天下普請で大名の財力を削ぐことができましたか。
天下普請には豊臣恩顧の西国大名の財力をそぐという目的もあった、とされているようです。
そんな目的もあったでしょうが、果たして大名の財力を削ぐことができたのだろうか、
また、大名にとって御手伝い普請(天下普請)は大きな負担だったのだろうか、と自問自答しています。
江戸城の第一次天下普請で石船の建造を命じられた大名28家は、天下普請に参加しながら地元では城郭の建設をもとより、城下町の整備、河川の改修、なかには寺社の修復などを行っています。
そこで、質問ですが
上記28家の大名の財力を削ぐという目的そのものがありましたか。
あったとすれば、目的を達しましたか。
例えば、もっと大きな城郭を建てるつもりだったが、カネが続かず諦めたというような例はありますか。
よろしくお願いします。