初めまして。
お葬式の席であるのにもかかわらず場違いに、はしゃいだりするのは物事を、よく理解できない幼児と相場が決まっています。幼い子どもにとっては葬式でさえも一つの賑々しいイベントに過ぎないからでしょう。さすがに幼い子どもの年でなくなれば社会生活上、何かと不利があるので貴方のように口には出さず胸のなかにしまっておくまでです。
私の周囲にもいますよ。70代になっても他家の不幸ごとに出会うと、お手伝いに張り切りながら躁状態になってるような人。この年になったら、いい加減、自分自身も様々な苦労や不幸ごとを経験してきているはずなんですが、それによって他者の気持ちに寄り添うよりも「人の不幸は蜜の味」という感情のほうが強いのでしょう。本当の意味で年甲斐のない哀れな人だと思います。
ある意味、自分の安泰を確かめて安らいでいるというような心理かも知れません。
そう言えば昔、何かで読みました。
「うちの姉はテレビなんかで誰か亡くなったニュースを見ると♪ボク等はみんな生きている~生きているから楽しいんだ~♪と歌い出します・・・」
という投書。
貴方の場合まあ一口で言って人生経験が乏し過ぎる、不幸を味わっている人に心底から気持ちを寄り添わすことができない、それだけの想像力が培われていない、詰まりは若い・・・ということでしょう。
しかし、さすがに小さな子どもではないので表面にあらわにすればマズイということを、わきまえていらっしゃるし、こんなでは異常じゃないのか?と悩まれたりもするのでしょう。
貴方のような人は先にも述べたとおりイイ年の人間でもいることはいるのです。別に異常者として扱われてもおりません。ただ私のような観察者に陰で見抜かれ、この歳にもなって・・・と顰蹙を買うだけです。
貴方は御自分が異常ではなかろうか・・・と御悩みになるその御気持ちを、せめてもの幸いとして、先に例を挙げました老婦人のようなことにならないか、それは、これから御自身に降りかかってくる、あらゆる出来事それに対する感じかた捉えかた如何によるのだと御考えくださいまして、十年二十年三十年後に、こんにちのことを思い起こされてください。
そのときに御自身が内面の成長成熟を遂げられたかどうか御分かりになると思います。
お礼
うーん、そうですね。人生経験少ないかもしれませんね。 夢も特に無いまま、適当に勉強して、適当に就職して、今に至るわけですから。 それに私は死に対する認識が甘いかもしれません。 この頃よく感情が溢れだし、突発的に「人間なんか死ねば良いのに」「死ね」などの言葉を発してしまいます。 自分自身で相当病んでるなーと思います。 十年二十年三十年後に普通の人になっていることを心から望みます。 回答ありがとうございました。