- ベストアンサー
綱吉
綱吉はなぜ仏教でなく儒教を奨励したの?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
仏教は宗教ですが、儒教は行動規範であり学問でした。また中国でも学問といえば儒教で、自然科学などは学問には入らず、士大夫の学問といえば儒教(儒学)でした。幕府の文教行政のトップの林大学頭ももちろん次学者ですし、綱吉のあとの家宣の学術・政治顧問ともいうべき新井白石も儒学者でした。 そういうことで学問好きの綱吉にとって奨励する学問は当然儒学でした。 これに対して、のちの吉宗は自然科学が好きでしたが、学問の顧問といえばやはり儒学者でした。
その他の回答 (1)
- Bird1979
- ベストアンサー率48% (114/236)
回答No.2
綱吉のころには幕政も安定し、いわゆる元禄時代という太平の世を迎えます。幕府の大名統制も、力による支配から、法秩序および仁・徳による体制の維持へと変化していきます。学問好きの綱吉にとっては、幕政や社会秩序の維持・安定の道具ともなる儒学はうってつけの学問だったといえます。 儒教は、身分秩序を重視し、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を修めることで、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを説きます。この五倫については、幕府の封建支配、および社会の秩序維持にとって都合の良いものでした。 したがって、幕府のみならす、各藩においても藩校を設け武士の師弟の教育に力を入れました。儒学の中でも、特に朱子学が重視され、幕府公認の学問(官学)となります。