とりあえず、哲学カテということで、哲学のレポートと仮定しましょうか。
●とりあえず、ソフィーは前章の『バークリ』から読んで下さい。
いささか乱暴ですが、キーワードだけ書くと
(1)バークリ→ビャクルリ
バークリの哲学
●物質は感覚される限り存在する。
●『存在するとは、誰かに知覚される事である。』
【esse est percipi(ラテン語・エッセ・エスト・ペルキピ)】
須田 朗氏によれば(ソフィー日本語版監修者)
★あなたの目の前の机が存在するのは、あなたが目で見ているからだ。
Q目をつぶったら机はなくなるのか?
A誰かが見ている(知覚している)から机はなくならない。
Q机を誰もいない部屋に移したらなくならないのか?
A神が見ているからなくならない。
と、まあこんな感じで進行するのですが、私が補足を要求したのは、この章がとても大事な章だからです。
すなわち、ソフィーはバークリの哲学を学ぶことによって、自分は他者から知覚されることによって存在することを知る。
少佐からか、ヒルデからか、あるいは読者から、知覚されることによってソフィーは存在する。・・・・・そして、ヒルデも確信する。ソフィーも紙とインクの存在ではない。ソフィーは存在する。・・・
まあ、こんなところでしょうか。
あとは、khanaさんが肉付けしてまとめてください。
バークリによれば、あなたが知覚して認めてあげないかぎり、哲学の先生の
存在もなくなってしまうんですから(^^;
**ソフィーを今後も教材に使うのであれば、
『もう少し知りたい人のためのソフィーの世界哲学ガイド』NHK出版
須田 朗著 が便利です。(今回の引用はここからです。)