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マグナカルタと権利章典の意味は??

タイトルの通りマグナカルタ(1215年)と権利章典(1689年)ってなんですか??

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  • saxphone
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回答No.3

マグナカルタ・権利章典の「説明」そのものは、#1さん、#2さんのレスにありますので、割愛いたします。ここでは僭越ながら、マグナカルタや権利章典がどうしてできたのか、という歴史的理由・意義について簡単にコメントさせて頂きます。スペースの関係上、根本的な政治的・社会的背景を本来は語るべきところですが、直接的な背景を端的に述べるにとどめる事とします。 (1)マグナカルタ制定に至るまで イギリス国王と貴族との関係がギクシャクしているという前史はあるのですが、端的に言えば当時のプランタジネット朝のジョン王が、 ・フランス王のフィリップ2世との闘争に負けて領土を喪失した ・カンタベリ大司教の叙任権をめぐって、ローマ教皇インノケンティウス3世と対決し、破門された というような、イギリス国王のメンツ丸つぶれな失敗を重ね、これによって失った領土などの補填のために国民(国民という言い方はまだ時代的におかしいですが)に課税しようとしたことが原因にあります。このような国王の恣意的な権力の乱用に歯止めを利かせるために、世界初の憲法として議会が国王に認めさせたのがマグナカルタ(大憲章)というものです。 ちなみに「憲法」とは、国家の基本法を指しますが、近代的立憲主義における「憲法」の役割は「国家権力を制限し、国民の福祉を保障する」ことにあります。マグナカルタが憲法たるゆえんは、国王の権力(国家権力ですね)を制限して、不当な課税や恣意的な政策から国民を守ろうとした事にありました。 (尤もマグナカルタはジョンの次の、ヘンリ3世が無視したため、シモン・ド・モンフォール議会が反対姿勢をとり、これが模範議会へと発展していった事は有名です) (2)権利章典について これもマグナカルタのときと事情は似ていますね。 エリザベス1世が死去してチューダー朝が断絶すると、スコットランドから新しい王(スコットランド王ジェームズ6世)をイギリス王として招きいれ、彼をイギリス王ジェームズ1世としてステュアート朝が創始されました。しかし、当時は絶対王政の時期でして、ステュアート朝も絶対主義を取りました。議会を無視して課税を強行したりしたため・・・議会は権利請願を発布しましたが、国王は議会を閉鎖しました。その後、短気議会、長期議会などが抵抗を続け、ピューリタン革命が起こり、国王は首をチョンパされました。 しかし、ピューリタン革命の英雄クロムウェルが終身護国卿となって独裁政治を行い、革命が無意味化したため、王政復古の機運が高まりました。こうして、再びステュアート朝が復古され、チャールズ2世がイギリスに戻ってきました。彼はブレダ宣言という宣言を出して、かつてのような絶対王政は行わないと約束しました。しかし戻ってくると実際には、ブレダ宣言を無視して専制政治を展開。次に即位したジェームズ2世も同じ路線を踏襲しました。 そこで、議会はジェームズの廃位を決定し、無血で彼を追放しました。そして、新たにオランダから温厚なオラニエ公ウィレムとメアリの夫妻を招き、彼らを国王としてウィリアム3世、メアリ2世として仰ぎました。しかしかつてのような失敗は二度と繰り返さないために、「王権に対する議会の優越」を国王に認めさせてから即位を承認しました。このときに彼ら国王に認めさせたのが「権利章典」です。 つまりたび重なる国王と議会との対立を経て、国王に強大な権力が集中する事を今後は未然に防ごうとしたものが権利章典でした。 以上長文失礼しました。

その他の回答 (2)

  • caesar-x
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回答No.2

マグナ‐カルタ (Magna Carta) イギリス憲法の土台となった文書。1215年6月、封建貴族たちがジョン王の不法な政治に抵抗して承認を強制したもの。63条からなり、国王の恣意的な課税の禁止し、臣下の既得権を承認するなど、主として封建貴族の権利を再確認したものであるが、その中には正当な裁判なくしてはいかなる自由民も逮捕、財産没収、追放をされないといった人身保護などの諸条項が入っていて、近代になって人民の自由と議会の権利を擁護したものと解釈され、権利請願(1628年)・権利章典とともにイギリス憲法の三大法典と称されるに至った。大憲章とも言う。 権利章典 (Bill of Rights) 1689年12月、イギリス議会がオランダから迎えたウィリアム3世に誓わせた前年の「権利宣言(Declaration of right)」に基づき国制を規定した議会制定法。国王は市民的自由や、議会の言論の自由を保障し、議会の承認なしに立法・課税、軍隊の徴発などを行えないとした、議会の権利を確認することにより、イギリス立憲政治の基礎を確立した。

回答No.1

マグナカルタとはイギリス憲法の土台となった文書の事ですね。権利章典もイギリスの憲法の土台となっている物です。簡単に言うと、マグナ=カルタは法による支配を記した物で、権利章典は国民の権利と自由を定めた物です。 下記の参考URLで検索すると少しわかるかもしれませぬ

参考URL:
http://www.tabiken.com/history/

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