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戦艦大和
(1)武蔵や信濃という大和の同型艦があるそうです。同型なら基本的に同じ性能があるはずです。旧日本海軍は大和を温存しすぎたなどとよく言われますが、なぜ大和のみ特別視されたのですか? (2)主砲について a)当時、最大の口径があったと聞きますが、現在に至るまで大和以上の大砲は開発されなかったのですか? b)数十キロの射程があったそうですが、そんな長距離でどうやって照準を合わせたのですか?。 分かる部分だけでも良いので教えてください。
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a1 別に大和を特別視していたわけではありません。 信濃の場合は、戦艦として完成させる余力がなくなった、そして航空母艦の損耗が激しかったので転用したということです。武蔵については、開戦後暫く経ってから完成したので大和に比べ、在籍期間が短く、乗員の連度、装備の程度により、より改修の進んでいた大和を重視したということでしょう。 a2 大砲ということなら、日本でも51センチ砲が試作されています。 a2-2陸上の砲の場合は、あらかじめ測量しておき、その数値と、砲の性能、更に前線の観測・統制官により照準、目標設定を行います。間接照準射撃といわれるゆえんです。 艦砲の場合、レーダーによる照準、着弾観測機による照準、方位盤射撃指揮装置による直接照準があります。 レーダー照準は、レーダーで相手の位置を測定しての照準、着弾観測機による照準は、レーダーや方位盤射撃指揮装置による射撃の着弾を観測して、修正する場合と、敵艦の位置を測量してその数値を持って射撃し、着弾点を確認して修正する方法があります。 方位盤射撃指揮装置は、日本戦艦の特徴である艦橋上部にある、横に左右対称に飛び出た棒のようなものと、鑑定部に設置されたアナログコンピュータからなります。 大和型戦艦のそれは、左右間隔が15mあり、内部に上下セットになった照準器が二つ、左右対称の照準器が1つありました。 三角測量の要領で、目標の方位、距離を算出するのです。
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- sqw-99
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んじゃマニア的に更に追い討ちかけて補足します。 信濃も異様に特別視されていたようです。 信濃は突貫工事で完成を急がせていました。 信濃は、不沈艦、不沈要塞として期待され、 完成を待ち望まれていました。 艦載出来る機体も準備出来ないのにです。 B-29の爆撃で大型空母の信濃は発見されてしまった為、水密試験をしないままの未完成のまま安全な呉に回航させようとしたのです。 大型空母でしたので、発見後数日以内に空襲確実だったのです。試験所ではなく、すぐに退避させる必要がありました。 回航数時間後、雷撃に遭いました。 反対側に注水して復元を指示。 注水ポンプ故障。(新品未試験) 復水注入不能。 突貫工事の為の欠陥箇所から大浸水開始。 隔壁閉鎖不良箇所発生。 浸水拡大。 復元不能。 復元出来ず横転沈没。 特別視されていなければこう言う最期にはならなかったでしょう。
お礼
回答ありがとうございます >完成を待ち望まれていました。艦載出来る機体も準備出来ないのにです。 >B-29の爆撃で大型空母の信濃は発見されてしまった為・・・ B-29の爆撃の後ということは、戦争末期ですか。そんなころじゃ仮に完成しても活躍の場はなかったでしょうね・・・
- sotugyousei
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殆ど解答が出尽くしているのですが、信濃について補足させていただきます。 確かに大和級の戦艦から空母に作り直されまして、 本体の大まかな所まで完成して、テスト航行中に 攻撃食らって沈没したと記憶しています。 なので、実戦経験は皆無と言って良いでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >テスト航行中に攻撃食らって沈没した そんなあっけない終わり方だったとは知りませんでした。道理で地味なはずです。
- sqw-99
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異常な考えで行動していたからです。 当時の人間を私はまともな思考で捕らえてはいません。 私が不思議に思うのは、作戦参謀の名前が 「神(じん)」であった事。 インパールを天皇誕生日に陥落させ、陛下に献上したい。そう思ったのだ。(大失敗のインパール作戦) この無能な指令がゴマをすり続け次々出世した事。 フリィピンを陥落させた山下中将が後方に飛ばされ、 米軍のフリィピン上陸作戦の時またフリィピン島へ呼んだ事。 水雷戦隊(駆逐艦隊)で敵の重巡洋要艦隊を壊滅させた田中指令がこの作戦内容の件で指令を解雇された事。 空母以外の旗艦は常に先頭に立って突進していた。 これを中央に入れ、作戦を指揮した。(前代未聞) 幹部の食事は兵と違う部屋で豪華でした。もし、幹部が兵と同じ所で食事を何度もすると、幹部でも拳で教育されたようです。「海軍の伝統を何だと思っているんだ!!」 ここまで出来上がっていれば名前で温存していた可能性は否定出来ません。 27Ktなら夜間突入して飛行場攻撃でもいくらでも使えると思います。 もちろん、滑走路をやらなければ作戦終了時の夜明けは遅いので大空爆かもしれませんが。
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回答ありがとうございます。 なるほど、旧海軍内部の体質が、運用に柔軟性を欠かせたというわけですか。アジア太平洋戦争では、旧陸軍の異常さが開戦以前から突出して目立ってますけど、実は海軍も同じようなものだったんですね。
- PENPENMAKKY
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(1)について 根本的な勘違いをしています。大和と武蔵は共に行動をしていますし、大和は時々物資運搬もやらされています。特別扱いだったのは武蔵です。大和は呉海軍工廠で建造されたのに対して、武蔵は佐世保三菱造船所で建造されました。武蔵は民間工場で建造されたため、大和に比べて内装の出来が優れていました。そのため、山本長官は武蔵完成後は旗艦を武蔵に置いています。 (2) 口径をご理解していないようです。大砲の場合、直径(cm又はインチ)/口径(砲身÷直径)で表記されます。大和の大砲は46(18)/45という大きさの大砲です。但し公称は93式40cm砲です。そんな物は簡単に見抜かれるのに、機密にするため大和の大砲は40cmと表記されています。それは沈没時まで変更されていません。ちなみにアイオワの大砲は16/50という大きさの大砲で、40cm砲の平均は16/45という大きさの大砲です。
お礼
回答ありがとうございます。 >大和と武蔵は共に行動をしていますし・・・ >山本長官は武蔵完成後は旗艦を武蔵に置いています 旧日本海軍の旗艦は大和だと思ってましたが、実は武蔵だったんですか。知りませんでした。 >大砲の場合、直径(cm又はインチ)/口径(砲身÷直径) 口径っていうのは、砲身の長さを、筒の口の直径で割って算出するものなんですか。口径は筒の口の直径だと思ってましたが、専門的にはぜんぜん違うんですね。ということは、筒の太さは変わらなくても、砲身が短くなればなるほど、口径は大きくなっていくわけですか。なるほどよく分かりました。
- kageroho
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(1)大和と武蔵は、基本的に同じ戦隊で行動をともにしていましたので、どちらが優遇されたとは言えないと思います。ただ、初期の段階から戦いは機動部隊が主役となっていたため、高速の空母と行動を共にするには、この2艦よりも高速の金剛型が使い勝手がよかったことと、艦対艦の戦いが主にソロモンの狭い水域だったため、大型の大和武蔵よりも、やはり金剛型が使いやすかったため、前線には常に金剛型4隻が出動していたため、大和型の出番が無かった=温存してと言われてしまうことになったと思います。 (2)aは皆様の回答通り。 bも、基本はその通りです。弾着観測のための観測機が飛ばせればベストですが、敵の航空機が飛んでいては飛ばせませんし、艦橋トップの方位盤からは、水平線の向こうもちゃんと見えましたので、飛行機に向けて照準するわけではありません。艦の動揺、自速、的速、風速と風向など多数の変数を計算して修正しつつ、方位盤の射手が狙いを定めて発射します。大和ともなると神業ともいえる熟練の射手が狙いますから、初弾からかなり近弾が期待出来ます。弾着を見た砲術長から前後左右の修正指示を受けて射手は第2弾を発射、徐々に敵を追い詰めて命中!となるはずなのですが、実際の(大和以外のフネの海戦でのことですが)戦闘では敵も自艦も右に左に逃げながら撃つので、なかなか当たらないのが実情だったようです。 ちなみに、戦いの中では大和と武蔵などが同時に発砲しますので、自艦の弾着を見極めるために、砲弾には着色の塗料が入れられ、例えば自艦は緑!2番艦は赤、と決めておいて、緑色の水柱で自艦の弾着を確認することが出来ました。
お礼
回答ありがとうございます。 >大和型の出番が無かった=温存してと言われてしまう・・・ NO.7さんも書いてくれましたが、空母の価値が非常に高いことを、日本は真珠湾の経験で証明していたそうですね。そうすると大和は温存されたのではなく、単に使いようがなかったということですか。大和が活躍してくれれば、戦局が変わったんじゃないかとか、世界一の戦艦の活躍する姿が見たかった、というような戦後世代が特別視しているだけのようですね・・・
- SCNK
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ドイツのカールグスタフ列車砲は口径80cm、米国のリトルデービッドは91.4cmですね。日本陸軍の93式臼砲なんかも大きかったんじゃないですか。もっとも砲身がないので幾らでも大きくできますけどね。 大和の46センチクラスになると、飛行機で観測して命中させます。水平線の向こうがわは見えません。観測機は大和と敵艦が同じ俯角になる位置を飛行します。方位盤操作員は飛行機に向けて照準しますと、計算盤で自動計算されて敵艦の位置に発射されます。
お礼
回答ありがとうございます。 >米国のリトルデービッドは91.4cmですね。日本陸軍の93式臼砲なんかも・・・ どちらも戦車砲でしょうか?NO.4さんの参考URLにあった80センチの列車砲でさえおそろしく巨大ですが、あれより大きな砲を戦車に搭載できるんですか?
昨日のNHK総合の「その時歴史が動いた」をみて疑問に思ったのでしょうか? 日本軍部がというか世界の軍部が、真珠湾攻撃を開始する前までは、 航空機による攻撃について、軽く見ていた事が大きいです。 それまでの攻撃のパターンとしては、日露戦争においての、日本海戦にあるように、戦艦対戦艦の戦いが主流で、 口径の大きな大砲を所有している戦艦の方が、より遠くの艦船を攻撃できるというので、大砲を大きくしました。 第一次世界大戦後に、ベルサイユ条約やワシントン軍縮条約会議を経て、各国の艦艇の所有できる数を制限したぐらいに、戦艦は、脅威だったのです。 ところが、その巨艦巨砲主義の攻撃のパターンを変えてしまったのが、日本軍の「真珠湾攻撃」だったのです。 大きな大砲で攻撃しても、効率が悪く、 その攻撃に比べて、航空機の方が効率がよく攻撃が出来ると言うことを、証明してしまったのです。 ですが、昔からの巨艦巨砲主義の攻撃方法がよいという考えあって、結局、大和を温存するような形になったのです。 また、大和は大和型戦艦の一番艦として生産されたので、旗艦としての役割を持たせたこともあるのでしょう。 武蔵についてもは、同様に戦艦として建造されています。 しかし、信濃に関しては、当初、戦艦として建造されていましたが、途中で航空母艦への設計変更を行いました。 けれども、いろいろなトラブルに巻き込まれて、実際に活躍できたのはわずかの期間でした。 ちなみに、その当時としては、世界最大の航空母艦が、信濃で、その記録は、戦後だいぶ破られることなく、 アメリカ海軍が建造した原子力航空母艦「エンタープライズ」が出来るまで一番だったそうです。 なお、アメリカの戦艦については、最大40センチ砲が最大と聞いています。 たしか、戦艦「ミズーリ」に搭載されていたと思います。 これは、パナマ運河の関係で、船体の幅に制限があって、それ以上の大砲は載せられなかったそうです。 それから、大砲の照準については、建造当初は、三点測量の原理で照準を合わせていたようです。 艦首の上にある部分で、人間の目とその上の部分であわせて、距離を測って大砲を撃っていたようです。 後の改造で、レーダーを搭載していたようですが、 日本のレーダーの技術ではアメリカの飛行機や艦艇を発見できるような技術には達していなかったようです。
お礼
回答ありがとうございます。 >NHK総合の「その時歴史が動いた」をみて 見ようとは思ったんですが、うっかりして見過ごしてしまいました。どんな話だったんでしょう・・・ >巨艦巨砲主義の攻撃のパターンを変えてしまったのが、日本軍の「真珠湾攻撃」だったのです。 なるほど、日本自身で、ご自慢の大和型がそれほど価値がないことを証明してしまったんですね。皮肉なことです・・・。「巨艦巨砲主義」はよく聞きますが、真珠湾がひとつの契機とは、驚きです。 >後の改造で、レーダーを搭載していたようですが、 一応、レーダーも搭載されていたんですね。レーダー、三角測量、艦載機、いろいろ積んであるんですねえ。
- Toshi0230
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ほとんど回答が出そろっていますので、大砲のところだけ少し補足的に回答します。 A2-a ほかの方の回答にもあるように、口径だけでいえば大和/武蔵は最大ではありません。 また、計画だけのものを含めると、イラクのフセイン元大統領が口径1,000mmの大砲を作ろうとした、という話を聞いたことがあります。 ただし、大きな大砲は重い(*1)ので取り回しが難しく、運用するのにはものすごい労力(と経費)がかかります。また、連射もなかなか効かせづらいので、最近の艦載砲はせいぜい127mm程度の速射砲が中心になっています(ちなみに、陸上の大砲は152mm~203mmくらいが主流)。 (*1) 大和級の主砲塔1基で駆逐艦1隻分の重さがある、という話を以前どこかで読んだ記憶があります。(昔の記憶なので、違ってたら誰か指摘してください) 別の側面からみると、ミサイルが開発されたので、遠距離攻撃を行うのにわざわざ戦艦を造らなくても経費の安い駆逐艦や巡洋艦で十分事足りるようになった、という面もあるでしょうね。 また、航空戦力の発達により、「鈍重」な戦艦は敵機のいい「カモ」にされてしまうだけだから、作っても意味がない(少ない)、というのもあると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >イラクのフセイン元大統領が口径1,000mmの大砲を作ろうとした・・・ 「ゴルゴ13」でそんな話あったのを思い出しました。そういう噂を下敷きに書かれてたんですね。たしかアメリカ本土を直接狙える「大陸間砲」みたいな話だったかな・・・ >ミサイルが開発されたので、遠距離攻撃を行うのにわざわざ戦艦を造らなくても経費の安い駆逐艦や巡洋艦で十分事足りるようになった・・・ 戦艦という兵器自体、大和で最後なんでしょうか?
- myeyesonly
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こんにちは。 最大の大砲に関してのみ。 第二次大戦中、ドイツが作った列車砲でグスタフ、ドーラという名前の物が 80cm でした。 ロシアのセバストポーリ要塞攻撃に使用され、あまりの巨大さのため、移動すら思うにまかせず、使われたのはこの時だけだそうです。 威力はものすごく、要塞の地下30メートルの弾薬庫を一発でうち抜いて爆発させたとか。
お礼
回答ありがとうございます。 参考URL見ました。それにしても恐ろしい大きさですね。線路を引きながら移動したというのは何とも手間がかかることです・・・
- anothercentre
- ベストアンサー率48% (58/120)
この手の質問には、おそろしい専門家(マニア)がいるので、私の回答はおそらく不十分なものです。 1) 信濃は最終的には航空母艦として就役していますので、同等の性能をもった厳密な同型艦ではありません。大和級三隻の中で、特に大和だけが特別視されたとは言えないように思います。艦名は戦艦には旧国名をつけるという命名ルールにのっとったものですが、現在の奈良県にあたる大和と、日本全体をいう大和という名が同じなので、特別な感傷を呼ぶということはあるかも知れませんし、当時の海軍当局にもそういう気味があったのかも知れませんが。 2) 艦載砲としてはそのとおりですが、単に大砲としてみれば、歴史上最大というわけでもありません。 3) 大和級の主砲の射程距離は4万メートル(40キロメートル)です。その距離を見通すため、艦橋は50メートルを超える高さとなっており、そのトップに幅15メートルの測距儀(距離計)がありました。15メートルの基線をもとに三角測量をすることをイメージしてください。(レンジファインダーのカメラを使ったことがありますか?あれの焦点を合わせるのと同じ仕掛けです) 艦の速度、進行方向、敵の方向、距離、敵の進行方向、速度などをもとに計算し、砲の向き、砲身の角度が決定されます。確実に当たるというものではなく、着弾の散らばりの中に、確率的に敵が入るかどうかで命中するかどうかが決まります。
お礼
回答ありがとうございます。 >特に大和だけが特別視されたとは言えないように・・・ 他の回答も見ましたが、どうも大和を特別視しているのは、当時の海軍でなく戦後の私達のようですね。 >艦橋は50メートルを超える高さとなっており そんなに高いとは・・・。改めて驚きますねえ。
お礼
回答ありがとうございます。 >乗員の連度、装備の程度により、より改修の進んでいた大和を重視した 要するに、使い慣れた大和のほうが大事だったということでしょうか? >鑑定部に設置されたアナログコンピュータ ってどういうのを言うんですか?