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男女共学について
こんにちは。 近代では男女共学が主流になって、女子高、女子大というのはどんどん姿を消しています。 でも、私は男女を別の教育をするのもそんなにおかしくないと思います。 女性は家事や子育てをして、人のココロに安定をもたらす役割も担っていると思います。 最近キレやすい人が増えているというのも、食生活の乱れが関係あるという説もあるそうです。 家に一人必ず居てくれて、ココロを受け止めてくれる人がいて、体を健康に保ってくれる環境がある人が、いきなり人をブサッとやらないだろう と、思います。 今は、男性と同等の教育を受けても、結局どちらにもなりきれないポジションの人が結構多いと思います。 女子教育だけを受けていても、能力のある人は、自然に社会進出しているように思います。現に昔の人でも、作家さんやデザイナーにもそういう方がいるのではないでしょうか? 逆に共学でも、女性としての自覚がしっかりしている人もいるので、女子教育の場は、今のまま減らさなくても良いような気がします。 勿論、極端な時代錯誤などは、検討を重ねて変えていくことも必要だとは思いますが、、。 今は、核家族化が進んでいて、人生の女性の先輩に教わる機会が減ってきているので、学校という場でそういう場所を設けるのも一理あるようにも思います。 家族や社会の中で、女としてどう振るまうか、孤独に一人で開拓するのは、親も現代人で、核家族で、男女共学を受けてきて、そういうのが苦手な人にとってはかなり追い詰められた状況だと思います。 皆様どう思われますか?
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人間社会が稀薄になりつつあるのだから、余計に男女共学で早い段階から「異性」なる存在を学んだ方が良いと感じています。 女子校神話じゃないですけど、やっぱり何か違うなあって事はあります。共学にはない開放感があるのでしょうか?男子校はどうなのかしりませんが、女子校に通う女子生徒は共学の女子生徒よりも女性らしいのかと言うと決して当てはまらないなあと。女性が強くなったのか男性が弱くなったのかの議論を何処かに置いたままにして、女性の社会進出や女性の有るべき姿の幻想にばかり目がいくと、やっぱり大変な事になると思います。 私は教育については男女別でも共学でも構わないと思います。 結局どちらかになるのか・・、つまりおかしくなるかまっとうにそだつかは「教育」の箱選びではなく、どうやって育つかだと思うので、核家族だろうと現代人だろうと男女共学だろうとあまり変わらない気がしています。何時の世だって皆現代人ですよ^^;何が時代錯誤なのかもすでに定義が怪しいでしょう? 学校教育を考えるのも実際は家庭教育を考えると同等の次元でしょうからね。それが責任逃れに相手に罪をなすりつけ有っているだけのような気がしています。共学だからとか単一だからとか核家族だからとか、まるで悪者探し。イヤ、悪者を限定して排除するのも正義かもしれませんけどね。最終形態が本人の意志に有る限り、何処で育っても同じだと思います。社会生活が苦手だと感じる人にはどういう状況を作ってあげたにしても結果は同じだと思いますよ。むしろ「過程」の方が大事だと思うのです。 お釈迦様も言ってます。ごみためで生まれた白い美しい血統書のある象と、綺麗な御殿で生まれた醜い不満足な象とどちらを選ぶのか・・・・。どちらも象で有ることに変わりは無いのに、入れ物で選ぶのが人間のかなしさか・・・・。ここでの引用には間違いかもしれませんが・・・・。 自分を作るのは自分。だと思ってます。
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- 0913
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「女子校」「男子校」があることには私も異論はありません。 また、「共学」であってもいいと思います。しかし・・・、 >女性は家事や子育てをして、人のココロに安定をもたらす役割も担っていると思います。 最近キレやすい人が増えているというのも、食生活の乱れが関係あるという説もあるそうです。家に一人必ず居てくれて、ココロを受け止めてくれる人がいて、体を健康に保ってくれる環境がある人が、いきなり人をブサッとやらないだろう と、思います。 という意見を見て、内心「ゾーッ」としました。 私は女のおばさんで、高校は女子高でした。今はほぼ「専業主婦」で、確かに「家に一人必ず居てくれて、ココロを受け止めてくれる人がいて、体を健康に保ってくれる環境」を構成している人です。 うちの子たちは、確かに「今は」人をグサッと刺しちゃう人間ではないと思いますが、自分は自信ないです。 毎日の家事と子どもの世話と、「夫の世話」でストレスたまりっぱなしで、どうかなりそうです。「私は『人柱』か」っていつも心の中で叫んでいます。 キレやすい人間になるかどうかは、全く別の次元の問題です。「共学か否か」とはイコールではありません。 女性としてどう生きるかということも重要かもしれませんが、私には「人間としてどう生きるか」何よりも重要であり、「男か女か」という問題は、その人が「どんな個性」を持っているかということと同じレベルの問題だと思います。
お礼
>キレやすい人間になるかどうかは、全く別の次元の問題です。「共学か否か」とはイコールではありません。 回答ありがとうございました。 多分、今の世の中、外に出て持ち帰るストレスが尋常じゃないのでしょうね。 それを受け止め続ける家人の苦労は はかり知れないものでしょう。 それを聞くと、何もいえないのです。 ストレスがたまりっぱなしの状態で、実際どうにかなってしまう人もいるように思います。 その、「どうにかなってしまう」のを、防いでいるものというのがあるのではないのかな? と思いました。 家庭崩壊を防ぐ知恵というものが、そのあたりにあるように思います。 家は、どこでも何かしらあるものだと思うので、みんなそこを何とかやっていらっしゃるのでしょう。 学校でどうにかなるものではないし、質門内容は教育学上のアイディア的なものなのかなと思いました。
- rinring
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男女共学が増えているのは、学校法人側の経営戦略じゃないでしょうか? 少子化の時代に女子だけで学校を運営して行くのは難しいからと私は思うのですが。
お礼
なるほどですね。 また、共学のほうが、人気がある、、というのも経営戦略につながっているような気がします。 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。