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罪滅ぼしとは?法的な意味とその意義について考える
- 罪滅ぼしとは、犯した罪や過ちへの償いや弁明の意味を込めた行為です。
- 法的な意味では、罪滅ぼしは刑罰や賠償などで行われますが、遺族や被害者にとっては納得がいくかどうかは個人により異なります。
- 一方で、罪滅ぼしは自分自身の心の軽減や成長、再発防止のために行われる場合もありますが、それが他人にとっても意味を持つかは議論の余地があります。
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確かに罪滅ぼしをしたとしても被害にあわれた方や、遺族の方々の傷が癒えるわけではありません。 罪滅ぼしとしてどんなに善行を積もうと犯してしまった罪は消えません。 本人の自己満足、その通りかもしれません。 しかし、その罪滅ぼしによって幸せになれる人も確かに存在するのだと思います。 犯してしまった罪が消えないのは本人が一番わかっていると思います。 しかし、だからこその「せめてもの罪滅ぼし」ではないでしょうか。 反省し、償おうとする。これは人間らしさではないでしょうか。 犯した罪をなんとも思わず、ましてや罪を重ねるような人間は、言葉は悪いですが腐っていると思います。 罪滅ぼしに償おうという気持ち、これは決して無駄ではありません。 罪を犯してしまったとしても人生は終わらないです。(死刑判決の場合その限りではありませんが) では、その後の人生をどう生きていくのか。その答えが「罪滅ぼし」ではないでしょうか。
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罪滅ぼしはあなたの言う通り、誰のためでもなく、きっと自分のためなんだと思います。 ですが、罪滅ぼしは自分のために行う行為でもありますが、その前には罪悪感があり、良心があり、申し訳ないと思う気持ちがあるのは確かです。 私は罪を犯してしまった人が開き直ったり、その現状から逃避しているよりは、少しでも行動に移そうとしている分マシだと思います。
お礼
コメントありがとうございます >私は罪を犯してしまった人が開き直ったり、その現状から逃避しているよりは、少しでも行動に移そうとしている分マシだと思います。 その通りだと思いました。 そもそも、逃避する人はまた同じことをくり返すと思います。 本来、そういう人に反省や「罪滅ぼし」をして欲しいのですが。
- fujitapari
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小父さんです。 私も、よく罪滅ぼしをして生きています。 殺人や傷害など大きな犯罪を犯す人は少ないでしょうが、法的に罪にならない程度の事は、皆さん経験が有ると思います。 「後悔先に立たず」と言いますが、大抵の事はその時に悪いと思わずに、あるいはつい出来心でやってしまうことが多いと思います。 そして反省するのは、それからずーっとたっての場合が多く、もうその相手がいない場合が殆どです。 そして、自分の考えや態度を改めるときに、過去に傷つけ迷惑をかけた人に、心の中で頭を下げるのは悪いことではないと思います。 残念ながら、それしかできないのです。 そして、世の中のすべての事が、このように改善されているのです。 「親孝行、したいときには、親は無し」とか「過ちて改めざる、これ過ちなり」という言葉も有ります。 先生でも、お医者さんでも、お母さんでも、みんな最初は初心者で未熟です。 失敗や不十分な行動で、相手に満足な対応ができなかったと思いますが、そんな経験をしながら立派になっていくんだと思います。 未熟な先生やお医者さんに当たった人は残念ですが、責められないですよね。 或る面、その人が、育てたとも言えますし。 恋愛でも、そうですね。 私も過去の女性の償いを今の妻にしています。 過去の経験が無ければ、妻にも今程優しくしてないと思うし、落ち着いた家庭は築けていないと思います。 何でも謝れば良いというものでは無いですが、その時その時に真面目に行動する気持ちが大切だと思います。 ある程度、失敗や過ちは許してもらえるという気持ちは、有って良いと思います。 そして、許して上げるという気持ちも大切と思います。
お礼
経験談をありがとうございます。 >残念ながら、それしかできないのです。 >そんな経験をしながら立派になっていくんだと思います。 >或る面、その人が、育てたとも言えますし。 これらのコメントから、被害者も必要経費?のような気がしてきました。 あるいは、そう思うしかないのかもしれませんね。人生のめぐり合いというか。 >許して上げるという気持ちも大切と思います。 自分には今この心が欠けていることに気がつきました。 人を許さなければ、あきらめなければ、幸せになれないという言葉も聞いたことがありますが、大切な人を殺されたりしても、許せるものなのでしょうか。自分には想像がつかないです。 みなさんの回答を読んで頭の整理ができました。私が納得いかない点は「違うことで罪滅ぼしをして全て無かったことにする」ということですね。 一生罪悪感にさいなまれながら改心したり、社会貢献する人にはまだ納得がいきます。
- akechanda
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「歎異抄」という本を読んだことありますか? 親鸞のお弟子さんの書いた本ですが、有名な親鸞の教え ー善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや- という文章があります。 善人が往生できるなら、悪人だってできないわけがない。 そういう意味です。 つまり、人殺しでも罪を悔いて償い、真の道を生きようと 気持ちを入れ替えれば往生できるというのです。 それはあんまりじゃないかと、当時も批判されました。 でもね、私、この言葉についてずいぶん考えたんです。 それで、今まで死刑制度は正しいと思ってきました。 ご遺族の気持ちを思うと、なければいけないと思ったんです。 今はね、死刑制度なくてもいいような気がしてます。 なぜかというと、人として、殺人者がもしも、生まれ変われる のなら、一人でもこの世から悪人が消えてくれるのなら、 それこそが、死者への供養ではないかと思うんです。 もちろん、生まれ変わることができない人の方が多いでしょう。 でも、可能性があるなら、死なないで、生きて、苦しんで、 変わってほしいです。 悪人というものは、時間の経過には耐えられない個性です。 必ず、滅びの道に入り込みます。 悪の限界を知れば、人は生まれ変われると思うんです。 悟りとはそういうものでしょう。 元カノさんへの罪滅ぼしに今カノさんを幸せにするって良いと 思いますけどね。ただね、棚ぼたにはなりませんよ。 今カノさんは、彼の罪を共に背負って生きる人になると、 私は思います。 彼が罪滅ぼしをするために必要な人間として、神様が今カノ さんにその大役をするよう白羽の矢を立てたと思った方が いいです。きっと、元カノさんの辛さは今カノさんが誰より 知ることになるはずです。 宇宙っていうのはね「オーダー(秩序)」の世界だそうです。 すべて、計算済みに上手く出来上がった世界だそうです。 だからね、一人が上手く行きすぎることはないように、 できてます。大成功して、ずっと幸せにやってる人は、必ず その分の負を当然の荷物として背負ってる人です。それを 不平も言わず、当たり前の顔してやってるから不幸に見えない だけ。 質問者さんが元カノさんなのか、今カノさんなのか知りませんが 幸福と言うのは、必ず、幸福に生きようと言う、強い意志だと 思います。 不平不満は自分の外側にあると人は思ってるけれど、実際は 自分の内側にある、というのは私の好きな作家の言葉です。 必ず幸せになってください。この世はそんなに不条理ではない ですから。
お礼
ありがとうございます。 >「歎異抄」という本を読んだことありますか? すみません。ありません。今回初めて調べさせていただきました。 >それこそが、死者への供養ではないかと思うんです。 そうなんですかね。ただ、悪人は死ねば良い、という安易な考えはあまり好きではありません。 生きて、改心する人はそれはそれで良いことなのかもしれませんが、死者(あるいは被害者)は本当にそれを望んでいたり、供養になるのでしょうか。 また、この例だと、悪人の改心のために被害者が生まれたような感じになってしまうのがどうも腑に落ちないです。 ただ、そこにこだわっていても仕方がない、ということですね。 この解答を何度も読んで、徐々に理解していこうと思います。 自分は元カノでも今カノでもありません。なんとなく実例がありそうな架空の例を作りました。 自分の経験から思い出してみると、自分は過去に数回貴重品を窃盗されたことがあり、驚いたことに、職場での盗難被害もあります。つまりは、私は犯人が誰か存じませんが、犯人は私の所有物と知って盗った確率が高いわけです。いわば、このケースだと、心を入れ替えたときに「私」に謝罪や弁償をすることも可能なのであって、改心後知り合う全く知らない人を「罪滅ぼしに幸せにする」というのはとても悔しい気がします。 他にも自分のものを盗った人が心を入れ替えて「あのとき盗ったサイフの罪滅ぼしでゴミ拾い」というのを想像すると、それで罪が消えたつもり?と、許せません。 おそらく、そのあたりが『不平不満は自分の外側にあると人は思ってるけれど、実際は 自分の内側にある』ということに関わってくるのでしょうね。 >必ず幸せになってください。この世はそんなに不条理ではないですから。 そう信じたいです。 そう信じられるようになったら、「違うことでの罪滅ぼし」に納得できるのかもしれません。
お礼
みなさんの回答を読み、自分でも思い直したことが1点あります。 わたしはきっと他のことで罪滅ぼしをして「全て償った」あるいは「無かったことにする、終わったことにする」ことが納得いかなかったんだと改めて思いました。 おっしゃるように、罪を犯しても人生は終わりません。罪滅ぼしをしながら、ときにはそれを一生背負って生きていくことが必要なのかもしれません。 それが本当の罪滅ぼしのような気もしてきました。