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B29の日本攻撃の物流規模

太平洋戦争においてB29はのべ3万機以上の日本来襲があり日本を焦土にしました。サイパン、グアム、テニアンから飛び立って来たのですが各飛行場にはどのくらいのB29が駐機してあったのですか?普通の 都市空港でも100機以上も駐機できないと思うのですが、また、B29はサイパン、グアム、テニアンまで米国本土から飛んで来たのですか?3島に対する燃料、爆弾、飛行士の食料、部品等々の物流はどんな だったか非常に興味があります。3島占領後に空港整備から日本空襲までの時間はそれほど長く無かったと思います。すごい物流規模ですね。 これが物流に関して知りたいです。

みんなの回答

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.1

ヨーロッパ戦線が片付いたのであちらの輸送能力をフルでこちらに振り向けられましたね ノルマンディーで使った5000ともいわれる船をことらに振り向ければ輸送や保管に事欠きません 燃料や弾薬は船に保管すればいいです 日本は攻撃力がないのだから海に浮いていても安泰です 50機保有として日に三回出撃すれば150機です このペースで200日出撃すれば3万機になります 昼も夜もよく来ました 高射砲の射程ぎりぎりに飛んでくるのですよ 猛犬を鎖ぎりぎりのところでからかっているような感じです 大人たちはも少しで届くのにと悔しがっていました

agekoba
質問者

お礼

そうですね。欧州戦線が片付いていたのですね。物流に興味がありまして、1945年にそんな大量の物流を計画して、実行したのは大したもんだなと思います。ありがとうございました。

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