ご質問がたいへん広範囲にわたっているので、染め関係でわかるあたりをざっとお答えします。と言っても私もあまりくわしくはないのですが‥‥
上流階級と下層民、また都市と農村においても大きく違い、さらに「流行」によって大きく左右されました。今の時代と異なることは、この時代の繊維・染織産業というのは国力を左右するほどのものだということ、あと衣服というのは厳格に身分の上下を表したものだったと言うことです。
山あいの方では毛織物、毛皮、そして中近東に近いほうでは絹織物、というのが大体のイメージになるでしょう。綿布はまだ後の話です。
●全体に(大ざっぱに言って)亜麻布はオランダ名産(下着などによく使われる)、毛織物はオランダ、イギリス、フランス、(特にフランドル地方)の名産、シルクは地中海に面したイタリアやスペインの名産。主に中世は、毛皮と毛織物の時代。毛織物にも上質から粗悪まで多くあり、農民などは粗悪なものを染めずに着ていたりもしていた。(染め物自体はよく発達していたので、染めたものを着ることも珍しいことではありませんでした)
●濃い色、鮮やかな色がたいへんもてはやされ、高価であった。さらに、繊維の深くまで染料がしみ込んだ色落ちしにくいものも高価であった。また、緑色は二度染になるため(黄色+青)、やはり単色に比べれば高価。色あいも暗く、不安定だった。
●中世ヨーロッパでは染物師は力を持った職人で、専門は細かく区切られ、赤の染物師と青の染物師は別である。さらに青でも大青やインド藍などではちがう、などのように非常に専門化されていた。
●媒染(色を鮮やかに出すため、また色止めの意味でも使う必要不可欠な薬剤)にはミョウバンが非常に多く用いられた。ため、ミョウバンは中世の大切な貿易品であった。(銅や鉄、錫などでも媒染できますが、一般にミョウバンがもっとも明るい色に出ます)
●十二世紀の流行:貝紫の染め(ビザンティン帝国からの輸入品)たいへん高価でしたが、後半にはほとんど見られなくなって高価な布の代名詞は赤となる。
●大青(藍を含む植物)が栽培され、青い服は安価だった(濃い青は別のレベル。これは赤と肩を並べるほど高価)
●十三世紀ごろから、スペインや南フランスでカイガラムシの赤がはやり、これで染めた毛織物がもっとも高価な布であった。(大量のカイガラムシが必要とされるため。安い赤は茜染で染めた。紅花がヨーロッパに入ったのは遅かったと思います)
●黒衣はそもそもきらわれたが、1350年ごろにイタリアで発令された「贅沢禁止令」によって黒衣が強制され、それによって美しい黒の絹織物の開発が進んだ。十五世紀には黒は流行色ともなって、黒自体の色合いのバリエーションも増えた。
●贅沢禁止令は十三世紀から十六世紀、特にフランスでくりかえし発令された。華美な服装を禁じて衣服による身分制を保持する目的のほか、たとえば敵国の布地や染織物が流行したとき、その貿易を禁じて金が流出するのをふせぐ意味もあった。(禁じることでかえってその織物の価格高騰を招くこともありましたが)
●十五世紀末まで、黄色い服は道化を除いてほとんど着られることがなかった。
●十六世紀後半以降にインドとの海洋貿易が確立されるまで、更紗などの色鮮やかな織物は少数しか入ってこなかった(藍もインドの藍染の方が色が美しく、あっというまにヨーロッパの産業を圧迫した。またインドは藍染料のみを固体にかためて輸出する技術も持っており_インド藍_、これもまたヨーロッパには大打撃でした)
染物商が染めたもののほかに、農民などは自分で野山でとった植物で染めたりもしていました。媒染には尿や灰などをつかったため色はうすくにごって、褪せやすかったようです。
個人的な考えでは、染めも織りもヨーロッパより東洋や中近東のほうがすすんでいるように思えます。同じ藍染だけとっても、日本の藍染の方が手が込んでいて技術が高い。以上、すこしでも参考になれば、さいわいです。