も克服なんて絶対にできないものなのでしょうか? 自分自信が歳をとり、いずれは顔がシワシワになったり腰が曲がったり、 思うように歩けなくなるということを、みんなはどうやって納得しているのでしょう。 それとも絶対に納得なんてできないものですか? それなら、どうしてこういうサイクルの元に生まれてきたのでしょう? 「どうして生まれてきたの?」なんて、小学生のような疑問で恥ずかしいのですが、他の方はどのように認識されているのか、どうしてもお聞きしたいのです。私自身は、今まで頭ではわかっていたつもりでも、理解はできていなかったように思います。たぶん今頃こんな疑問を持つ私は、あまっちょろいというか、苦労を知らないできたのでしょう。 でも、どなたか私に教えていただきたいのです。 将来、子供ができて同じ質問をされても、私は答えることができません。 すっきり理解できる日は誰にもこないのかもしれませんが、それならどうしてこのサイクルの元に…∞  まとまりのない文章で、申し訳ございません。 どうか、よろしくお願いいたします。

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  • siotan88
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回答No.13

 ふと、思いつつままに・・・。  このような素朴でいて難問に対して、古くから人間(ヒト)はその明解な解釈を求めてきたように思います。そして、現代も・・・。自然観・宗教・哲学などにその拠り所を探ってきたことと思われます。  私も幼少の頃、このことについて疑問を抱いていました。「なぜ、自分がこの世に存在するのだろうか?」と。よその家で赤ちゃんが生まれたのを知りました。自分はその赤ちゃんではないので、それを知ることができました。生誕後に徐々に大きく成長するにつれ、「なぜ、自分が自分なのか?」などと意識するようになりました。  生物(生命体)はまず永遠に不死であり、個々の生命体には死があります。これは、生命の形質を次世代にコピーしながら繁殖(繁栄)する主役である遺伝子には死というものがないと言うことです。遺伝子は生命個体を継いで生き続けているのです。絶滅したマンモスの復元計画は凍土地帯から発見された冷凍マンモスから取り出した遺伝子を使うものです。  私はこのようなことを知ってからは、幼少時からの疑問は多少気に ならなくなりました。これまでの皆さん方のご回答の内容には、それぞれ十分理解ができます。生まれてこのかた概念や理屈では理解しがたいことも、分からないまま、そしてこれからも生き続けていくことも大切であることに気づきました。

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回答No.5

 どんなに大切な人でも「亡くなる」という別れは平等に、必ずやってきます。確かにその時のことを考えるといたたまれなくなってしまうのは、どうしようもないことだと思います。  だから私はいつか来る「その時」に少しでも後悔が少なくてすむように自分にとって大切な人、両親や家族を精一杯愛しておこうと決めています。実際にはそれほど行動できるわけではありませんが気持ちの整理はつくかと思います。  どれだけ考えても明確な答えは出ないかもしれませんが参考になれば幸いです。

noname#65636
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は「その時」をおびえるばかりで 後悔しない生き方、ということを忘れていたように思います。 大切なことに気づかせていただきました。 ありがとうございました。

  • dozer
  • ベストアンサー率25% (5/20)
回答No.4

自分の子の幸せを願わない親はいないと思います。 ですから、もし生まれたことに意味があるとすれば、それは幸せになるためではないでしょうか。 毎日を幸せに生きていれば、たとえ体が不自由になったとしても今までの思い出がきっと糧になると思います。 いづれ死んでしまうのですから、全ては無意味に感じてしまうかもしれませんが それは死んだ後の自分が考えた場合の結論ですので・・・ それに、人に与えられた時間が限られているからこそ、今を大切にできるのではないでしょうか。 もしかしたら死ぬ事さえも、今を幸せに生きるための材料なのかもしれません。

noname#65636
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに、もし永遠の命を与えられていたら 今を大切にすることなどできないかもしれないですね。 美しいものをたくさん見て、幸せになるために生まれてきたのかもしれない、と思うことができました。 ありがとうございました。

  • kishigenn
  • ベストアンサー率28% (4/14)
回答No.3

この世には 生んでくれ と頼んで生んでもらった人はいません。よって 何で?と聞かれても 理由は有りません。私は個人的には 誰かは 過去に死んだ生物の生まれ変わりのような 気がします。  30過ぎると 加速度的に 時間が過ぎます。1週間はあっという間。一年もあっという間です。また10年くらいもあっという間。50過ぎたら 明日にでも死ぬような感じです。とにかく、楽しく人間らしく過ごすことが大切です。

noname#65636
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに、理由は誰にもわからないことなのでしょうね。まわりにいる大好きな人達を大切にしながら、楽しく生きていくことが大切なのかな、と思いました。 ありがとうございました。

  • geyan
  • ベストアンサー率32% (524/1592)
回答No.2

教えるなんてできませんが、私の考えている一端を少しだけ書きます。 「生まれる」ということは必ず「死」があります。 人は生まれてから死ぬまでがその人の「人生」です。 私は、「死」については、「納得」ではなく「受け入れる」という言葉がぴったりくると思っています。 いろいろな形での人との別れがありますが、すべて、どんなことでも、「受け入れる」しかないと思います。 「・・・しかない」というのは「あきらめ」ということではなく、そのことをどんなに信じたくなくても、どうにかして変えたくても、それが事実だからです。事実だから「受け入れる」しかないと思うのです。 「人生」は人間にしかありません。その「人生」をどのように生きるかは、その人に託されています。 ならば、私は「いい人生だった」と最後に言える「人生」を送りたいと思います。 では、「いい人生だった」と言えるのはどんな人生のことか。それについては長くなるのでここで止めておきますが、ずっと考え続けています。 あなたも、どうか、「いい人生」を送られますように。

noname#65636
質問者

お礼

ありがとうございます。 「あきらめるのではなく受け入れる」 まさにその通りですね… 今の私は受け入れられる自信が持てないのだと思います。もともと、喪失にはかなり弱い方です。 喪失は誰にとってもつらいことだとは思いますが、 少しでもつらくない方法があれば…などと 考えてしまいます。

noname#65636
質問者

補足

私も「いい人生」がどのようなものであるか、これから考えていきたいと思います。 本当にありがとうございました。

  • ioaaaoa
  • ベストアンサー率10% (171/1678)
回答No.1

人が生まれて、今生きているのは、いつか死ぬためですね。理屈では説明できないと思います。神様が人に与えた摂理(万象を支配している理法)。と私は考えています。とりあえず生きていれば、良きこともそのうち必ずありますよ・・前向きに。

noname#65636
質問者

お礼

ありがとうございます。 私自身、今が満ち足りていて現状を変えたくないという気持ちがあるのかもしれません。 自分自身が死にたくないのではなく、周りの大切な人を失いたくないという気持ちが強いです。 失ってしまったときに、うまく感情を処理できるのかと不安になります。 誰もが抱えている不安なのかもしれませんね。 確かに、理屈では説明できないことなのでしょう。

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