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手紙の書き方について
このカテゴリーの少し前の質問で「句読点を使わないのはなぜ?」というのがあり、それを見て思い出した疑問です。 同じ句読点でも、やや角度の違う質問です。 最近、ある先生から手紙をいただいたのですが、その手紙には句読点が一切打ってありません。 たとえば、こんな感じです。 (私の勝手な作文なので、内容的なツッコミはご遠慮ください) 拝啓 秋冷の候 ますます ご清祥のこととお慶び申し上げます 先日は 楽しい時間を過ごさせていただき ありがとうございました 久しぶりに…… ご覧のとおり読点はなく、普通それがあるべきところは約1字ぶんくらいの空白になっています。 句点も1字あきで、話題が変わるときは改行しますが、同じ話題の文が続く場合は改行もせず延々と続いています。 この手紙をくださったのは皇族も通う有名学校の国語の先生なので、日本語の縦書きの手紙の書き方は本来的にはこういうのが正しいのかな? と考えてしまいました。 そういえば、以前にある国文関係の大学教授から手紙をいただいたときも、このような書き方だったことがあります。 決まりというよりは作法の部類に入るのかもしれませんが、どなたか詳しい方、本来はこのように書くのが正式なのかどうか、解説いただけないでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
本来、和文の文章はながいあいだ句読点をうたずに書かれるのが通常で、句読点はその文章を読む人が解釈の助けのために加えるものでした。文章を書いた人本人が句読点を加えるのが一般的になったのは明治中期から(江戸時代から、作家の原稿に本屋が句読点めいたものを入れて印刷することはあった)で、日常生活では戦後のある時期まで手紙には句読点をうたないのが正式な書きかたとされました。たとえば現在でも表彰状には句読点を打ちません。やはりそれが(すごく古めかしい)正式であるという意識が残っているためです。 手紙ではこの風習もだいぶすたれてきましたが、たとえば香典返しの手紙のようなうんと正式の場合には句読点をうたずに作ることが多いようです。
その他の回答 (3)
もともと日本語に句読点はなかったわけですから、このような書き方は(一般社会おいては)正しいとか礼儀にかなっていないとかの問題ではないでしょう。 一種のこだわり、その人独特な書き方の問題だと思います。筆で書かれた縦書きの手紙なら現代でも普通だと思います。単に珍しい手紙を貰ったと喜べば済むことでしょう。
お礼
ありがとうございます。 一種のこだわり、ですね。 そういえば、文面とは関係なく、純粋にスタイルの面からみても、なんとなくみやびな感じを受けました。(ヘンな言い方ですが)
- Dauphin
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回答ではありませんが 鉄道ジャーナルという雑誌の写真のキャプションは やはり句読点を用いず 一文字分の空白にしています 以前から不思議に思っていましたが このような「表記法」があるのでしょうね 逆に教育勅語や終戦の詔勅などといった類は 句読点はもとより空白さえもありませんね
お礼
情報ありがとうございました。 キャプションに句点をつけないというのはわかるような気がしますが、読点をつけずに一字あき、というのもあるんですね。 もともと日本語には句読点なんてなかったみたいですから、由来的には「正しい」と言ってもいいかもしれません。 ただ、現代の手紙の作法としてはどうなのでしょうか? ご存じの方がいらっしゃったら、回答お願いいたします。
- kochory
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古文書にはもともと句読点はないそうです。 参考URLの、質問15をご覧ください。
お礼
ありがとうございます。 たしかに、古文の原文は句読点がありませんね。 由来的にはそのあたりの伝統から来ているのだろうという気はします。 現代における手紙の書き方の作法として、これが正式なのか略式なのか、どういう関係の相手には使ってもいい(あるいは、使うべき、使ってはいけない、など)というようなことをご存じの方がいらっしゃったら、引き続き回答をお待ちしております。
お礼
回答ありがとうございます。 詳しい解説をいただき、よくわかりました。 私も、深い内容のある手紙が書けるようになったら、ちょっと背伸びしてこのスタイルを借りてみようと思います。