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キリスト教の女性蔑視

キリスト教は女性蔑視の宗教である・・・というような結論を望んでいるわけではありませんが、歴史を振り返ればそのような主張も説得力があるように思います。 ★クリスチャンの方は、出来れば聖句からこの問題を説明していただけないでしょうか。 ★クリスチャンでない方のご意見もお待ちしております。 今回もどうぞよろしくお願いします。

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回答No.11

   聖書の記述中に「女性蔑視」を示すようなものがあるのは確かですね。    しかしその多くは聖書の教えに基づかない不信仰な人々の言動が記述されているに過ぎないのではないですか?        聖書・神の見方は首尾一貫しているように思います。 *(出エジプト記 20:12) …あなたの父と母を敬いなさい… *(箴言 31:28) …その子らは立ち上がって彼女を幸いな者と言った。彼女を所有する者も[立ち上がり],これを称賛する… *(エフェソス 5:28) …夫は自分の体のように妻を愛すべきです… *(ペテロ第一 3:7) …夫たちよ,・・・弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい。あなた方は,過分の恵みとしての命を[妻]と共に受け継ぐ者でもあるからです。[そうするのは,]あなた方の祈りが妨げられないためです。    もし聖書中の「頭の権威」に関して(「女の頭は男であり」1co 11:3) 女性蔑視と感じるのであれば、創世記に記されている地球と人類に関する神の目的に留意する事ができると思います。    神の目的に関し、創世記 1:28には …「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ…」とあります。  これから増え広がる人類を、何の組織もせず、然るべき権威も据えずなすがままに放置するとしたらどうでしょうか? 神の統治者としての資質に疑念を抱くのではないですか?  むしろ神は統治者としてその分を果たされました。    神の定められた、最も基本的で簡明な組織の形態は コリント第一 11:3にある 「…すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です…」という原則です。    さて、ここで問題になるのが、神から与えられたこの権威をどのように行使するかということでしょう。  残念ながら多くの男性が、神とキリストの権威の行使の仕方に習わず、間違った仕方でそれを用いてきたのは事実です。    神は秩序のために権威を定めましたが、それを正しく行使する時、女性に不利益に働くどころか、女性を誉れあるものとし、敬意と慈しみをもって扱う存在となりました。    こうした点を考えるなら、キリスト教(あるいは聖書)が女性を蔑視しているという見方は当たらないように思います。

nicodemo
質問者

お礼

まず、大変お時間をいただいたことをお詫びします。 >神の定められた、最も基本的で簡明な組織の形態は コリント第一 11:3にある 「…すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です…」という原則です。 コリント書のこの部分は私の好きなところです。 キリストの体にクリスチャン全体をなぞらえて、キリストを形づくる・・・この表現には、クリスチャンでなくても感銘を覚えます。 そして、(クリスチャンの視点で)聖書を通読すれば、女性を蔑視していないと私も思います。 回答 ありがとうございました。

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その他の回答 (12)

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんにちは。クリスチャンではありません。 私は、イエス・キリストの教え=キリスト教ではないと思ってます。 イエス・キリストの教えを受けた弟子が、師の言葉を自分なりに解釈して、さらにその弟子に教えて・・・という、ある意味、伝言ゲームみたいな状態になります。 そして、一派の宗派をなすようになれば、教祖は神格化され、段々、超現実的な存在に作り替えられてゆきます。 これはキリスト教に限らず、あらゆる宗教に言える事でしょう。 キリスト教で言うなら、キリストの母、聖母マリア様は処女である、というのは、キリストを神格化する為に作られた話である事は間違えありません。 そのために、純潔性を求められ、処女懐胎という、生物学上、あり得ない事を言ってるわけです。 他にもマグダラのマリアの迫害?もどきの話他、いろいろありますが、全てキリストという人を神格化する為に作った話なので、現実のキリストという人からはかけ離れた話になってるはずです。 そして、長い歴史を持つ集団が、女性蔑視であったり軽視であるのは、宗教だけでなく、珍しい事ではありません。 古来、男性は、力で子孫反映に貢献し、その力ゆえに集団を支配するという形態が一般的でした。 その名残を留めているというだけの事だと思います。

nicodemo
質問者

お礼

素早い回答に感謝します。 >古来、男性は、力で子孫反映に貢献し、その力ゆえに集団を支配するという形態が一般的でした。 >その名残を留めているというだけの事だと思います。 ●これは、旧訳(ユダヤ教)の民族神のなごりということでキリスト教世界にそのまま当てはまるようにも思います。 >全てキリストという人を神格化する為に作った話なので、現実のキリストという人からはかけ離れた話になってるはずです。 ●私はどちらかといえばクリスチャン寄りの立ち場で回答するつもりなので、ちょっとプロセスを逆転させて頂いて(^^ キリストを神であることを裏付ける記述や教義が必要になることもまた当然であると思います。ただ、ご指摘にあるように、本来の教えから離れているのであれば問題ですね。 この辺のところにどのような回答が寄せられるか楽しみにしています。 ありがとうございました。

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  • nazokun
  • ベストアンサー率12% (14/109)
回答No.1

キリスト教に限らず、すべての神は民であるすべての我々に対して平等です。 そもそも、女性蔑視との考えにいたる、質問者様ご自身のお考えに、このご質問の本質があるのではないでしょうか?

nicodemo
質問者

お礼

回答に感謝します。 >キリスト教に限らず、すべての神は民であるすべての我々に対して平等です。 同意します。 にもかかわらずこの質問をしたのは、宗教としての教の部分がどのような問題を抱えているのかという事についてみなさまの意見をお伺いしたいからです。 神が女性蔑視をしていない=宗教が女性蔑視を行わないという結論にはならないのではないかと考えています。 ●そもそも1920年、アメリカで婦人参政・憲法修正により、 沈滞していたフェミニズムが、約50年後の第二次フェミニズム運動にで大きなうねりを見せた事実は宗教的土壌とは何の関係もないものなのでしょうか。 この辺のところも回答してくださる方がいれば嬉しいです。 ありがとうございました。

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