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僕は神経症だったのしょうか?
人と喋る事に対してものすごく緊張し何を話して良いのかわらかず顔が真っ赤になり大量の発汗。特に馴染みのある人より普段あまり喋らない人やリーダーシップをとる人や人を笑わせたりするような存在感のある人。それからクラスで授業中、変な体勢していないか、それによってクラスメイトに変な目で見られないか心配し、時にそれだけで赤面&発汗。消しゴムを落とした時、体をうごかすと注目されるのではないかと拾う事にとまどう。先生に回答を求められ指名されようものならやばいくらい発汗&赤面。その他数えきれません。 今はほぼ完治しているように思えますが、数年前こんな感じでした。当時は自分が単に変な性格なんだろうと思い込み、直したくて赤面&発汗しがらいろいろ試行錯誤していました。人と関る事ができないならあえて無愛想にして強がってみたりとか… 最近偶然知った神経症と言う病名(?)。症状が自分に似ているような気がしたので気になりました。質問させて下さい。 僕は神経症だったのでしょうか? 神経症に重い、軽いはあるのでしょうか? だとして、僕が神経症だったなら重い方ですか?軽い方ですか?ご回答お待ちしています。
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こんばんわ。 もともとの自分はこんなんじゃなかったという気持ちは良くわかります。 でも、今現在を見つめてみませんか。 falloutgirlさんとまったく同じように私も爆弾を拾いましたよ。ただ、人は二度生まれるといいます。 1回目が親の体内からでるとき、 2回目が大人になって外界(世間や他人ですね)との調整をはじめるときです。 そのときの調整がうまくいくかどうかです。 そのころに神経症にかかりやすいと何かで読みました。 18歳ごろで自意識が大人になるころ、 (中学校二年生頃だから早熟だったのですね) 外界との調整が気になりやすいか、なりにくいかの 違いはあると思いますね。 あなたが完全に治したいお気持ちが強そうだったので、 そのお気持ちにそって、下ではつたない自身の体験を書いてみたのです。 後天的であっても、まぎれもなくその症状は 現在あなたが感じているものなのです。 自分と切り離して考えるわけにはいきません。 症状は取り除こうとすればするほど、まつわりつくものなのです。 >神経症とは先天的に生まれ持った自信の特性、一部と考えてよいか 学者さんでもこれは断定できないそうです。 簡単にいうと、なりやすい性格はあっても、 環境によって発症しないばあいもありますから。 正確さを期するなら、本屋や図書館で調べるか、 心理学を勉強しているお友達がいたら聞いてみてください。 もっと重い病の研究でもはっきりした答えは ないのですから、仕方ないでしょう。私がここで安易には答えられません。 少しばかりの症状を気にしながらも、自分の生活を充実させることに 力点をおくのもいいかもしれません。 そして、治したいという気持ちがある限り、良い方向に向かいます。 これはドクターもおっしゃってますし、 いろんな本にも書かれています。 ニセ医者の私の憶測では、 オーソドックスな神経症タイプにお見受けしますので、 森田療法関連の本を一度読まれたらどうでしょうか。 (森田先生は日本で初めて神経症の研究を始めた古きよき時代のお医者です) 実は私にはあまり合わなかったのですが、 もしかしたら、このほうが真面目で粘り強いと 私が感じるfalloutgirlさんには 合う・・・かもしれません。 あまり答えになっていませんね。 試行錯誤する時間もまだあると思いますので、 神経症について、「本屋で」ある程度正確な知識を探されてはどうでしょうか。 そして自分に合う方法論を探すのです。 ネットの場合、私も含め時々個々の思い入れや体験が入ってきてしまい 参考にはなっても、その人に合わない場合もあると思えます。 「戦う」にしても己が今どういう状況にあるかわからないと 戦えないと思いますので、知識の量を本で増やして (すでになさっていたらすみません) 方向性を決めてからにされた方が、成功するにしても うまくいかないにしても、はっきりすると思えます。 再度の長文、失礼いたしました。お気持ちを少しでも汲めていたらよいのですが。
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少し気になったので、言葉の揚げ足を取るようですが 補足します。 >今こそ、神経症と対峙し勝負する時だと思います、徹底的に潰しにかかるべきです、神経少とは少なからず気持ちの弱みではないでしょうか、弱くては根本的に直らないと思います。 あなたがもし、定義どおりの神経症のような症状が 出ているとして、克服する道は「対峙し勝負する」 「徹底的に潰しに」という言葉とは反対のところに あります。たぶんかなり不服な気分になられる とは思いますが。 あなたが困っているあなたの特性の一部もまたあなたです。 当然、あなたの一部を自分でつぶすとバランスが狂いますね。 あなたが自分のことをどう思っているかは知りませんが、感受性が強く、細やかで、いろんなことを人より 気がつくという利点をお持ちなのです。 ご存知でしょうが、あなたの周りの「気のつかない」 「無神経」な人間をよく見るとわかるのではないでしょうか。 神経症は気持ちの弱みというのは、武士道のような 考え方をお持ちなので、かなり驚きました。 もしあなたが、自分の気持ちを鍛錬で支えられる ほどの心の土台と自信があるならば、 それもひとつの道かと思いますが、 すでに現在あなたの症状として 出てしまっているので、そこまでの土台はないのです。 もし仮に鍛錬で成功したとして若いうちはいいですが、 年を重ね、社会で何かストレスがおそって きたときに再発するのではと懸念します。 私個人の考え方としては、 1.症状を「自分の一特性、癖」として位置づける。 2.神経が細かいことを「よく気がつく」という 良きこととしてとらえ、普段から何かの役にたつように気配りという方向へ転換する。 3.無理に無神経な人の真似をしない。 4.しんどいときはしんどいと認める。 5.何かがんばれたとき、心の中で自分をほめる。 人間、一生いつでも強くいられるものではありません。 親兄弟の死、職場のストレス、恋愛。 そのたびに動揺し、ないたり笑ったりして 自分も努力し、また人に支えられて乗り越えていく のです。 >弱くては根本的に直らないと思います。 というよりは、一生を通じて強くなったり弱くなったり するだけです。それは個人差および個人の努力に負うところもありますが、 運命や環境によりどうしようもない場合もあります。 外では強く明るく見える人が、家では妻子を殴ったり して心のバランスを得ている場合もあります。 私は、神経症とあなたが思われている症状とあなたが 共存されることが一番の早道だと個人的には思います。 要するに自分と仲良くするのです。 あなたにあうかどうかはわかりませんが、 私は上記のように考えの転換を図ることで パニックを何年かかけてなくしました。 現に、今症状はほとんどないのですよね。 ・・・戦う必要はありません。 自分で自分の味方になってあげてください。 何か立派なもの、強いものになろうとするより、 自分でいることのほうがはるかに勇気のいることです。 それでは、失礼します。気にさわったらお許しください。
今その症状がほぼないのであれば、 もうあなたはそれを問題にする必要はありません。 内臓や整形の病気とは違って、 神経症などの病気は境界が非常にあいまいです。 なぜなら、実際見ることのできないものを相手に しているからです。 たとえば、あなたと同じ症状でもそのままで 気にせず生きていく人などは病院にいきません。 よって病気ではないのです。 気になって日常生活に支障が出て、病院へ行けば ドクターはなにがしかの病名はつけるでしょうが、 それは便宜上の問題で、人ひとりひとり症状が 細かく違います。一応分類は教科書を読めば書いて ありますが、それも便宜上のものです。 腕の立つドクターは一人一人オーダーメイドで 治療計画を立てます。それも相手と対峙しないと 診断してはいけないことになっているはずです。 ですので、あなたに会ったことのない、医師免許の ない私はあなたの質問に答えることはできません。 たとえば登校拒否の親御さんが受診すると、 医者もしくはカウンセラーは、親御さんを治療し、 本人を連れてきてください、というはずです。 日常生活に支障がでるほど苦しいなら、 1回病院にいかれたら良いと思いますが。 最後に、今ほとんど症状がないなら、こういうことに 興味をもたないほうがご自身のメンタルヘルスに よいかと思われます。 心の病を「深く」知ることは、実はあまり心の健康には よくないのです。ひねくれた答えですが、それが事実です。 本屋でその手の説明をしてある本でも立ち読みして、 自分はこれだったのかな?と思う程度にしておいてください。 どのみち、ここのカテゴリでは診断は禁止されていますしそれはドクターが判断することです。 症状が今ほとんどないならできるだけ楽しくすごされる ほうに目を向けるよう、切に願います。
お礼
ありがとうございます。 「今ほとんど症状がないなら、こういうことに 興味をもたないほうがご自身のメンタルヘルスに よい」そうですね、納得できます。神経症とはそもそも考えすぎる事によってさらに生じるものだと思います。 けどですね、あえて興味をもたないとは結局逃げてるんだと思います、確かにまだ神経症がバリバリの時期であれば余計に考え、悩むかもしれません、しかし僕にはだいぶ余裕ができました、今こそ、神経症と対峙し勝負する時だと思います、徹底的に潰しにかかるべきです、神経少とは少なからず気持ちの弱みではないでしょうか、弱くては根本的に直らないと思います。
- bo-suke
- ベストアンサー率23% (58/242)
精神病というのは社会的にどうしても適応できない時に使用する言葉ですので、おそらくその軽症ではあるかと思いますが、「まだ呼ばない」時点ですね。 そもそも精神病というのは、どうしようもなくなった時にお医者さんが「ドクターストップ」と宣言しているだけだったりします。別に異常でも何でもなくて、人間としては当然の現象なんです。ただ現代社会に適応できないだけのことです。そこで「人間としては問題ないけど、だからと言ってこのままでは生活に支障をきたす」として諌めるために「病気だ」と言うことにするんです。 ですから、現象としては神経症と一般に言われているものの軽度の状態だが、病気と呼ぶには社会適応能力が著しく損なわれているわけではないので、呼ばないし、異常でもない、といったところではないですか。 専門家じゃないので違うと言われるかもしれませんが。
お礼
そうですね、精神病とまでは言えなさそうです。 ただ精神になんらかの引っ掛かりがあったのは確かですね。ありがとうございました。
- giornom
- ベストアンサー率17% (13/74)
僕も一時そんなときがありました。 それで、これはまずいとおもい、いろいろと調べたんです。 今となっては詳しいことは憶えていませんが、それは神経症というものです。でも、思春期は誰しもそういった傾向があるようです。 あなたの神経症が重いか軽いかは判断しかねますが、僕は、神経症というのは病気というものとはまた少し違うものだと認識しています。
お礼
中学生くらになると女子と喋れなくなるって言う人たまにいますよね?それが強烈になり、人全体と喋ることができなくなったのかた推測しています。そうですね、「誰しもそういった傾向がある」とは僕もそう思います、僕みたいにはっきり症状がでるか気づかないほどであるか。後者がどんな症状であるかはちょっと説明しづらいですが笑 お返事ありがとうございました。
- dd-mac-w3
- ベストアンサー率35% (5/14)
神経症だと思います。 ですが気にする事はありません。どんな人でもそうですが自分で嫌になる自分の精神的な面というのは実は才能の種であったりするんです。 それをマイナスと受け止め、絶対に直せないと封印してしまっては宝の持ち腐れというもので、その欠点をどうカバーするのか、どうのように受け止めていくのかが今後の課題となるでしょう。
お礼
絶対に直せないと封印しようとしていましたが、それでは全然良くなりませんでした。徹底的に直したいです。カバーするのでもなく受け止めるのでもなく神経症を破滅させてやりたいです。自分の努力でなんとかさせようとバイトで接客したり、体育会系?の引越しのバイトしたりいろいろやってます。お返事ありがとうございました。
- aimaimi
- ベストアンサー率37% (196/519)
こんばんは、私も同じ様な症状が出ていたりしていましたよ。今は以前に比べれば大分良くなって来ていますが、ふとした時に症状が出る事があります。 質問者様と同じように極度の緊張や威圧感のある存在の人が傍に居るだけでも動悸がしたり赤面したり発汗があったりもしました。 私の場合は幼少の頃に父親から虐待を受けて育った事が原因だと自分では理解しています。 質問者様ももしかしたら何か過去に受けた辛い経験が原因かもしれませんね。 神経症にも色々種類があって、強迫神経症、対人恐怖症、不安神経症など。 症状も人それぞれで重症の場合や軽い症状の場合など個人差があるようですよ。 でも完全とまで行かなかったとしても症状と上手に向き合っていけば症状を軽減できるそうなのでお互いに頑張りましょうね。 下記に参考URLを紹介しますので一緒に勉強して克服しましょうね。きっと良くなると信じています。
お礼
ありがとうございます。 僕の場合特に幼少の頃のトラウマがどうとかいった事はありませんでした。小学校から中学校へあがったとき不良がたくさんいたので環境の変化に耐えられなかったかもしれませんでした。絡まれても結構反発していましたが内心ビクビクしていました。 HP参考にさせていただきます。
お礼
なるほど。しかし「あなたが困っているあなたの特性の一部もまたあなたです」これは確かではないと思います。神経症とは先天的に生まれ持った自信の特性、一部と考えてよいかどうかです。僕が発症したのは中学校二年生頃からでしたがそれまでは授業中もよくしゃべり、休み時間はギャギャーとはしゃぎ人目など気にすることはありませんでした。それがある短期間で神経症となってしまったのです。もともと神経症という時限爆弾産まれ持ったというより、たまたま運悪く神経症という爆弾を拾ってしまった、後天的に得てしまったモノだということです。前者であるならばTana_bata様のおっしゃる事は全くその通りだと思いますが、僕の意見についてはどう思われますか?