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キリスト教って…

ダビンチコード中での疑問を掘り下げるうちに、キリスト教って男尊女卑の価値観を持った宗教だと言う事が、なんとなく分かってきました。 マグダラのマリアを奥さんと認めたくないないとか、「父と子と聖霊の名の下に…」って母親は入ってないのね…みたいな。 こういうレベルでキリスト教の価値観を云々することはもちろん危険だと思うのですが、せっかくなので教えて下さい。 どうして、このようなキリスト教が世界中から支持されているのでしょうか? 特に女性の方の意見を聞ければと思います。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

 あくまで私見ですが、政治・権力に利用された結果、広く布教されたのではないかと思います。  信仰者は神に絶対の服従とも思える信仰をします。  また土着の宗教は邪教とされ、神々は悪魔とされました。  侵略も利権も神の名において選ばれた人によって指導された神聖な行為、、そんなイメージでしょうか?  例えば、十字軍の遠征です。  現在でも、戦地には神父が派遣されます。  キリスト教の教義について、意見できる立場ではありませんが、『博愛』という意味では、広く布教できる資質が有ったのだと思います。

nakata-san
質問者

お礼

キリスト教って侵略における一つのプロパガンダだったのかな… 軍隊が進行して、キリスト教でケアして新政府をたて、価値観を共有するとか… 回答ありがとうございました。

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その他の回答 (18)

  • bender
  • ベストアンサー率45% (108/236)
回答No.19

> 普通に考えて... どうなっちゃうのて感じしません? お祈りのときのことを話しておられるのであれば、お祈りは神さま対してしているので、その場合、神様を何と呼んだらいいかということを考えなくてはならないように思います。例えば、キリストが、「父と子と聖霊」といっている箇所もあるので(マルコによる福音書28章19節)またその他の箇所からも、それらはまあそういうものだろうと思えるにしても、「お母さん」なる神さまという箇所を僕はしらないので、お母さんを入れる余地はないように僕にはみえます。 ただ、だからといって聖書でお母さんがないがしろにされているということはないと僕は思います。というのも、新約聖書を見るまでもなく、旧約聖書にある十戒に(出エジプト記20章)、父と「母」とを敬うように書いてあるからです。

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考になりました。

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  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.18

聖書はその当時の歴史的な流れも反映しています。 だから多くの箇所では女性というものを排除されていますが、書いた人たちが政治的に権威を持っていた ために省かれています。もし認めてしまったらこの当時の考え方からして書いた人たちはこの世の中からいなくなったかも しかし、安心してください。福音書の中で女性は多くで出ていますよ。このあたりが面白いですね。 片一方で否定しながら裏では女性を前面にだしていますね イエスをどのように考えるのか? もしですよ。天皇陛下さんに聖書に書かれているような事があった場合、あなたはどのように考えますか

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 天皇陛下とイエスを比べた事がないので良く分かりません。 天皇陛下は日本人にとって、神に通じるものローマ法王に近いと思います。だから天皇陛下が奇跡を起こしたり、何かを解決したりはできると思っている人は少ないと思います。 でも、神様にはいろいろお願いしに行きますね。

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  • bender
  • ベストアンサー率45% (108/236)
回答No.17

> 下記のURL読んでみてください。 > http://okwave.jp/kotaeru.php3?qid=2166203 例えば、新約聖書エペソ人への手紙(エフェソの信徒への手紙)5章には、妻と夫、それぞれに向けてパウロが書いた部分があります。ここには妻が夫に従うようにと書かれていますが、夫に対しては、キリストが教会(信仰する人たち)を愛したように妻を愛しなさいと書いています。 ところでキリストは、他の人に仕えることの大切さを教えて(マタイによる福音書23章11節)、そして自分も弟子達の足を洗ったりして(ヨハネによる福音書13章)、ましてや、信仰する人たちのために十字架で亡くなった人なわけですから(少なくとも、この手紙を書いたパウロはそう主張しているのですから)、それらを踏まえて先のエペソ人への手紙の箇所を読むと、パウロが言っていることは男尊女卑とはずいぶん違う内容であるといえるのではないでしょうか(夫に、キリストが教会を愛したように妻を愛しなさいといっているのですから)。この箇所や聖書のその他の箇所から、僕は聖書の教えが男尊女卑であるとは思いません。 > マグダラのマリアを奥さんと認めたくないないとか、 そもそも、マグダラのマリアが「奥さん」であった根拠が弱いところを、ダヴィンチコードを読んだとたんに、聖書を読んだことがない人や、歴史を深く勉強をしたことがない人が、カトリック教会は男尊女卑だと考えたりすること、それこそがダヴィンチコードが問題になっている点ではないかと思います。 例えば、僕は、キリストが青森県に来たという言い伝えはとても認められそうにないのですが、青森や東北を差別しているからではありません。 >「父と子と聖霊の名の下に…」って母親は入ってないのね 聖母マリアも加えるべきだということでしょうか、それとも、誰であれ、ここに母親が入っていないのはおかしいということでしょうか?あるいは、誰かが勝手に母親や娘を抜いておいたということでしょうか。 僕は、この質問は軽薄などではなく、誠実な質問だと思うのですが、信じている人にとってキリストがどれだけ大切な存在であるかということには触れられていないことを考えます。一般的に言っても、自分にとって大切な人がスキャンダラスに扱われたり誤解されて見えることは、とても残念なことなのです。

参考URL:
http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/biblevlist.php
nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 いろいろ参考になりました。 「父と子と聖霊の名の下に…」は、この後お祈りでアーメンに続くわけですけど普通に考えて「父と母と子と聖霊の名の下」と言わないとお母さんの祈りはどうなっちゃうのて感じしません?

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  • baritsu
  • ベストアンサー率10% (40/366)
回答No.16

ちょっと横道にそれますが、仏教にも現代の人が見たら男尊女卑といわれて仕方の無い部分があります。 例えば女性は男性に生まれ変わることで救われるといった部分などです。女性のままでは救われないわけです。男性になって始めて救われるというのはかなり差別的です。 いかに素晴らしい宗教でもある程度時代背景というものを逸脱できないのは仕方が無いというもので、男尊女卑が当然という時代の中で女性でも救われる可能性があるとしただけでも当時としては新しかったのではと思います。 キリスト教の場合も同様だったのではと推測する次第です。 あとマグダラのマリアを奥さんと認めたくないのは政治的な理由ではないでしょうか。

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 「男尊女卑が当然という時代の中で女性でも救われる可能性があるとしただけでも当時としては新しかったのではと思います。」 これって調べてみないと良く分かりませんが、他の宗教より鼻一つ進歩的だったのかもしれませんね! でもマグダラのマリアを奥さんと認めない政治的配慮って何なんですかね…

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  • kurupin
  • ベストアンサー率24% (125/511)
回答No.15

 聖書はお読みになったのでしょうか?私にはダビンチコードがキリスト教を学ぶ上で参考に値する代物であるとは思えません。娯楽としてとらえればそれなりに楽しめますが使い古されたトンデモ説をこじつけたフィクションを取り上げて「キリスト教」=「○○」と結論付けるのは早計かと思われます。カンヌでの試写会が示すとおり、それなりに研鑽を積んでおられる方々が観れば鼻で笑ってしまうような内容ですから。「月刊ムー」を真剣に映画化しているようなものです。 >じゃあ何故宗教は男尊女卑なんだろう…?  「結果的にそうなった」としかいいようがありません。他の方へのお礼でご紹介頂いた過去質問も拝見しましたが、まず歴史というものを現代の価値観のみで考察すべきではありません。「男女平等」とか「ウーマン・リブ」という理念は比較的新しい思想です。当然、宗教の黎明期にはそのような考え自体がまだ生まれていません。  つまり「階級」や「民族」による「地位」はあっても「男性の地位」とか「女性の地位」いう概念自体存在していなかったのです。そも「人権」なる概念が生まれたのもフランス革命以降ですから当時の人々がそれを意識できたはずがありません。ですから逆説的に言えば「男尊女卑」という概念も当時は存在すらしていなかったことになります。

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 聖書は読んだ事ありません。スイマセン。それでこんなことを質問するなんて軽薄だとは思うのですが、ちょっと引っかかってしまったので…

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  • riehana
  • ベストアンサー率28% (14/50)
回答No.14

こんにちは** 私はクリスチャンです^^ さて、最近Gooでもダヴィンチ・コードに関する質問が多いですよね。映画の宣伝も毎日のように見ます* 映画の中で描かれているイエス様、またはクリスチャンの思想等は、あくまでも、レオナルド・ダヴィンチという人が残した絵を元に作りだした、聖書とはかけ離れたものです。 ダヴィンチ自身が異端者、反キリストであったことは、広く知られていることです。 彼はイエス様を侮辱する絵を数多く残しています。 最後の晩餐に描かれた人がマグダラのマリアなのかどうかは分かりません。もし、マグダラのマリアだったとしても、それが=イエス様とマグダラのマリアは夫婦。という証拠にはなりえません。イエス様が生まれたのが2000年以上前。ダヴィンチが描いたのは500年程前ということからも、あの絵はダヴィンチの想像で描かれたものです。聖書の中にもマグダラのマリアという女性は出てきますが、イエス様と夫婦であったという言葉はどこにも出てきません。私はもちろん、クリスチャンは聖書に書かれていない以上、イエス様が誰かと結婚していたとは思っていません。 父と子と聖霊の御名によって・・・。という父は神様ご自身を、子とは神様の独り子であるイエス様をさしています。ですから、人間の父や子を指した言葉ではないんですよ^^ 女性を軽んじる。という考えは人間自身が作り出したもので、神様のお考えではないと思います。 聖書にはそのようなコトバ、考えは見当たりません。 私の周りにも、ダヴィンチ・コードに惑わされ、間違った理解をもってしまっている人が多くいます。本当に危険な映画・本だと思います。ダヴィンチ・コードの全てが間違いだとは思いません。しかし、99%の真実の中に、1%の嘘が入ってしまえば、もうそれは真実とはなりえません。 日本のクリスチャンにはもちろん、海外、特にヨーロッパ等(カンヌ映画祭)でも、ダヴィンチ・コードは真実ではないと批判(失笑)されています。 このような映画一つで誤解を招かれてしまうことは本当に悲しいことです*** どうか一人でも多くの方が真実に目を向けてくださいますように・・・・。 (かなり映画に対する批判めいた書き込みになってしまい、失礼いたしました。)

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございます。とても参考になりました。 あの~一つだけいいですか…? 僕はダビンチコードの中の仮説マグダラのマリアがキリストと結婚していたという仮説にバチカンとかキリスト教信者の方が反応されることが良く分からないのです。 もしキリスト教が人間の真理をといているなら、キリストが結婚して子供を作るというのは、逆に良い事だと思うのですが…

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  • budouzuki
  • ベストアンサー率18% (4/22)
回答No.13

>ダビンチコード中での疑問を掘り下げるうちに、キリスト教って男尊女卑の価値観を持った宗教だと言う事が、なんとなく分かってきました。 これは間違えです。少なくてもイエスは男尊女卑では無かったです。 当時男性は些細な理由で離婚することが出来ましたが、イエスは女性の側からの離婚も出来ることを示しました。(もちろん離婚できる理由は些細な物ではありませんが、それは男性側から離婚する場合でも同じでした。) 更に一番最初に自分がメシア(キリストと同じ意味の言葉です)であることをはっきり明らかにしたのは女性でした。 また復活した時も最初にお会いになったのは女性でしたし、その女性たちに他の人に自分が生き返ったことを話すように指示しました。つまり女性を証人として用いました。当時一般的には女子供は証人として認められていない中でイエスのとった行動は異例でしたが、女性を一人の人間として尊重していることを示したといえると思います。 詳しくは聖書を調べてみることをお勧めします。

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考になりました。

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noname#63726
noname#63726
回答No.12

キリスト教が男尊女卑など思った事も無かったです。 この質問で、他の方から見たらそう思えるの?と初めて知りました。 映画はまだ見てませんが、これから見る予定です。 家はプロテスタントなので、カトリックのバチカンは関係無いです。 私の教会の先代牧師さんは女性です。 何と表現した良いかわかりませんが、カトリックほどマリア様を崇拝はしてないです。 私の場合は親が終戦後まもなくキリスト教徒になったので物心付いた時からその宗教だったと言う感じなので特に意見などは無いです。 映画も小説もまだ見てないのでわかりませんが、イエス様とマグダラのマリアが登場する時代(イエスが生きていた時代)はキリスト教ではなく、ユダヤ教だったはずです。 ユダヤ教が極端な教えだったので(ひどすぎる?)、イエスの教えがユダヤ教では異端だったので、やがてユダヤ教からキリスト教が出来たのです。 上手く説明できないので聖書を読むか、聖書の解説本を読んだりすると理解できると思います。

nakata-san
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考になりました。

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回答No.11

 キリスト教の一部は、時の権力者の手により書き換えられた感じがします。例えばキリストは12月25日生まれではありません。ローマ皇帝が12月25日と定めてしまったのです。  真の聖書も時の権力者に都合の悪い内容は削除されているのかもしれません。  少なくとも戦争で戦う兵士に正当性を与えるために、利用されている事は事実です。

nakata-san
質問者

お礼

なるほど…キリスト教は戦争における正義だったわけだ… これは分かりやすいですね。回答ありがとうございました。

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  • imp-dsc
  • ベストアンサー率25% (57/222)
回答No.9

最初に断っておきますが、私はダビンチコードは読んでもいないし観てもいません。 男尊女卑ということですが、何も最初から人類社会がそうだったと必ずしも言えません。歴史時代(文字の発明及び記述開始~現代)以前はむしろ母系社会だと言われている位です。これの逆転現象については諸説あるようですが個人的には食糧生産革命(農業)が大きいと思います。 現実的に考えて農業は確実に格差を作ります。例えば肥沃な土地と荒地。良く働く人とそうでない人。これらは必然的に経済的な争いから軍事的な戦争へと発展するケースが多かったでしょう。事実日本でも弥生時代の集落は要塞に囲まれており墓は戦死者と思われる人も葬られているケースが多いことでも分かります。そんな状況で一つの集落(街・国)の指導者は灌漑等の土木事業の監督・為政者・神官としての資質が問われます。これらの役割は性別で差は出てこないのですが軍事面での司令官としての役割も求められてくると圧倒的に女性は不利になるでしょう。恐らくはこうした事情も一つはあると思います。 キリスト自身はそうした社会で生きています。その頃のユダヤ人社会は外国人・子供・女性・障害者・病人は差別の対象であり、救われるべきではないとされていました。 彼が真に偉大なのは数々の奇跡を起こしたのでは無く、そんな時代のそんな場所で従来救われなかった人達を気にかけ、愛し、新たな権威で救っていった事がある意味一番の奇跡なのかもしれません。そんな彼の生き方に共鳴したのが原始キリスト教団なのではないのでしょうか? もっとも後世のキリスト教会は布教(というよりもサバイバル)手段として政治に深く関与するようになり男尊女卑を道具の一つとして自らの権威を確立していった為に変貌を遂げたのかもしれません。 とは言え、歴史以前の母系社会の名残はキリスト教でも見られます。例えば聖母マリア信仰や聖人信仰は原始ヨーロッパの宗教的考えが取り込まれた結果なのだそうです。これは布教を広める際に信者を獲得するにはある程度彼らの習慣を取り入れた方がスムーズに進むと判断された為です。キリスト教は他にも割礼を強制しない・ある種の偶像崇拝(教会のキリストやマリア像)と言った事で敷居を低くする柔軟性があった事も信者が広まる要因でしょう。

nakata-san
質問者

お礼

「救われなかった人たちを救った」と言う事と「男尊女卑」を一つの道具として権威を確立したと言うのが矛盾していて。良く分からなくなってしまいます。 こういう理解ならなんとなく分かるのですが… ものすごく乱暴なんですが「もともとキリスト教も、他の宗教に勝るような教えはなかった。ヨーロッパと言う勝ち組に乗った事と、類まれなる柔軟性を持っていたから結果として世界に広がった」 そんな所でどうでしょう…違いますか?回答ありがとうございました。

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