はじめまして。恐縮ながら回答させて頂きます。かつて、尾辻かな子が、早稲田大学で同性愛の歴史について講演していましたが、そのVTRが残っておりますので抜粋してお伝えします。また、テレビ朝日の時代劇で、男色ドラマの放送がございましたが、事実とかなり異なっておりましたので、構成してお伝え申し上げます。日本では、戦国時代はもちろんのこと、平安時代の初めから、性風俗が盛んでございました。現代で平安時代のような性風俗をすれば即刻逮捕でございますが、原始的な生活をしていた頃の日本の同性愛はかなり平和でございました。同性愛の歴史を知るために、わざわざ大学へ行く必要はございません。現在は歯科医師が同性愛について助言する義務がございますので、歯の治療をされる際に医師と話をされるのも、面白いかと存じます。日本では現職の歯科医師が同性愛問題の専務理事を担当しておりますのでHIVの指導をしている歯科へご来院頂くと情報を得られるかと存じます。管轄は、泌尿器科、精神科、大腸肛門科の男性ドクターが同性愛にはかなり詳しゅうございます。大腸肛門科で実際に聴いた実話を構成してお伝え申し上げます。急患が救急車で救急外来に運ばれてきました。患者は30代の男性です。症状は、海苔の佃煮の入っていた空き瓶を肛門に挿入したところ抜去できなくなり、緊急オペが必要な患者でした。患者は男性と肛門性交を妄想しながら、肛門に空き瓶を挿入しました。男性同士の肛門性交は室町時代から起源し江戸時代の中ごろまで続いたと言う記録がございます。しかしながら、同性愛に関する書物はほとんど残っておらず、伝説のみが生き残っている状態でございます。原因は明治時代の革命にございます。佛教伝来の書物、同性愛に関する書物は明治時代の初めにほとんどが焼却処分されたためでございます。竹取物語が書かれた後に、同性愛文化がかなり発展しました。当時は、一夫多妻でございましたので、性に関しましては奔放でございました。たとえば、現代語に、ヤバイ、と言う言葉がございますが、矢を射る場所の事を矢場と申し、この言葉が転じて、ヤバイと言う言葉が使われました。肛門性交がもっとも盛んだったのは、江戸時代の中期と言われていますが、実施には平安時代の末期から男性同士の色遊びが行われていた、と言う学説もございます。あまり、詳しい事は、ここでは申し上げられませんが、ピンセットで扱わなければならないほど、ぼろぼろの書物が奈良県に残っており、同性愛の歴史についても、詳しく書かれております。同性愛が下火になったのは大正時代の初めと言われていますが明治維新により、同性愛を禁止する法案が日本でもございました。原因は、外国からの、諸宗教伝来のためです。日本でも、同性愛が禁止される法律があったとは、甚だ信じ難い話ですが、江戸時代から続いてきた性風俗の乱れを改善するため、同性愛禁止令が一時発令されました。明治時代以前から人妻との不倫は処刑でしたが、同性愛に関しては何の取締りもなく無罪とされてきましたが、男性同士の性行為で犯罪者が出たりはやり病が後を絶たなかったので同性愛も処罰の対象となる時期も実際にあったのでございます。以上の話は、大腸肛門科の医師から実際にお聴きした歴史文化の同性愛の歴史に関する概要を述べさせて頂きました。以上の病院の医師に同性愛者がかなりの数存在しますので、ご参考頂ければ幸いでございます。長文、乱文、数々の失礼をお許しくださいませ。今後の研究材料にして頂ければ大変嬉しく存じます。最後までお読み頂きありがとうございました。
お礼
切り口というのは考えた事がなかったです。 挙げてくださった学部、どれも興味があるような気がしてきます^^;やりたいものが確実には定まっていないのかなと思い始めましたが 史学の、時代の風俗からというのが興味ありますね。 どちらかといえば、分野を専門とされる先生に師事したいと思っています。早速検索かけてみます。 ありがとうございました。