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桑原武夫氏の「第二芸術」について
桑原武夫氏の「第二芸術」の発表から、50年以上経過しております。 この論文の評価は現在どのようになっておりますか? 教えて下さい。
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余り話題として特にとりあげ様とする様子も無く必要ともしないのでしょうか、不勉強なのか目にしていません。 この論文に対する評価がとくに今の俳句界で再評価するには50年の長さに耐えることが出来なかった論文と私個人は評価しています。 ご質問が有りましたので、読み返してみましたが果たして文学論としてみていいのか良くわかりません。ご案内のようにその手法に問題があり果たして論文として扱うかどうかクビを傾げざるをえないのです。名前を伏せて15句を上げて感想うんぬんから論が張られていますが、如何なる大家といえども句会に置いては一投句者で昨日始めたような初心者と同じように選(互選)を受けますので大きい句会では師の句が一句も選出されないこともあります。このように名のある俳人の名句を避け出来の悪い句を並べ立てての論陣の張り方は問題でしょう。少なくとも句集の批評から入るのなら判りますが。今読み返しますと、その外国崇拝思想が顕著な論文と思います。特に科学万能主義の論理で俳句を芸術と看做したことの誤りは大きいと思います。俳人は俳句を芸術などと恐らく考えません。俳句と考えているだけです。俳句を芸術と決め付けての俳句の排斥は俳人にとっては迷惑なことだったことでしょう。>自然又は人間社会にひそむ法則性のごときものを忘れ、これをただスナップショット的にとらえんとする俳諧精神と今日の科学精神と背反するものはないのである。これがこの論の結論ですが、どだい馬鹿げた話で味噌もくそも一緒とゆう品のない言い方になりますが比較対象が丸きり異質ですから虚子が笑ったのも無理からぬことです。この結論部分の直ぐ前に実はもう一つ酷い部分があります。学校から俳諧的なものを締め出せとゆう要望を出しています。良くいえるなーと思います。今でも俳人からブーイングがでてもおかしくないでしょう。冒頭の無名で引用した句の作者の違う句をあげます。これは最初の引用からが間違っているとしか思えないのです。( )内は挙げるべき句とおもはれるものです。 1 芽ぐむかと大きな幹を撫でながら(なつかしの濁世の雨や涅槃像 青畝) 3 咳くポクリッとベートヴエンひびく朝(萬緑の中や吾子の歯生えそむる 草田男) 4 粥腹のおぼつかなしや花の山(見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 草城) 5 夕浪の刻みそめたる夕涼し(よろこべばしきりに落つる木の実かな 風生) 8 麦踏むやつめたき風の日のつゞく(くろがねの秋の風鈴なりにけり 蛇笏) 10 椅子に在り冬日は燃えて近づき来(仕る手に笛もなし古雛 たかし) 11 腰立し焦土に麦に南風荒き(宵々に雪き踏む旅も半ばなり 亜浪) 13 防風のこゝ迄砂に埋もれしと(去年今年貫く棒の如きもの 虚子) 15 柿干して今日の独り居雲もなし(滝落ちて群青世界とどろけり 秋桜子) のようになります。(欠番は無名子、7は井泉水、個人的独断で外しました)ここで御気づきですが女流が全くありません。この論文は片手間に書かれた印象が強く、誓子を落したことの言い訳めいたことが付記されています。しかし女流について誰も挙げなかったのはこの論文の雑な処です。多佳子、秀野、信子 久女等々を落しているのは論者の俳句に対しての甘さといえるでしょう。もう一点この論文が書かれた年代が問題です。1946年11月に(世界)に所収されたものですが、論者の戦時中の鬱積したおもいがみられます。小説家の転向問題に触れている件がありますが言わずもがなで有るにも拘わらず触れているくだりは興味深いものがあります。これら実名の作家たちが(ほととぎす)の系列下であることは戦時下に置いての紙の配給での優遇や、戦争賛美に対する混沌とした思いも読み取れます。取り留めのないことを書きご質問に対しての回答になりえませんことを深くお詫びします。
お礼
積年のうっせき物がとりはらわれ、晴れた秋空のように気分爽快です。 ありがとうございました。