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感情について
私は昔から場違いな感情を感じてしまうのです。 この前中学の時の友人が交通事故で亡くなり、線香をあげてきました。遺族が悲しんでいるのを見て、私は悲しいとは感じず、嬉しい、面白いといったら言い過ぎかもしれませんがそのような感情を感じました。 その友人とは、当たり障りのない話題ですがよく話し、普通のクラスメイトよりは仲がよく、二人の間ではケンカやいじめなどは全くありませんでした。 どう考えてもこれって異常ですよね? 普通の人が感じるようになりたいのですが手遅れでしょうか? 他にもこんな異常な人っているのでしょうか? どうかよろしくお願いします。
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初めまして。 お葬式の席であるのにもかかわらず場違いに、はしゃいだりするのは物事を、よく理解できない幼児と相場が決まっています。幼い子どもにとっては葬式でさえも一つの賑々しいイベントに過ぎないからでしょう。さすがに幼い子どもの年でなくなれば社会生活上、何かと不利があるので貴方のように口には出さず胸のなかにしまっておくまでです。 私の周囲にもいますよ。70代になっても他家の不幸ごとに出会うと、お手伝いに張り切りながら躁状態になってるような人。この年になったら、いい加減、自分自身も様々な苦労や不幸ごとを経験してきているはずなんですが、それによって他者の気持ちに寄り添うよりも「人の不幸は蜜の味」という感情のほうが強いのでしょう。本当の意味で年甲斐のない哀れな人だと思います。 ある意味、自分の安泰を確かめて安らいでいるというような心理かも知れません。 そう言えば昔、何かで読みました。 「うちの姉はテレビなんかで誰か亡くなったニュースを見ると♪ボク等はみんな生きている~生きているから楽しいんだ~♪と歌い出します・・・」 という投書。 貴方の場合まあ一口で言って人生経験が乏し過ぎる、不幸を味わっている人に心底から気持ちを寄り添わすことができない、それだけの想像力が培われていない、詰まりは若い・・・ということでしょう。 しかし、さすがに小さな子どもではないので表面にあらわにすればマズイということを、わきまえていらっしゃるし、こんなでは異常じゃないのか?と悩まれたりもするのでしょう。 貴方のような人は先にも述べたとおりイイ年の人間でもいることはいるのです。別に異常者として扱われてもおりません。ただ私のような観察者に陰で見抜かれ、この歳にもなって・・・と顰蹙を買うだけです。 貴方は御自分が異常ではなかろうか・・・と御悩みになるその御気持ちを、せめてもの幸いとして、先に例を挙げました老婦人のようなことにならないか、それは、これから御自身に降りかかってくる、あらゆる出来事それに対する感じかた捉えかた如何によるのだと御考えくださいまして、十年二十年三十年後に、こんにちのことを思い起こされてください。 そのときに御自身が内面の成長成熟を遂げられたかどうか御分かりになると思います。
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- souziki
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別に普通じゃないのかなぁ。 僕も普通の家庭で普通に育ってきてますけど、そういう時よくありますし。 愛がどうのとか言えるわけないし。 例えば、大きな事故があってたくさんの人が死んで、たくさんの遺族が泣き叫んでいるテレビを見て、嬉しくってたまらないのか、笑いが浮かんできます。 楽しいって言うか、面白いって言うか。 誰かが怒っているのを見て、笑いが止まらない。 まあ、そういうような。 普通の人が感じるようになりたい、なら、いろんな場面に言ってみるってのは? 冠婚葬祭。 もしかして、悲しすぎて感情がわやくちゃになっていたのかも知れませんしね。
お礼
よくありますね。 大きな災害があり死者の数が増えていくと妙に嬉しく感じてしまいます。 冠婚葬祭ですか、考えてみます。 回答ありがとうございました。
こんにちは。 私は昔から場違いな感情を感じてしまうのです。 この前中学の時の友人が交通事故で亡くなり、線香をあげてきました。遺族が悲しんでいるのを見て、私は悲しいとは感じず、嬉しい、面白いといったら言い過ぎかもしれませんがそのような感情を感じました。 この話、ウチの母がよくしていました。 お葬式で泣いている人の気持ちがよくわからない と言っていました。母も状況に合わないような 場違いなことをよく言います。例えば 十分に時間があるにもかかわらず今日は 宅急便の荷札を書かなきゃいけないから 早く早くと人をせきたてたりとか、 それくらい、2分もあれば書けるだろうと 思いますが、時間の感覚が異常に 人と違っていたりとか、表現が大げさすぎたり あるいは、さっぱり過ぎたり、偏っていたり 自分の世界みたいなものが確固として 存在していて、人とは、共感しにくい何かが あるようでした。それを昔から感じていて 真から友達ができないとか思っていたようです。 だからとても孤独だったようですが、 やはり、こちらの回答に書いていらっしゃる方が 言われるように、小さい頃母親に死なれ 愛情というものを感じられるずに育ったようです。 回答になっていませんが、このご質問を読んで 考えさせられました。
- oinieaga
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自分にとって、どうでも良い友人が死んでも悲しくないと思います。 単に、親が不敏だと思うだけでしょう。 その友人は、家族に愛されていたから、幸せだったかもしれません。 そう思えば、あまり悲しくありません。 どんな人が死んだら悲しいか考えてみましょう。 障りのない友人より、ちょっと意地悪な人や、思いっきり喧嘩した事のある人を失う方がよっぽど寂しいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >>どんな人が死んだら悲しいか考えてみましょう。 何人か頭に浮かんできました。こんな人がこれからもっと 増えればと思います。 ありがとうございました。
- vincero
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あなたがまだ若いからそのような、場違いな感情を抱くのだと思います。あなたは親と一緒に住んでいますね。親はあなたに対して厳しい方なのでしょう。 親からの愛情を理解できないと、あなた自身が不幸です。不幸な人が人の幸福を喜ぶことはできません。 不幸な人が喜ぶのは、自分よりも不幸な人を見つけたときなどが考えられます。 まずあなた自身が親から愛されていることに気づき、そして本当に自分から人を愛せるようになってほしい。 人を本気で愛することにより、若い時にはわからなかったことが、必ず見えるようになってきます。 まずあなたに必要なのは、責める自分自身を許すことです。愛される人になってください。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 私は今年で22歳になり、仕事をしながら一人暮らしをしています。 両親は本当に普通で悪いことをすれば怒り、良いことをすれば褒め、自分でも良い親だなと思います。 ただ、vinceroさんの言う通り親に愛されていると感じたことはありません。 また、人を愛したり、愛されたりと感じたことはあまりありません。 というか愛ってなんだ???と思ってしまう自分がいます。 ここら辺が問題なのでしょうか? 直せるよう頑張りたいと思います。 ありがとうございました。
お礼
うーん、そうですね。人生経験少ないかもしれませんね。 夢も特に無いまま、適当に勉強して、適当に就職して、今に至るわけですから。 それに私は死に対する認識が甘いかもしれません。 この頃よく感情が溢れだし、突発的に「人間なんか死ねば良いのに」「死ね」などの言葉を発してしまいます。 自分自身で相当病んでるなーと思います。 十年二十年三十年後に普通の人になっていることを心から望みます。 回答ありがとうございました。