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源氏物語について

光源氏のモデルとして、高明、行平などが取り上げられることが多いのですが、彼等は光源氏とどのようにリンクしているのですか?紫式部が光源氏を描くにあたり彼等の人物像や処遇がどのような影響を与えたのですか? 教えてください。

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回答No.1

私は源融がモデルに近いだと思っていました。 彼は、嵯峨天皇の皇子でしたが「源」の姓を賜った人です。 そしてすんごい美男子だったとも記録が残っています。 応天門の変では、失脚しそうにもなっていますが、藤原良房の支援によって難を逃れることができます。 私的には、良房が頭中将かな~っと思ったりしています。 高明も、詩歌管弦が得意とされ、太宰府に流されたことがある人ですし、 行平にしても、詩歌が得意で、プレイボーイ(何てたって業平の兄ですから)で、須磨に蟄居していたこともあるくらいです。 他の説には藤原道長がモデルではないか、という説もありますが……。 実際に式部の耳に、彼らの処遇がどの程度、きちんとした形で伝わっていたのか分かりませんし、 もしかしたらモデルはいないのでは……という説も出てきました。 なので、宮中で様々な噂話を聞き、その話の中で、 特に印象に残った部分をそれを紡ぎ合わせて「光源氏」という、 人物を作り出したのではないかと、私は思います。 回答になってなかったらごめんなさい。

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回答No.2

 源高明、在原行平はともに政変で流罪になったことがあるので、源氏の須磨流浪のモデルではないかという説が行われているようです。高明は源氏であることもモデル説の根拠のひとつでしょう。  ことに行平は源氏とおなじ須磨にわびずまいをしたという歌が古今集に載っているので(わくらばに間ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ)、その縁もあるようです。  二人とも源氏の全人的なモデルというよりは、須磨流浪を描くにあたっての部分的なモデル、あるいはヒント、モチーフとなった人物といったほうが適当でしょう。

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