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ゆとり教育 大学はお咎めなし?
ゆとり教育で学力が年々下がり続けている。 昔は学力があった。 しかしその彼らも大学では勉強していない。 高校までは日本の学力は世界最高クラスなのに、大学で抜かれる。 抜き去られてしまう。 ・・・・。 大学では教育者・制度ともに学生の自主性を尊重するので、 学生時代のほとんどをサークルやアルバイトに費やして大学を卒業することが可能です。 もちろん自主性が尊重されて実際に結果を残せているのなら文句はないのですが、 英米の大学のように、 学校側から大量の課題を与えるタイプの教育制度の方が学生の学力は伸びています。 海外の大学に赴任・留学した教授や学生も 日本のモラトリアムな大学と違って、アメリカの大学では教師も学生も真剣で懸命だと評価も高い。 日本に来た留学生は「日本の大学生は勉強しない」と驚く。 大学の行き過ぎたゆとり教育は問題だと思います。 この意味では昔の学力があるとされている人達も学力不足にカテゴライズされます。 彼らが高校まで如何に猛勉強していたとしても、大学でそれ並みに勉強をしていないとするのなら、 「学力ある世代」も都合の良い作為的な編集による賜物でしょう。 それで、昨今叫ばれているゆとり教育による学力低下ですが、大学はお咎めなしに納得がいきません。 教員の覇気のない講義に失望した学生はかなり多いと思います。 「最近の学生は馬鹿だから大学でも高校と同じように教えられるものだと勘違いしている。大学の講義は盗むものだ」と 無名教授が偉そうに言っていますが、英米独仏の学生に「大学」で抜き去られていることを無視してはいけません。 大学生は伸ばすものではなく伸びるものだと考えるのはそろそろ改めた方が良いのではないかと思うのですが。 今回のゆとり教育の問題は小中高限定でがっくし。 日本の自主性を尊重した大学教育をどう思いますか?
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高校までの学校と、大学とではシステムが異なります。高校までの学校は、教員の評価があり、また指導要綱などでできるだけ均一・画一な教育をするという基本方針があります。そのため教員採用試験があります。 一方、大学では、大学の「自治」というのがあり、外部の評価を極力回避してきたという歴史があります。各大学の教育・研究については、均一性・画一性は求められていません。その結果、教員採用試験のようなものはありません。 独立行政法人化後、国公立大学は、教員評価制度を採用し始めたと思いますが、過去の歴史もあり急激には変わりません。教育面においても同じです。学生は試験で評価されますが、大学教員の評価(制度)は、まだ普遍化していないと思います。少し時間がかかると思います。 一方、大学教員にも問題がありますが、大学生の学力にも問題があります。これは高校の早い時期に「文系あるいは理系志望」を決めるため、必要科目を履修しないまま大学に入学する学生も数多くいます。そのような学生は、大学入学後、高校の先生にお願いして大学で高校の補習を行っています。これは、一部の私立大学と、国公立大学でも行われている実態です。このようなことは過去には見られなかったことです。大学進学率の向上とは相反する実態です。 大学の数は、増えましたが、大学の名前に相応しい大学は限られていると思います。したがって、外国の大学に匹敵する(対等に)ものは、多くはないと思います。すなわち、旧帝国大学、それに類似する大学(学部)ではないでしょうか。他の大学は、教育に重点を移した特色ある大学を目指すべきではないでしょうか。外国の大学に比較すると、日本の大学の講義は改善すべき点は多々あると思います。これは教員評価システムの改善と表裏一体の関係にあります。 話はかわりますが、小学校レベルでも不登校児が多いと聞きます。また中学生も同様と思います。また「よとり教育」もあります。基礎学力が、欠除しているという背景があります。高校からは義務教育ではありませんが、高校レベルでも歴然とした学校格差はあります。しかし高校レベルの知識が十分でないまま大学に進学できるというシステムがあることも事実です。学校経営が、教育産業の一環として「お金儲けできる」ということではないでしょうか。 入学基準を緩和しても、進級基準を厳しくして卒業を厳格にすることが、わが国では難しいのです。日本人の国民性かも知れません。この面では、世界の常識から乖離しています。定期試験だけで合否を判定すればいいのですが、追試験・再試験を何度もやり進級をさせないと教員評価が下がるという誤った風潮があることも事実です。このような風潮を考えると、結局、大学のランク付け(入学時の偏差値)をせざるをえないということではないでしょか。 重複しますが、大学卒業して「大卒」という学歴になりますが、学歴に相応しい知識・能力を備えているか否かは個人の問題だろうと思います。レベルの低い大学を卒業しても、卒後、努力して立派な社会人になっている方も多くいます。努力を継続している方が、一番ではないでしょうか。 教員も立派な講義をしないと、自然淘汰されるシステムに変化してゆくことは間違いありません。その前に、多くの大学が、入学定員を大きく割り、淘汰されてゆくことも間違いありません。世界と対等に付き合って行くためには、世界の大学と同じレベルの学生を輩出する必要があることは間違いありません。文科省も気づいていると思いますが、行動に移すまでには時間がかかるでしょう。
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- overtone
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難しそうな話題ですね。 (回答になっていません。申し訳ないです。) >大学では教育者・制度ともに学生の自主性を尊重するので、 自主性を尊重して、大学側が 手間や責任を回避しているだけのような気もします。 (自主性と言っても その 自主性が確立されていないので、勝手気ままになっている?) >教員の覇気のない講義 やっぱり 大学が手間や責任を回避しているからだと考えます。 大学生ですから、学校側や行政と 話し合うのが よろしいと思います。もちろん メディアをうまく利用して 行くのもよろしいと思います。 これは、高校生以下ではできないと考えます。 それが 本来の「自主性」と考えます。 ======== 何を書いているかわかんなくなっちゃいました。 ごめんなさい。
お礼
回答ありがとうございます! 行政、メディア・・。そうですよね、本当に変えようと思ったらここまで考えて行動していかないと駄目なんだと思います。 その意味で僕は口先だけでとても甘い。その通りです。 ただ本当に行動したら本末転倒なんですよね・・。 >何を書いているかわかんなくなっちゃいました それはまさに僕のことです。 しかも4時間もお礼書いたせいで日が暮れて洗濯物を干せず~。 貴重な日曜日が終わりました。
- hyolee2000
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大体、たいていの日本の大学は可山優三(かやまゆうぞう:優が少なくても単位さえ取れれば卒業できる)で卒業できるのも問題です。成績証明書から不可もご丁寧にもみ消してくれます。
お礼
回答ありがとうございます! 可山優三、面白いですね(笑)。 相当勉強しないと卒業できない。 学生の必死さに教員も答える。 そういう大学に行きたいものです。
- Bird1979
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1.「ゆとり教育」と現在の大学教育のレベル・学生の現状とは関係が無いと思います。 「ゆとり教育」が「学力低下」の元凶のように捉えられる昨今の情勢には少々疑問を感じています。 2.理由は「学力」の捉え方に違いがあるからでしょう。学力を「覚えている知識の量、問題を解く技術の習得」とするならば、確かに最近の子供の学力は低下しています。その点では、小中高の学習内容の削減や、授業時数減は因果関係アリ、と思います。 3.一方学力を「個人の人生や社会生活を創造し、個人および国家・社会を発展・向上させる能力のベースとなるもの」とみることもできます。よくいう「何のために学ぶ必要があるのか?」という疑問と関係すると思います。 2,3は教育の方法としては全く別と思います。2は「徹底したドリル・反復訓練」で可能でしょうが、3は(ちょっとオーバーですが)「精神・心の教育」だと思います。 したがって、私なりの結論ですが、現在の小中高、大および家庭教育も含めて「国家・社会の役に立つ人物になれ」的な学ぶ目的を説く教育があまりにも少ないことが問題かと思います。なぜ多くの学生が大学で勉強しないか、というと「大学に入る」ことが最大の目標だったからでしょう。これ以外の何ものでもないと思います。 大学教員のほうは、先の方々がご指摘のとおり、従来の大学教員の評価が「論文○本」くらいのものですから、かなり手抜きの教員も多いことは事実でしょう。 keizoku 05さんのおっしゃってる「大学生は伸ばすもの」は同感です。また「自主性」についても、(学ぶことにおける)自主性がない者に、「自主性を尊重」というのは「好きなことをやれ」に等しいと思います。しかしこれは、大学(教員)だけの問題ではないと思いますが。
お礼
回答ありがとうございます! >従来の大学教員の評価が「論文○本」くらいのものですから、かなり手抜きの教員も多いことは事実でしょう。 これですよね・・。 手抜き講義で学生の才能を伸ばさなくても 「私は研究者であって、教師ではない」なんてことがまかり通る。 院生ならともかく(←院生でもどうでしょう)初学者の学部生に言う言葉でしょうか。 外国ではこういう教員に対しどんな対応をしているのか気になります。 お礼開始から3時間で頭が・・。(no4の方へのお礼はヤバイっす。支離滅裂)。
- Reiher
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問題なのは学力そのものではなく学業に取り組む個々の姿勢でしょう。 昔は学力があると言った所で半ば強制的なもので姿勢そのものはそう変わりが無いでしょうね。 高校まで一貫して自主性を奪うのが今の教育の現状ではないでしょうか。 大学に入っていきなり自主性を尊重したところでそもそも学業に関する自主性は去勢されている人が大半でしょう。 これは大学を咎めればどうの、という問題ではないように思います。 まあ、どこを咎めてもしょうがないのですが。
お礼
回答ありがとうございます! 確かに大学で学生の自主性が活かされるするためには、それまでの過程での紆余曲折、試行錯誤、自問自答する日々が必要なんだとは思います。「お前はどうなりたいんだ?そのためには大学へ行くべきか否か。」との問いかけはすごく重要だと思います。大学入学を目的ではなく手段として据えることのできる人間であって初めて意味を成す自主性でしょう。 ただ、その大半の人ではない、自主性のある人間も僅かながらいますよね。大学で学ぶ目的も定まっている人が、専門の「基本」を学ぶべく出席した講義で悲惨な光景を目の当たりにする・・。 基本を体得してこその独創性で、基本をみっちり叩き込まれる前に自主性が尊重されるのは早すぎるのではと思います。 基本を叩き込まれても目標がしっかりしていれば自主性を放棄したことにはならないでしょう。 基本は大事です。そこは大学ですから教員がしっかりと教えるべきだと思います。 そこで大学の教員が、適当な学生ならいざ知らず、学ばんとする学生に失望されるのは問・・・。 ん~、何かが食い違っていますよね・・。 そして自分の質問とさえ乖離中の感あり・・ これからは質問文をもっときちんと書きます。 何をコメントしているのか自分で分からなくなってしまいました・・。
補足
補足ではなく訂正です(支離滅裂すぎてww)。全面訂正。 >大学に入っていきなり自主性を尊重したところでそもそも学業に関する自主性は去勢されている人が大半でしょう。これは大学を咎めればどうの、という問題ではないように思います。 まあ、どこを咎めてもしょうがないのですが。 僕はreiherさんの回答で1時間以上考えているのですが、なぜこれほど時間がかかるのか分かりました。論点がずれている。または僕の質問とは全然関係ない。だから噛みあわない。これが結論ですね。 (一応、reiherさんの論理なら大学を咎める事はできます。語るに落ちています。僕の質問とは関係ないですが。)
- denbee
- ベストアンサー率28% (192/671)
一応大学のフォローも。 第一に、大学は義務教育ではありません。勉強をしたい人間が自分でお金を払って行くのです。 そのお金を使ってどのような生活を送るかは払った人(=生徒)次第です。 大学にその生活を改めるような強制力はありません。 第二に、大学での学力は小中高での勉強の成果です。ここでの学力低下を 大学がフォローしなくてはならないと仰ってますか? そんなことをわざわざ大学にやらせるのは非常に勿体無いです。 (実際には、やらないと授業のレベルが維持できないためやっているところもあるそうですが、 これは本末転倒でしょう) 第三に、少子化時代+大学の法人化でどこも経営を考えなくてはいけません。 大事なお客様(=生徒)を蔑ろに扱うことはできません。 第四に、大学も文部省の方針に従わざるを得ませんでした。 (予算握られていたし) 大学での学力不足という現象は、方針に従った末端機関である大学ではなく、 その方針を打ち出した文部省が問われるべきものだと思いますが。
お礼
回答ありがとうございます! ?? すいません。何が何だか。 僕の文章も確かに悪いし酷いのですが。 >第一・・・ ?? >第二・・・ ?? >第三・・・ ?? >第四・・・ ?? 一応、denbeeさんは、ゆとり教育による中高の学力不足に対して僕が「大学にはお咎めなしですか」と言ってることになっていますが、質問では中学・高校の学力不足には一切触れていません(高校までは世界最高クラスと、むしろ肯定的です)。 大学です。この際、高校までの学力はトップクラスと仮定しても構いません。その次の段階です。 基礎学力がありやる気のある学生に対して大学は答えているかという。
- HIUMI
- ベストアンサー率45% (154/338)
それに関しては、私も同意します。 高校までは一応それなりにしっかりした教育は受けましたが、大学に入ってがっかりしましたね。それなりに都内では有名な大学なのですが・・・やる気はない、学生は参加しない、試験適当、単位取り放題。 ふざけてるのか?と思って同じくらいのレヴェルの大学に転入しました。 ・・・・大隈は、こんな大学を見たらどう思うだろうか。と思うくらい、もっと駄目でした。 盗むものなんて何もありません。何年も同じ授業、出欠も取らず試験のないものもある。 これは最早、ゆとり教育なんてものではなくて、単にやる気がないだけの給料泥棒に他なりませんね。 学生も、ワ~イ大学生だ、適当にやるぞ~程度にしか考えていないんでしょうね。どっちも悪いんですよ。 まともな向上心のある人間は、司法試験や公務員試験を目指してますが・・・・。 どっちも問題有り!私は・・・・金の無駄だったかな、と思いつつ公務員やってます。
お礼
回答ありがとうございます! どうしようもない学生ばかりが目立つのかもしれないんですが、必ずHIUMIさんのようにやる気のある学生はいるんですよね。 そのやる気のある学生の気持ちを汲んでくれる講義をしてもらいたいものです。 下に合わせるのではなく上に合わせて欲しい。もちろん素晴らしい講義をする教員もいるんですが。
お礼
回答ありがとうございます! >しかし高校レベルの知識が十分でないまま大学に進学できるというシステムがあることも事実です。学校経営が、教育産業の一環として「お金儲けできる」ということではないでしょうか。 字数制限を受けて削除したんですが、僕もそう思います。 <教授が最近の学生は学力不足だと嘆いていますが、経営や研究のためにも金づるとしては必要だから入学させているわけです。 大学側は学生の学力不足を無邪気に非難できる立場ではないのです。 基礎学力を欠いた人間が大学にいるのは、基礎学力を欠いていても入学できるからであり、何故入学できるのかというと基礎学力を欠いた人間を入学させる大学があるからです。 きちんと入学試験を受けて合格した学生に「学力不足」と切り捨てるとは、お笑い・・(略)> うーん、やっぱり何かを変えるには時間がかかりますよね・・。国家レベルならなおさら・・。