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なんで軍人は爽やかなのか?。
戦時中の手記などがテレビで紹介されるたびに家族の事を案じ、自らの命を散らすことを爽やかに綴っている人が多いですが、どうしてそんなに爽やかなのでしょうか?。 私がその立場なら「誰がこんな戦争始めたんだ!。ちくしょ~、死にたくね~!。この戦争はじめた奴を死んで恨み殺してやる」という文章を書くと思います。 私の生まれた世代が戦争の無い社会を知っているからこんな考えなのかもしれませんが、美化は無いのでしょうか?。誰もがそれまでに憂国の精神を持っていたのでしょうか?
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いちおう職業軍人(将校)ということでいいますが、そんな軍人ばかりじゃありませんよ。 酒器名とが紹介されるのはそういう人ばかりでかつ美化されていますからそのように見えますが、他人に橋ねと命じておきながら自分は絶対危険なところには行かないという軍人もいましたし、足の引っ張り合いもあるし一般の世界と同じですよ。 日本の軍人は失敗しても責任を取らず同じ失敗を納戸もしてもこりなかったのもたくさんいますし。そのために多数の兵士を死なせましたが、戦後も堂々と生き残って自己正当化することばかりしゃべっていた高級軍人もたくさんいます。
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- phantom1
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手紙の場合は皆様の仰る通り、検閲に引っ掛かるので迂闊な事を書けなかったようですが、日記の場合には検閲は無いので、かなり赤裸々に心情を吐露する内容が書かれていたようです。 日本以外の各国の軍隊では、前線の兵士が日記をつける事は厳禁されていました。これは、万一捕虜になった際、日記の内容から部隊の行動等の軍機が漏れる恐れがあった為ですが、何故か日本軍の場合は日記が奨励されていたようです。戦陣訓の文言、「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」にあるように、兵が捕虜になる事を考えていなかったのでしょうが、これを知った連合国側では、捕虜から入手した日記を参考に日本人の心理、日本兵の本音を研究し、宣伝戦に活用したそうです。
- luune21
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手紙は検閲があるので「ちくしょ~、死にたくね~!」なんて絶対書けません。 手記に関して「爽やかに綴っている人が多い」という認識も違うと思います。「ちくしょ~、死にたくね~!」という手記もたくさんあります。私は寧ろ後者が多いと思うほどです。おそらく、そのテレビが「爽やか」なものを意図的に集めたものではなかったでしょうか。 こんな心理学の実験があります。犬をいじめる(棒で殴るなど)と逃げようとします。しかし、毎日殴りつづけると鎖をはずしてももはや逃げようとはしません。 人間でも家庭内暴力を受け続けている女性に「逃げたらいいじゃん」「離婚したらいいじゃん」ということを思ってしまいがちですが、実は"自主的"に逃げないのです。 こういったストレスに対して、人間の場合はさらに合理化しようとする心理機制も発揮します。命にかかわるほどの暴力をふるわれている子どもや配偶者の多くが「でもお母さんは本当は優しいんだ」とか「夫は良い人なんです。私がいないとだめなんです」などと語ります。 自分の体や心を犠牲にして奉仕したからには、その対象は良いものであるはずだ、という思い込みが生まれるのです。相手に尽くせば尽くすほど相手が好きになるという心理です。 戦争だって懐疑心がなくなれば、対象も自分も理想化しがちなんです。
お礼
なるほど~。追い込まれると防衛本能として、解釈を曲げるという心理が人間にはありますよね。 いわいる「こう思わないとやってられない」というのがもっと強い思いになった状況でしょうか。 悲しいですね、人間って・・・。
- kobarero
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物質主義」と「精神主義」の違いがあると思います。 現在は、アメリカ支配の下で「物質主義」が当然の世界ですが、戦前は、「物質主義」に明確に対置する形で「精神主義」が存在していたと思います。「物質主義」では、個人個人が、肉体的な危険や危害を受けることなく、物質的豊かさを自由に追求できることが、最重要なことと考えられますが、「精神主義」では、肉体的危険の回避や物質的豊かさは当然求められるとしても、それ以上に、「正義」、「道義」、「自立」などが、より高い価値を持つところが、「物質主義」とは違います。 例えば、戦前においては、「西欧列強が弱いアジアの国々を植民地にして搾取していること」は「悪」であり、これを排除すべく戦うことは「正義」であるという言説に十分力があったと思われます。また、「道義」という面では、個々人が自分ひとりの利益のために働くのではなく、「まわりのお世話になった人々や、自分を育ててくれた国家のために働くこと」が道義にかなうという考え方が広く受け入れられていた時代だと思います。さらに、「自立」という面では、「正義」や「筋」を通すためには、たとえ、命を失おうとも、断固戦いを挑むことが、敵の言いなりになって「生き恥をさらす」より、はるかに「美しい生き方」であるという価値観があったと思います。 そういうことで、戦前には、「精神主義」とう支柱があったので、内面的には「誰がこんな戦争始めたんだ!。ちくしょ~、死にたくね~!」と思わずに死ねる背景はあったと思います。ただし、もちろん、「精神主義」に徹底できず、矛盾と悩みと恐怖を感じながら死んでいった人々も多かったと思いますが、「精神主義」が社会の主流であった時代に、そのような内心の弱い心を暴露することは難しかったであろうと思います。 で、今はどうなっているんだ? という話にもなるのですが、ポスト・モダニズムで、「正義」「道徳」「真理」などは、ことごとく解体されてしまったので、今さら、組立直すわけにも行かなくて、と言って、一方で、そんなに物質的享楽と個人的利益ばかり追い求めていていいものかという反省も少しずつ生まれてきているといった感じではないでしょうか。
- tomichan
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教育・検閲・当時の経済状態などの背景。 教育。(宗教感も含む) 国の為・国体(天皇制)護持の教育。 現在でもイスラム教関係での自爆テロ。 戦争初期の戦死者のお墓。 (村の人が名誉の戦死として、お金を出し合って大きな墓石を建ててくれた。) *だから教育や宗教が間違った方向に行くと大変なのです! 検閲。 死にたくないとかその様な事書いたら? まず手紙は特高(特別高等警察)の検閲により家族に届かない。 上官や部隊にまた家族や親類に迷惑が及ぶ。 *だからマスコミ関係が検閲などにアレルギーの様に異常に反応する! あるとしたら帰還者に託し家族に直接手渡された手紙。郵便では難しい。 当時の経済状態。 五一五事件などの時代背景(農村の貧窮)。 戦争初期ならば志願兵の比率が多く戦局も優勢で戦死者が少ない。 終盤 徴兵者が多くなり戦局も劣勢に為るが検閲などが厳しくなる。 それらの手紙を文字通りに読んではダメです! (行間に何が隠されているのか判らない)
- zion
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フルメタルジャケットという映画があります。参考URLを見てください。 国、軍隊にとっては兵隊はゲームの駒、道具のひとつであり、戦争のために人間をどう一台の銃に変えていくかの「教育」をこの映画は執拗に描いています。 昔の日本は、国家総動員レベルで「教育」がなされて、自分の命を「道具」にすることが国、仲間、家族のためであるということに疑問を抱かないよう「洗脳」されていたのだと思います。 周囲の人から、戦争に行き、敵を倒してくれる(領土が広がる、お金がもうかる、みんなが喜ぶ)ことを期待され、それを信じて戦争に行く人に、「おまえ死にたくないのか」と質問しても殴られるだけでしょうね。 戦場で兵隊の判断が求められることはなく、「教育者」のいいなりで殺し、殺されるだけです。 戦死者の数は、戦争が終わったときの交渉の数字になりますから、国にとって戦争で自国民を何人死なせたかは大切な数字です。そう、戦死者はただの数字になるのです。 兵隊を教育する側は、そのことは分かっており、卑怯卑劣なことをした人もいるでしょうが、映画・ドラマでは、「洗脳」された人を描く方が「泣き」がとれて、観客動員・視聴率があがるからでしょう。 いま政府は、子どもをうまなきゃだめ、仕事をしなきゃだめ、税金多く払わなきゃだめという「教育」に励んでいますが、さすがに60年前のようにうまくは行きません。消費税の引き上げには成功しそうですが。
お礼
そう考えると自分の存在が「小せ~」と改めて実感しますよね。自分が死んでも国においては一人がただ単にカウントされるだけで。人の心に訴えることよりも真実に迫るリアルな戦争作品を知りたいですね。
- kikiki99jp
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そう書かざるを得なかったのです。 へんなことを書けば、家族および親戚一族に危害のおよびかねない悲しい時代でしたから。 かれらを美化してはいけないのです。ほんとうのことを書けなかった無念さを理解しなければいけません。 いま憂国だの愛国だのとさけんでいるひとこそ、有事になればさっさっとどこかへいってしまうでしょう。 過去の再来が近づきつつあるような気がするのは私だけでしょうか。 ちなみに自爆テロの手本となった日本の特攻のその仕組みを作ったひとたちは、戦後責任をとらず生き延びました。 特攻に志願したのではなく、志願させられたのです。戦争とはつねに弱者が犠牲になります。 爽やかだったのではなく、国や戦争を起こしたものたちに対する精一杯の抵抗だったのです。 憂国を感じていたとするのなら、無意味な戦争を起こした国や戦争指導者にたいする理不尽な行為に対して憂国を感じていたのでしょう。
- pyon1956
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検閲の問題、教育の問題、さらにある種の自己正当化(戦争は人殺しです)もありますが、最大の問題はそういう文書を私たちが読む段階で、取捨選択されている、ということです。 つまり「~の手記」というものはすべてそれを編集した人がいて、まず手記を集め、次にそのなかから編集意図にあったものを選択し、配列しますから、意図したかどうかにかかわりなくやはり編集者の意図にそった手記集になってしまう、という問題があるわけです。また、手記、というものはそれで構わないのだと思います。 ですが、それが全てを表すと誤解しないことが大切です。少なくとも検閲を恐れて文書を書かなかった人の思いは伝わりません。また、手記を保管した人が編集者にそれを渡すかどうか、と言う問題もあります。さらに読まれることを期待して書いた文章というものは、おのずから自己正当化がはいってきます。その段階で、普段思ってもいないかもしれない憂国みたいな文言がでてくることはありうることです。 誰もが憂国、というのはそりゃそういう時代だから少しは思っていたでしょう。そういう教育でもありましたし。が、それを書く段階ですでに普段思っていることと違う自分がクローズアップされるのではないでしょうか?何しろ、まともにかんがえたら「くだらない理由、理不尽にしななきゃならない事」が納得できるはずはないのだから。だからある意味既に自己欺瞞にはまっているわけです。
- alpha123
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手記や感想残して死ぬことができたのはかなり後期に徴兵された人でしょう。 「学徒出陣」は1943年です。それまで徴兵免除されていた学生が軍人になります。軍隊がいやだから学生していた人も多かったわけです。 彼らの一部は死にますがそれでも同世代の一般人よりは率でも数でも多く生き残り、戦後社会の中枢占めます。学歴とお金あることがありがたがれる時代です。サラリーマンの妻は掛け金払わなくても年金受け取れるのはそれで得する人が制度作ったからです(^^) 東大の教師の中には戦争終わったあと侵略戦争やっていることを知らなかった哲学教師がいたほど。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/gakuto/sub_gakuto.html わたしの子供のころにもシベリアから帰ったり、陸軍特務機関(いわゆる中野学校ね)の人でインドで英軍に投降した(帰国は戦後数年後)という人もいましたが小学生の取材には何もおっしゃいませんでした。ただのお百姓さんです。 当時発言したり記録残した人以外の証言は怪しいです。 当時の目撃証人消えてから突如「原爆被災者」になったり(差別があること、核兵器廃絶運動あることに背向けて家族にも話さずにきて、60年後に思い出したというより医療費無料の被爆者手帳ほしさのうそだと思う。元公務員教員なんかが他人の記憶利用して甘い汁すっています。)
お礼
ご紹介いただいたページは当時の画像がいろいろあってとても勉強になりました。というか、リアルに当時を感じる部分があって怖い気持ちに正直なりました。 子供の頃に大きな神社(どこか忘れた)に連れて行ってもらったときに片腕が機械で(近くで見てないので実際は定かでない)頭を下げながら軍歌を流し募金を求めている人がいたのですが、両親は「偽者かもよ」と冷たい言葉を放って、当時の自分は「冷たい事言うわ!」と思っていたのですが、もしかしたら両親も嘘の戦争体験を利用して甘い汁をすっている人に見てきた故に、そう感じたのかも知れませんね。 いやー、人間の表と裏というか、なんか悲しいですね。すべてが。
- nemosan
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>「誰がこんな戦争始めたんだ!。ちくしょ~、死にたくね~!。この戦争はじめた奴を死んで恨み殺してやる」 そもそも軍隊は暴力で思想を矯正する集団なのです。そんなことを口に出したり態度に表せば、速攻で殴られます。まして手紙に書けば拘束されますし、家族にも害が及ぶ可能性があります。 ちなみに、戦中は民間人でも隣人がスパイかもしれない!と疑うようにしむけられた密告社会ですから、誰も迂闊に戦争反対とは言えなかったと聞きました。
お礼
ですよね。ガンダムでも「修正」という名目で殴るシーンもありました。 戦争反対したなら即、非国民と詰られるわけですから。 ありがとうございます。
- HPLC
- ベストアンサー率22% (280/1224)
それはおそらく神風特別攻撃隊(特攻隊)の若い隊員の手記などではないですか? 昔は今と違って、真剣に真面目に生きていた人間が多いのです。 軍隊に入り、厳しい訓練で切磋琢磨された青年達は爽やかな凛とした人間が多かったと思いますよ。それに海軍の飛行気乗りは普通じゃなれませんから。きっと頭脳明晰で肉体的にも精神的にも鍛錬された素晴しい青年達であったと思いますよ。そんな青年達が自分達が死ぬ事を出来るだけ家族に悲しませないように書いたのではないでしょうか。本当は怖かったのだと思いますよ。それと男子たるもの死ぬのが怖いとは言えない思いもあったのだと思います。仲間や友人達がどんどん死んでゆくのですから自分だけ怖い、逃げたいと思うのは卑怯に感じていたのではないでしょうか。愛国心も相当あったのだと思いますよ。国とそこに住む愛する者達を守る為なら自らの命を散らしてもよい。その為には出来るだけ大きな戦艦や空母に体当たりしてそれを沈めたい、敵に損害を与えたい、と思っている若い特攻隊員も大勢いたのだと思います。
お礼
>>真剣に真面目に生きていた人間が多いのです それは事実としてありますよね。 国を想い、国の将来を真摯に考えていた若者が。 以前、当時の飛行機乗りになるための学校のカリキュラムが紹介されていましたが、すごいハードスケジュールで驚きました。 やはり、優秀で聡明な方が多かった、それ故家族想いで暖かい心の方が多かったように思えてなりません。
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お礼
やはり時代は変わっても同じ人間ですよね。 本当に悲しいですね。なんで戦争する必要性があったのでしょうか?。