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数学とは...

数学とは一体どのような学問なのか多角的な立場から検討はしてみたものの いまいち答えが見つかるようで見つかりません. 自己の観念としては、当然一言では説明できかねますが、 数学とは、あらゆる学問を包括し、数学的諸原理からそれらの他分野を導くもの、 つまり、根源的なものであると思っています.これに反して友人は、学問には相互関係があって、 数学は単なる他の分野と同等で特別高く評価する必要はないみたいなこといってます. 確かに、理解できなくもないですが、考えが普通すぎてどうもしっくりきません. 自分は、もっと意味深な位置づけになると思うのですが皆さんはどう考えますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • bo-suke
  • ベストアンサー率23% (58/242)
回答No.1

面白そうな質問には喜んで答えさせていただきます。 数学は他の学問にはない特徴があります。 それは他の学問が現実に存在しているものの知識を説明しているのに対して、数学はそれらの学問を構築するための思考法としての役割を担っているということです。 自然科学においては特にその能力を発揮していることはいうまでもない真実でしょう。物理・化学・生物それらの研究においてデータは全て数字によってまとめられており、法則は数式によって表記されています。 その理由は数字というものが割と純粋な観念として認められている存在だからです。1は誰が見ても1です。たいていのものは1個2個と数えることが可能です。つまり誰が見ても同じ、なんにでも使える観念の代表格なわけです。したがってそれによって書かれた物は誰が見ても同じ、なんにでも使える表現になり得るわけです。 ただしそれは逆に言えば、たとえて言うなら氷の上をスパイクも履かずに歩こうとしているもので、何も意味のある言葉を語ろうとせずとらえどころのない存在ということもできます。数学が捉えるものは常に「この現象とこの現象は違うように見えてまったく同じことである」ということだけです。例えば正三角形は等しい三つの辺からなっていますが、三つの角が等しいという言い方もできます。どちらも正三角形でしか起こりえないことです。裏返せば物事に対してこれはいけない、これは正しいという積極的な考え方がまったくと言っていいほど欠けています。3という数は誰が見ても同じ数ですが、2より大きい得な数と考えるか、4より少ない悲しい数と考えるかは、その数の使われ方やそれを見た人によって異なるでしょう。さらに数学だけでは物事は捉えることはできません。さまざまな仮説を立て、仮説に基づいた実験を行い、仮説の間違っているところを調べるという作業は数学にはできないもので、実際にことを起こさないとわからないものです。いくら数学ができても実際に実験をしなければ物理の重力係数すら測定できません。 では数学にはまったく価値がないかというとそうではなくて、例えばニュートンの万有引力の法則やアインシュタインの相対性理論などは数学の賜物なのです。例えばニュートンはりんごが落ちるという現象とつきが地球を回っているという「現象が同じ」ことだということを示しました。つまり月は地球に向かって落ち続けながら前進しようとするのでいつまでも地球の周りを回っているのです。これによってりんごの落下と月の回転は同じ一つの数式によって示され、それまでの物理学が整理されてすっきりしたわけです。こういった、同じことという考え方や物事の整理に数学は非常に役に立ちます。ただしつきの回り方を実際に月を見て丹念に調べたのはケプラーの師匠ですし、重力を実験でどういうものか示したのはガリレオです。ニュートンはそれらの研究を踏まえて整理をしたという意味で偉大であり、万有引力を見つけたという意味で偉大なのはむしろケプラーの師匠やガリレオなわけです。だから数学も、全ての学問に使える思考法という意味では有用ですが、全ての学問を支配しているわけではありません。御友人が言いたかったのはそういうことなんだと思います。 会社の上司は人間をまとめるのが上手いから上に立つべきなのであって、えらいから上に立っているというのは間違った考え方であるというのと似てる…と考えればわかりやすいかな? ボクの考えている数学というのはそんなところです。

leibniz
質問者

お礼

この回答から数学は他分野への影響が大きいため、一見全てを内包しているようにみえますが、 実は見掛けだけであってただ他からは道具としてしか使われてないというのが伝わりました. 確かにそう考えるのは一般的かつ普遍的で誰もがその意見の通りだと思わざるを得ないと思います. しかし、数学の影響力はそんなものではないと思うのですが、 たとえば、上記でケプラーの例を挙げておられますが、現に今数理言語学や数理経済学など多方面に渡って数学が使われ始めていますよね. この表現自体数学は道具だと自認しているように聞こえるかもしれませんが、 要は汎用性が莫大に広いという意味で支配という考えは成立しているように思えてなりません. 勿論、bo-sukeさんの見解もわかりますが、本当の意味での真の支配者は神であるので、 学問としての真の支配者はいるとしたなら、やはり数学しかありえないのではないでしょうか. 自分は何か数学を認める立場に固執しているような気もするのですが、自分の見解としては以上です.

その他の回答 (5)

回答No.6

答えがわかっていないの事を誰かに聞いても正しい答えは得られないと思います。

leibniz
質問者

お礼

確かに仰られるとおりで、的を射ています. もう少し考えさせて下さい.

回答No.5

#3です。お気楽に答えた内容に反応があり、とまどっております。(゜o゜) 例えば1+1=2などは数えることが、自然にあってこそと思います。 さらに、論理が成り立つのは自然がそのようになっているからだと思います。 あと、最高位の科学と言うものは存在せず、数学はあらゆる科学の下にあると言うか下支えしていると思います。 抽象化したからこそ、すべての科学に応用できるのです。 以上のことに、深い意味はなく、あまり自信がないことを申し添えます。(~、~)

leibniz
質問者

お礼

態々、2度回答して下さり有難うございます. 哲学的観点からみますと、上記の「自然がそのようになっている」という文は「神が存在する」と等価であると捉えられます. これで、神の存在性を肯定できますので(これを否定するなら自然現象は成立たなくなる)、自然界の事物は一切神に依存するものだと考えられます. よって、根源は必然的・客観的に学問上も神になってしまうので、やはり見方によって様々に異なるのですね. endlessriverさんが仰られるように結果的には天下の学問は存在しないということになりますね.

回答No.4

leibnizさん、今晩は。(ドイツの)leibnizと同じ誕生日のgraphaffineと申します。 あくまで私見ですが、私が科学や学問を分類するときは、構造及び手法に基づいて行います。 数学とは、数学的構造を研究する学問であり、物理は物理的構造、化学は科学的構造を研究する学問であると思っています。 数学的構造は位相構造、組合せ構造、代数的構造、順序構造等に細分され、また、研究のための手法にも代数学的手法や幾何学的あるいは解析学的な手法があります。 そして、例えば、代数幾何学と呼ばれる分野があり、これは幾何学的分野(即ち、幾何学的構造の研究)ですが、手法は代数的であって、傍から見れば代数学をやっているように見えると思います。 長々と書きましたが、結論を急ぐと、学問はそれに応じた構造(文系分野の構造としてはでは経済構造、心理学的構造など)を研究するものであるが、手法には他の学問のものを流用する場合も多い。そのなかでも、数学の流用される比率が高い。と言うことではないかと思います。 従って、数学が根源的なものとはいえないと言うことです。 #3の方に確認、確かに数学は日本では自然科学に分類されることが多いですが、何故そうなのか疑問に思っていました。(外国では違うと聞いたことがありますが、確認はできておりません) 数学が自然科学であることにendlessriverさんは、どのように納得されているのでしょうか。

leibniz
質問者

お礼

ライプニッツと同じ誕生日ですか.羨ましい限りです. grahaffineさんの言いたいことは、よく分かります. 数学は様々な構造を所有してますが、其れをまたさらに様々な手法から試行し、結論を導くものであるから、数学に限らず他の分野でも同様に利用されているものであると一意見として自分中に取り込めそうです(似たような意見が下記にあったような...). しかし、見方によっては何とでもいえるため結局は答えは存在しないのではないでしょうか.恐らくこれを見つけるのが今後の課題なのでは. 理由としては、数学を考える上では哲学は必要不可欠であり、そして、哲学的論考の対象にするものは答えは見つからざることは幾度かあり、それに抵抗するだけ無益と考えます. さらに、神の存在を定義するならば、万能の神により人間の知能が生まれえたのであって、数学をも含めた学問の根源は神にあるということになります. 考えれば考える程自分がおかしくなりそうなのでここらで自分の見解はストップさせていただきます.

回答No.3

おこがましいのですが。 数学は他のものと同じく自然科学の一部と思います。 すなわち、自然無くしてはあり得ないものです。 他の科学と異なるところは抽象化を極限にまで進めたことでしょうか。

leibniz
質問者

お礼

単なる自然科学の一部分と始めは自分もそういう方向から見てましたが、様々な本を読む事で、 数学は絶対的な権力者といっても可笑しくない存在に自分の中ではなっています. もし仮に数学がこの世に存在しないと仮定してみるなら、全ての分野は成り立たなくなってくるでしょう. 何らかの相互作用はあるものの単なる物理学や天文学等とは次元の異なる枠組みに本来存在すべき学問であると思います. 何故なら、唯一数学とは真に迫った曖昧さを一切排除しているのに対し、 例えば、物理学では運動方程式ma=fは神が創ったなんて変な事いう学者だっていて、其れが通説になっているようです.確かにどこかで妥協は必要ですが、 これが成り立てば全てがうまくいくとかいうこじ付けの理由は流石に受け入れ難いです. だから、数学は、他分野と切り離すのがしかるべき措置でありもしますが、 現状何処かのカテゴリーに含まないといけないことから、自然科目群の枠組みに包含されていて、 錯覚をおぼせられているのではないでしょうか. 数学を語るにつれては、数学的見解は勿論の事、哲学的視点からも見ると一層そう思えてならなくなってしまいます...。 最後に、無意味かつ必要性なしなことは承知の上で一点だけお聞きしますが、 仮にあるとしたなら学問の中で最高位な位置に留まる学問は何だとお考えですか?

  • sunasearch
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回答No.2

どこに観点をおくかによって変わるでしょう。 卵が先か、鶏が先かという話の気がします。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6 数学(すうがく、ギリシア語μάθημα 英語mathematics)とは量、構造、変化、空間の様式について研究する学問である。現代的には公理的に定義される抽象的な構造を、形式論理を共通の枠組みとして用いながら探究する。 よく研究される特別な構造は、その起原を自然科学、多くは物理学に持っているが、数学者はまた、構造を純粋に数学への内的な興味のために研究する。高度に抽象的な数学的概念を探究することは、問題を大変創造的に解決することにつながることがあり、そのことはしばしば、様々な数学の諸分野を統一するような概念へと導き、また、一般的な計算において有用な道具を新たに創り出すことへとつながる。 数学を実用的な科学、また応用科学として捉える見識の一方で、多くの数学者は美的な理由からそれぞれの分野での研究をしているという側面もある。多かれ少なかれ、彼らは対称性や直観性などその独特の審美眼を以って、数学を芸術に近しいものとみなしているのである。

leibniz
質問者

お礼

そうですよね. 立場上の相違からどうとでもいう事がいえるから、 答えは導く事は不可能ですよね.

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