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なぜ教会には十字架を掲げてあるのですか?
突然不思議に思いました。ほとんどのキリスト教系の教会は、キリストを処刑した道具である十字架をその象徴として掲げています。礼拝の場所にもそれを置き、身につけているクリスチャンの方もいらっしゃいますね。凡人であるわたしからはとても不思議です。わたしなら自らが愛する者を処刑した道具など憎くて目にしたくもありません。教会がこの十字架を掲げる意味、またクリスチャンの方々が十字架を身につけたりすることの意味を教えてください。
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キリストは「私に従いたい者は自分の十字架を背負ってついてくるがよい」と弟子たちに言ったそうです。 そして今、十字架を首からさげる者は多いが、背負う者は少ないそうです(皮肉な意見でスイマセン) クリスチャンが十字架を飾ったり、身に付けるのはキリストが(本来罪人が処刑される道具としての)十字架で処刑された事によって自分を含む全人類の罪の身代わりになってくれた、という信仰を忘れないためです。しかもキリストは復活してますので、質問者さんのように目にしたくない、訳ではないのですね。 ちなみに、江戸末期から明治初期に海外に視察に行った人の教会の感想:西洋の寺は死刑場のようだ、磔(はりつけ)台を正面に飾っておる(!) もう一つ補足:キリストが十字架で殺された罪状はローマ帝国に対する反逆罪としてです。(当時のユダヤ人社会での死刑は石打刑といって石を投げて殺すものでした。だからキリストがそっちの刑で死んでいたら今頃世界中の教会は石を屋根に飾っていたかもしれません) さらにもう一つ補足:#5さんの回答にもありましたが古代社会において+マークは呪術的なシンボルマークとして使われていました。世界の中心を意味する物としての意味です。
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- katyan
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聖書は次のように書いています あなたがもし一人になっても救い主である神はあなたにつぎのように 語られていると思います わたしの目にはあなたは高価で尊い(イザヤ43:4)と もし時間があれば聖書を読んでね
お礼
katyanさん、ご回答ありがとうございます。 聖書にはたくさんいい言葉があるようですね。わたしは特にクリスチャンという訳ではありませんが、日々の生活の中でピンチになったとき、落ち込んだときに聖書の言葉で勇気付けられることがあります。でもわたしが知ってるのはほんの有名なワンフレーズだけです。少しずつ読んで、もっといい言葉に出会いたいと思います。 ありがとうございました。
- j-m
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ラテン十字架は6世紀まではキリスト教美術には現れていない。 キリスト教の時代より遥か昔において十字架はヨーロッパや西アジアにおいて異教のシンポル。初期キリスト教徒は、それが異教のものであったために、排斥さえしている。 3世紀のキリスト教会の神父であったミヌキウス・フェリクスは、キリスト教徒たちがラテン十字架を崇拝することに憤慨して、次のように言った。 「お前たち、それでは異教徒ではないか。木の十字架を崇拝するなんて、それはまさに異教徒のすることだ……」 ↑ キリスト以前の太古より十字架(実は男根のシンボル)は呪力があるとしてお守りとされていたのです。クリスマス、ハロウィーン等と同様にかつての異教風習を取り入れた結果なのです。 教会が妥協しているのです。 (No.3回答者:tetsuouさんと趣旨は同?)
お礼
j-mさん、ご回答ありがとうございます。 へぇ~、ということは、イエスの誕生直後からすぐに十字架がキリスト教のシンボルとなっていたわけではないのですね。 う~ん、いよいよ歴史の勉強をしなくては理解できそうにありませんねぇ。 もう少し予備知識を蓄えてから質問させていただきます。 また今後ともよろしくお願い致します。 ありがとうございました。
- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
つぎのHPを読めば理解できるでしょうかね? http://www.herald.co.jp/official/passion/special/qa/#q1 そうね。あの罪びとでないイエスが磔にされ鞭打たれたシーン、すごくリアルでしたね。 私が本来十字架につけられているはずだのに・・・ と思いました。 罪(=十字架)それをイエスによって開放された そのシンボルが十字架をあらわしていると思います
お礼
katyanさん、ご回答ありがとうございます。 わたしもこの映画は観ました。正直、痛くてたまりませんでした・・。 イエスがその痛さと罪に対して身代わりになったことを忘れないよう心に刻むため、常に目につくところに十字架を掲げているという意味もあるのかも知れませんね。 いずれにしても、簡潔で単純な理由ではないようです。もう少し勉強してまいります。 またいろいろ教えてくださいね。 ありがとうございました。
- tetsuou
- ベストアンサー率27% (5/18)
コンスタンティヌスはローマ皇帝であり,西暦325年にニケア公会議を召集し,キリストは神であるという非聖書的な教理を採用するよう圧力をかけました。異教徒と背教したクリスチャンから成る自分の帝国を強化するために,そうしたのです。新ブリタニカ百科事典はこの皇帝について,「312年,コンスタンティヌスはマクセンチウスに勝利を収める直前,十字架に関する『天のしるし』の幻を見た。それを皇帝は,自分の勝利を示す神からの証であると信じた」。同事典は,その後コンスタンティヌスは十字架に対する崇敬の念を助長したとも述べています。 西暦紀元のはるか前,十字形は地上のほとんどすべての場所で宗教的な象徴として用いられていました。コンスタンティヌス(クリスチャンではない)は異教の教えをキリスト教に取り入れたというわけです。ですから、聖書時代のクリスチャンたちは十字架を掲げたり、身に付けたりはしていなかったようです。
お礼
tetsuouさん、ご回答ありがとうございます。 なんだか難しそうですね・・・(;^_^A 素朴な疑問のつもりだったのですが、どうもかなりの歴史的理解が必要なようです。 勉強して出直して参ります。 ありがとうございました。
- reny
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諸説あるようですが、キリストの十字架上での死とその後の復活は、彼が神の御子である証明であり、またキリストが全人類の罪を贖い、新しい救いの契約が成就された証明でもあるわけです。 そう言う意味で普通の人間が処刑されたのとは与えられた意味が異なっています。信徒が十字架に、キリストの神性を見出し、救いへの感謝の気持ちを込めて拝することは自然な成り行きだったと思います。 ちなみにカトリックの方々の十字架にはキリスト像があり、プロテスタントの方々の十字架は十字架そのものだけのケースが多いようです。 また、キリスト教も基本的には偶像崇拝を禁止していますので、このような象徴としての十字架を否定している教派もあります。
お礼
renyさん、ご回答ありがとうございます。 そうそう、キリストの像が彫られたものと単なる十字架だけのものの違いも不思議に思ってました。カトリックは確か十字架よりはマリア像との関係が深いと聞いたことあります。間違ってたらごめんなさい。 いずれにしろ、歴史的な深い意味があり、諸説紛々の問題のようですね。 参考になりました。 またこれからもいろいろ教えてくださいね。 ありがとうございました。
- char2nd
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こちらのサイトが参考になるかと思います(↓)。 一般的には、イエスが人類をその罪から解き放つための受難と犠牲の象徴として十字架が奉られている、と云うことだそうです。
お礼
char2ndさん、ご回答ありがとうございます。 ご紹介のサイトを拝見しましたが、なんと、十字架にはこんなにたくさんの種類があったのですね。知りませんでした。(^.^) 参考になりました。 また今後ともよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。
お礼
frisk_blue_loveさん、ご回答ありがとうございます。 なるほど、ようやくこの若輩者にも理解できてきました。 やはり、敢えて十字架を掲げるというのは、単に「ここに教会がありますよ」とか「わたしはクリスチャンなのよ」という表現のみならず、これを常に意識することで“身代わり”となったことを忘れず、自らを戒めるという意味もあるのかなぁと思いました。確かに、キリストは復活したとされている以上、クリスチャンの方々も十字架を目にする度に嘆き悲しむということもないのですね。ここでも“赦し”の精神が培われるのかも知れません。 参考になりました。 またいろいろ教えてくださいね。 ありがとうございました。