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戦国武将 「齋藤 龍興」について

 最近ヤンマガで連載している「センゴク」という漫画にはまりつつあります。  その漫画のキャラクターに「齋藤 龍興」という、おそらく実在したであろうキャラクターが登場しているのですが、漫画での凄みのある存在感に比べて、(ネットで彼について調べる限り)実際はただの、信長の引き立て役の一人なのか~みたいな地味な印象を受けてしまっており、ちょっと残念です。  「斉藤 龍興」彼は、本当にすごい人物なのか?「センゴク」で表されているような、信長にも引けをとらない程の存在感を実際に持っていた人物なのか??  彼に関するご返答、何でも待っています!!

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • reny
  • ベストアンサー率32% (81/252)
回答No.3

斎藤龍興は、竹中半兵衛とのエピソードから暗君・無能の代名詞となっています。 ちなみに、その父の斎藤義龍は、生前織田信長の侵攻を一度たりとも許したことがなく、国内の統治や家臣の統制などの面でも大変すぐれた武将でした。 また、大男で「六尺二寸殿」とあだ名されるほどだったそうです。 ただ斎藤龍興は、稲葉山城落城後追放されたあとも、反信長戦に積極的に参加していましたし、最前線に出て戦い、最後に討ち死にするその瞬間まで反信長を貫きました。 作者はそうした点から人物を描きなおしているのかも知れませんね。

hoshina77
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。竹中半兵衛のエピソードを聞く限りでは、確かに・・と思いますね。 でも(信長打倒という)初志貫徹を実現してみせたような人が、暗君・無能なはずはない!と信じ続けていたいです。名を轟かせた祖父・父の血を受け継いでもいるわけですし・・。

その他の回答 (4)

回答No.5

斎藤龍興のNo.3さん、No.4さんの通りです。 ただ、龍興について付け加えるのならば、父の急死によって斎藤家をついたのがわずか14歳の時。 国内ではまだ、祖父・道三と父・義龍の争いによる混乱が残っていたでしょうし、さらに父・義龍の急死で更なる混乱。しかも、相手は百戦錬磨の上に、斎藤家と姻戚関係でもある織田信長。名将であっても、この状況を変えることは困難だと思います。 そのように考えると、ただ暗愚な将だったから国を滅ぼしてしまった、と言うのにはあまりにも不運であるように感じます。(まして、歴史書は、勝者の側のものが主なので、敗者は悪く描かれますからね)

hoshina77
質問者

お礼

説得力のある回答、ありがとうございました。 確かに、14歳では国がどうとか敵国の軍勢がどうとか、そう簡単に判断出来るもんじゃないですね・・。 あと10年くらい長く父が生きていたら、斉藤龍興という人物の真の実力がわかったかもしれないですね。 「1548~1573・享年24、5歳」、あまりにも惜しいです。

  • mine0042
  • ベストアンサー率26% (17/64)
回答No.4

美濃の国の戦国大名、斉藤道三の孫で、歴とした実在人物です。 道三は、美濃の守護土岐氏から美濃一国を奪い取った下克上の見本のような人物ですが、その子義龍は、自分の父親は道三ではなく、国を奪われた土岐頼芸ではないかとの疑念から、道三と争い、結果父を討って美濃の国主になります。 その後、(美濃三人衆など)有能な家臣の力もあって、信長の美濃侵攻を度々食い止めますが、35歳で病死、国主の座は息子の龍興にうつります。 龍興の代になると、信長方の離反工作によって、家臣が次々と離れ、ついに国を捨て朝倉家を頼ることになってしまいます。 家臣に心服されず、次々に寝返られたところをみると、やはり名君とはいえないと思いますが、そもそも歴史というものは、勝った側の記録が残っていくものなので、龍興のひととなりが、現在伝わっているもの通りなのかは、定かではありません。 新たな資料が発見されない限り、あるいはされたとしても、本当のところはいつまでも判らないままでしょう。

hoshina77
質問者

お礼

回答有難うございます。そうですね、実際どんな人物だったか、自分の目で確かめてみたいものです!一目だけでも!(人物分析には自信があるので)

noname#12561
noname#12561
回答No.2

岐阜市在住、「センゴク」も読んでるものです 地元では道三・信長に比べて存在感皆無ですね 本当はすごい人物なら地元にも名がよく残るはずで、たいしたことないんじゃないですか、 くわしくは、参考URLを見てください 今川義元の息子(これまたもっと不肖の後継ぎ)みたいに、国主であったが国を失い流浪パターンではないでしょうか、 「センゴク」の最近を拝見すると石山合戦に参加してますし典型的な流浪武将ですね (すべて同列に並べるのは問題かもしれませんが) 他の例→ 長宗我部盛親----関ヶ原西軍に与する、改易そして大阪の陣、斬首 くしくも美濃斉藤氏の血を引く http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E5%85%83%E8%A6%AA 今川氏真----家康・信玄に国を追われ流浪、京へ 他:足利義昭・真田信繁(幸村)・上杉憲政等、国が滅び、再興を夢見・流浪しその後一花咲かせたり、親戚縁者に仕官したり文字どうり、浪人。戦国にはこういった人々があふれていたようだ 江戸時代、由緒ある没落家等は「高家」「旗本」とされているので調べる価値があるかも

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%BE%8D%E8%88%88
hoshina77
質問者

お礼

地元の方ですか!?回答アリガトウございます! 「地元に名が残ってない」というのは、ちょっと説得力があり過ぎて、逆に残念です(笑) でも、戦国時代を武将が生き抜くのはしんどかったんだなと、改めて感じさせられました。今一度、回答に感謝します。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

祖父(斉藤道三)に似ぬ不肖の孫だったようですが。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E8%97%A4%E9%BE%8D%E8%88%88
hoshina77
質問者

お礼

回答、感謝です!ん~、もう少し納得のいく回答を待たせて下さい(笑)

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