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係り結びについて

『にや』や『なむ』の後の省略を埋めるという問題があるのですが、係り結びの省略にはなにかルールがあるのでしょうか。 『にや』の後は『あらむ』が多い。と古典の先生が言っていましたが、いまいち納得がいきません。 よく分からない文で申し訳ありません。よろしくおねがいします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tazuki
  • ベストアンサー率52% (18/34)
回答No.3

こんにちは。 係り結びの省略には、ルールというものは特にありません。でも、省略されるのには理由があると考えます。 「いちいち最後まで書かなくても、読み手に伝わる」 ということ。 例えば、 「人に聞いたのでは…」(人に聞きけるにや) という文章があったとします。私たちは「…」の部分を聞かなくても「ないだろうか」(あらむ)といった言葉がつくであろうことが想像できます。 古文でも一緒なんですよね。 省略されている「あらむ」の部分はいちいち明記しなくても当時の人々は容易に想像できるのです。 ルール、と強いて言うならば、「普通の人でも簡単に推測できるような文章が省略されている」ということでしょうか。 確かに「にや」には「あらむ」が省略されていることが多いのですが、文脈で判断するのが適当です。

yuzuen-yume
質問者

お礼

>>「いちいち最後まで書かなくても、読み手に伝わる」 なるほど!よく分かりました!! ありがとうございました!

その他の回答 (4)

noname#15943
noname#15943
回答No.5

 ここでの「にや」の「に」は何でしょうか。 たいがい、格助詞の「に」か、もしくは断定の助動詞なりの連用形「に」のどちらかですよ。  断定のなりは、「に・あり」からできただろうことは覚えていますか?  この・のところに「や」が入ったらどうなるでしょう。  に・あり。 → に や ある。 現代語でいえば、↓こんな感じですね。  何何である。  何何であるか。 ふつう、「何々であるか」よりは「何々であろうか」のほうをよく使いますね。  なり(にあり)。  →    にやあらむ。   何々である。  +疑問   何々であろうか。  こう考えると、結局「にや」の後に「あらむ」が省略されていることが 多いというのは、断定的に「なになになり。」と書かずに 「なになになのでは?(あるまいか省略)」なる文が多くあるといふことにや。

  • banzaiA
  • ベストアンサー率16% (100/595)
回答No.4

#3の方からの指摘のように考えるべきでしょう。 古文において、いえ、現代の話し言葉においても、省略が非常に多いですね。 古文において、主語の省略も多く見受けられます。 これらは、当事者間において暗黙の了解事項の内容の省略なのです。文脈や敬語から、主語は誰々であると推測できるように、結びの省略も推測できるものが省略されていた。そういう中で『にや』の後の省略は経験上『あらむ』が多く省略されている、ということだと思います。

yuzuen-yume
質問者

お礼

よく分かりました。ありがとうございます!

noname#107878
noname#107878
回答No.2

 『にや』の後は『あらむ』が多い.......と言うより、これでひとつの決まった言い回しだと思います。  「彼はまるで別人の」と言えば「ようだ」と自然につながるようなものでしょう。  『にぞ』の後が『あらめ』だってそうだし、こういう言い方はそのまま覚えたほうがいいと思いますよ。

yuzuen-yume
質問者

お礼

分かりました。よく出てくるものを覚えていきます。ありがとうございました。

  • hiuewabnx
  • ベストアンサー率11% (44/379)
回答No.1

>>係り結びの省略にはなにかルール ありません。 >>いまいち納得がいきません それは正四角形の角がすべて90度になることに納得がいかないのと同じではないですか。

yuzuen-yume
質問者

お礼

ありがとうございました。

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