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硫黄島攻略の戦略的価値
アメリカは、既にマリアナを占領しており、サイパンやテニアンからB29による日本焦土化は可能であったのに、 膨大な死傷者(26000人)を出してまで硫黄島を占領する意味はあったのでしょうか。無理をして硫黄島を攻略しなくてもその後の大勢に影響は少なかったと思うのですが。
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硫黄島の位置は当時の最大航続距離を誇るP51戦闘機を使用すれば日本本土上空までB29爆撃機を護衛するのに好適な位置にありました。 当時の日本軍の戦闘機は高空性能が悪く武器も貧弱でB29の撃墜は至難の業で、体当たりしか方法がない有様でした。 高射砲も高々度のB29に届くのは殆どない状態でした。 唯一の機会は夜間低空で侵入する都市爆撃の時くらいでした。 この時は夜間戦闘機月光や高射砲の活躍でかなりの損害を与える事が可能でした。 全体として日本の防空戦力は弱体でしたが、アメリカの空軍力による戦術には無視出来ない損害のレベルと判断し、硫黄島に空軍基地を設ける必要があったのです。 それにそれまでの島嶼奪還戦闘の経験から日本軍の抵抗は猛烈だろうが時間をかければ占領出来る自信があったのです。 しかし日本軍も数々の戦歴から硫黄島の防衛戦略を後退持久戦に切り替え要塞工事を十分にし兵力の増援も行って待ちかまえていたので米軍の損害は見積もりをはるかに越えたレベルになったのです。 アメリカ軍の戦略では空襲により日本の戦力と戦意の喪失を図らねば本土決戦での損害は膨大と予想していたので中型爆撃機と戦闘機の基地が必要だったのです。
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- SCNK
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マリアナ諸島からでは、日本を攻撃できるのはBー29に限られてしまいます。それに護衛の戦闘機が随伴できません。また被弾したり、燃料を使いすぎたりしたときに不時着する場所も必要です。事実、多くの米軍機が天候悪化などで遭難しています。 日本の主要都市を焦土化したのは、低高度夜間爆撃に切り替えた3月以降です。硫黄島作戦は2月ですね。3月10日の東京空襲では、焼夷弾を大量に搭載するため自衛用の機銃などは取り外したそうです。だいたい高高度用として作られたBー29に低空飛行を強いるのですから、燃料消費も大きかったのでしょう。Bー29をもってしても日本本土爆撃は荷が重かったというのが事実ではないでしょうか。 それと日本が降伏したのは8月ですから、まだこの時点では、その後の戦がどうなるかはわからなかったのでしょうね。時間関係はちょっと忘れましたが、この時点では、おそらくまだルーズベルトの存命中でしょう。ルーズベルトは日本に対して無条件降伏以外認めていませんでしたから、本土決戦になる可能性は大きかったと思いますよ。本土決戦となれば地上部隊を支援するための航空機が必要になりますが、何時間もかかるようでは地上作戦に呼応できません。まして戦術航空作戦では小型機が主に使用されます。少しでも近い場所に飛行場を構えたいと思うのが普通ですね。
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- kageroho
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皆様のお答えどおりです。B29自体、猛烈な火器を装備してはいましたが、斜め銃装備の月光など日本の夜間戦闘機には手を焼き、その場で落ちなくとも基地まで帰れない機が多数あったようです。 月光などは通常の戦闘機の敵ではないため、P51 の護衛が付いてしまうと全く歯が立ちませんし。 日本は無線傍受と方向探知で、サイパン、マリアナ、グァムそれぞれから、いつ何機のB29が向かったかはきちんと把握できましたが、残念ながらその編隊が関東に向かうのか中京か関西かが、直前まで全く分からなかったため、迎撃はほとんど出来ず、帰りの機を狙うしかなかったようです。そのためにも、ちょうどよい位置にある硫黄島は重要な拠点でありました。
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- phantom1
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No1及びNo2の方が挙げている理由以外では、コロネット作戦(本土上陸作戦の内の関東方面作戦)の策源地にする予定だったのではないでしょうか。
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- PENPENMAKKY
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B29の生産数、実配備数、喪失数をご存知でしょうか? 約4000機が製造されまして、前線には2000機ほどが配備されたとのことです。この内作戦機として行動したのが1200機だそうです。喪失は400機に達しています。つまり生産数の1割、出撃機の30%が失われたそうです。 日本の防空隊も利口でして、空襲後、無線を傍受(通信隊には大学の英語学科の人が優先的に配属されていました)し、仲間を助けつつ(対空砲で被弾して飛行が困難に陥っている仲間を他機が無線で応援していたそうです)サイパン、テニアンに向かう編隊を襲って撃墜してました。
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- sinobu_wednesday
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B-29は確かに難攻不落の「超空の要塞」でしたが、そうはいっても所詮は爆撃機、対爆撃機用装備の戦闘機にとっては撃ち墜とせない標的ではありませんでしたし、もし一機でもB-29が墜とされるとその被害は甚大でした。それは、機体も高価ですし乗員も多数(機体によっては十数名)、さらに軍事機密である排気タービンやノルデン照準器、通信機・地図などが日本軍に渡るリスクも合わせてのことです。 よって、B-29には護衛の戦闘機をつけることが望ましいのですが、サイパンから日本まで飛来して爆撃機隊を護衛できる戦闘機は米軍にはありませんでした。よって、硫黄島を落としてそこを拠点に陸軍航空隊の戦闘機を発進させ、日本本土を空襲するB-29の直衛をやらせようとしたのが硫黄島攻略の目的の一つでした。そのため、硫黄島陥落前の1945年3月中旬には、P-51戦闘機部隊の第一陣が既に硫黄島飛行場に進出しています。 もう一つは、これもB-29絡みですが、不時着用の飛行場が欲しかったことですね。エンジンの不調、日本戦闘機による攻撃などでサイパンまでの帰途につくことが出来ないB-29は、そのまま海中に没するか、さもなくば日本海に抜け中国・ソ連方面に飛ぶしかありませんでしたが、それは米軍の各種軍事機密をソ連に渡すことに他なりませんでした(実際、ソ連はB-29のコピー機であるTu-4の開発を進めましたし)。よって、なるべくなら日本本土に近い太平洋にB-29のための中継基地を置き、機体不調のB-29を収容したかったというのも硫黄島攻略の目的と言われています。
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