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感情の薄い自分を変えたいです。
20代前半の女です。 私は生れつき軽度の障害があり、小さい頃、学年ほぼ全員から激しいいじめを受けていました。 そして常に知らない人人からもジロジロ変な目で見られ、人が怖く感じるようになりました。 障害があることで、出来ることに限りがあったり、親に何かをやりたいと言っても障害があるのだからとやらせてもらえませんでした。次第に自分は何も出来ないから、興味をもつだけ無駄だと思うようになりました。 学校では学年全体でねじふせられ、『お前なんかキモイくせにみんなと同じことするなんて生意気だ』と人権などありませんでした。 漫画にあるような、いじめの光景でした。 毎日辛くて、けれど誰にも言えず、人と関わることを経ち、出来るだけ目立たないようにしようとか、何を言われてもされても我慢して何も思わないようにしようって考えるようになりました。 がその結果、感情の薄い人間になってしまいました。 何かに興味をもったりすることもないし、楽しいとか、嬉しいとか、ほとんど感じません。 みんなが盛り上がっていても、何が楽しいのか全く理解できません。 なので、人と会話するのも本当に苦痛です。 人が怖いというのもありますが・・・。 何をきいても『ふ~ん。』ぐらいしか思わないので何て返したらいいのかもわかりません。 よく『人に興味をもてばいい』とか『趣味をみつける』とか聞きますが、私にそもそも『興味』という概念がないので、いくら努力してみても楽しいとか気になるといった感情がわいてきません。 こんな自分が嫌で変わりたいと最近思うようになりました。 私はどうしたらいいでしょうか? どうしたら熱い感情をもてますか? 人とコミュニケーションがとれますか? また私は交友関係がとても狭いです。 友達は学校で知り合った人しかいません。 家族関係の繋がり・・・友人の繋がり・・・仕事の繋がり・・・街中での出会いなど・・・普通の人は、そんな感じで交友関係を広げているみたいですが、初対面でどんなことを話して仲良くなっているんですか? みなさんはどうやって交友関係をひろげていますか?
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質問者が選んだベストアンサー
こんばんは。 身につまされますね。かつての私のようです。そして、多分今も引きずってるような気がします。 あなたの感情が失せてしまったのは、他の回答者の方の仰るとおり、その当時のあなた自身を守るための唯一の方法だったのでしょう。 私は高校時代に約3年くらい感情が消失してました。今でも交流のある同級生は、当時は「なにがあっても動じない人」という印象だったみたいです。ある状況下で周りが騒いでいても、ほとんど表情も感情も動かなかったので当然かもしれません。 でも、当時は感情が消えかかってるなど思いもよりませんでした。ちょうど体調を崩していた時期にも重なるため、なんとなく浮遊感漂う毎日だったように記憶してます。 感情が戻ってきたなあ・・と思った頃、ちょっと振り返ってみると、消失してしまった倍の時間が経過していました。一度失ってしまったものを取りかえすのは、時間のかかる作業なのかもしれません。 質問者さんは本当に長いこと、感情を打ち消していたようですね。今すぐ、周りの人と同じようにするのは難しいことです。 社会に出てから、どういうわけか初対面の人とも問題なくコミュニケーションが取れ、「話しやすいですね」とよく言われます。 意識しているわけではないのですが、相手から興味があると聞かされる物事について、会話を発展させていっているようです。自分が体験したことがないものであれば「どんな感じなんですか?」という感じで、相手に話をさせるのです。その話の中から「じゃあ、その感じって、●●(自分のと相手が体験したことのある日常的なもの)みたいな感じですか?」というような風に話を繋げています。 話題は本当にたわいのないものです。 テレビに出ていたお笑い芸人やら、電車に乗っていた時に起きた事やら・・そんなところです。変に難しく考えるのではなく、日常の中にある心に残った物事を話せばいいのです。 >こんな自分が嫌で変わりたいと最近思うようになりました。 そうですか。変わりたいんですね。いいことだと思います。 でも、この先、交友関係が広がって、以前の自分が嫌だと思うのはちょっと寂しいです。 かつての自分もまぎれもなく「自分」です。そして、かつての自分があるから「今の自分」がいます。紛れもなく、道は繋がってます。 質問者さんは、今までよく頑張ったと思います。辛いこともいっぱい乗り越えてきた。それだけで十分立派です。そして、これから「変わりたい」と強く願うあなたを影から支えてくれるに違いありません。 時々「人生のあの時をやり直せたら・・」という話を聞きます。私は一度も思ったことはありません。 辛いことはたくさんありました。あまり人に詳しく話したくないと思う思い出も多いです。でも、当時の「私」は嫌いではありません。 器用に生きることが出来ない性格だと思います。でも、それでいいとも思います。手を抜かずに生きてきた証だと思うからです。 最初の第一歩は、すごく大変だと思います。もしかすると、最初は半歩くらいしか前に進めないかもしれません。 でも「変わりたい」と思う気持ちも大事だし、なによりもたくさんの人に出会って、たくさんの話をすることが大切です。 たくさんの人とコミュニケーションする中で、きっと自分にあったやりかたが見つかると思います。 どうか、焦らず、ゆっくりやってみてください。
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- hyuuma8579
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さて、続けます。 話が長くなってしまいますので、結論からいいますね。 それは、自分だけの秘密を多く持つことです。 私達が打撃を受け、自分の心の喜びや力が どこから失われるようになるかといえば、口からなのです。 もし、自分の喜びがあって、相手をよく知らないのに、 自分の喜びを表現すれば、うっかり、自分の一言のゆえに、 自分自身が打撃を受けるようになるのです。 ですから、おしにならなければならないのです。 周りにいる人が、どんな人かわからないかぎり、 おしにならなければなりません。 これが、心情という慕わしさの宝物を持った態度です。 心情とは、熱き情を溢れんばかりに生み出す情の源泉のことです。 情の原動力になるものは秘密にしなければなりません。 何かに感銘を受けて喜んだ時、それを秘密にできないなら 自分の心の秘密を漏らすなら、自分の力が弱くなり始めるのです。 何故なら、秘密の心の力こそが、 自分の中の自分の中に宿る生命エレルギーであり、燃料だからです。 貴女の場合、たとえば、誰にも理解されぬ境遇に置かれた立場から きっと誰にも言えない、理解されない心の秘密があるはずです。 自分の心の秘密を持って、それを抱いたまま涙を流し、 闘いに勝利しなければならない内容があるのです。 ですから、実践せずに自分の事情や秘密をうっかり漏らしたなら 失敗の要因になるのです。 自分が苦労したり、胸がふさがったり、涙をながしたことは、 自分だけの秘密にしなければなりません。 そうしておけば、同じことを繰り返した時に感激できるのです。 その理由は、自分だけが味わった秘密だからです。 その境地に立って味わわないかぎり、感激できないのです。 ですから、心情を持った人は、秘密をたくさん持った人です。 情の通う人には、お互いだけが知る秘密の内容が多いのです。 貴女の質問、特に後半の質問からは、 一般的なコミニュケーションを望まれているのだとわかりますが、 貴女のような人が、わざわざそうすれば、もったいない気がします。 ただの交流の多さやたくさん友達がいるなどのメリットは 正直皆無に等しいからです。 誰とでも仲良くなればいいのではありません。 貴女自身の喜びを増やし人としての成長をもたらすには、 数よりも質です。多いことよりも深さです。 言葉は少なくて済んだ方がいいのです。 知り合いや友達が多ければ多いほど、使う言葉を間違えてしまうのです。 心情や原動力失ってしまうような言葉をたくさん話しているからです。 言葉ゆえに愛が減ってしまうのです。 貴女には心で通じ合えるたった一人心の友がいれば充分だと思います。 多くのただの友達を持つよりも心友や真友を持つことが、 幸せへの最短距離だからです。 貴女の置かれた境遇・・・不利な面が圧倒的に多いに違いありません。 しかし、決してそれだけではないはずです。 そんな貴女だからこそ受けている恵みがあるはずです。 その恵や悔しさが貴女の心の宝なのです。 その恵や涙を決して安易に人に言ってはなりません。 貴女のことがよく理解できる人が現れるまで!!
- hyuuma8579
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親に何かをやりたいと言っても障害があるのだからとやらせてもらえませんでした・・・ 貴女の親御さんが、そのように貴女の行動を制限なさった動機はどこにあったのかなと思います。 何故なら、貴女の置かれた境遇に対しての最も理解者であるべきはずだからです。 ところで、人は他者からの抑圧やストレスを受けるようになる時、バランス上それを発散しなければ生きていけません。 その行き場の一つが、「弱い者いじめ」と呼ばれるものです。 ですから、世界中どんな人の中にも「いじめ体質」は存在するのです。 特に島国日本は、大昔から現代にいたるまで「村八分」に象徴されるように根強く受け継がれてきたのです。 強い誰かあるいは何かの前に劣等感を感じるようになる時、どこかで優越感を得なければならないのです。 その優越感の対象こそが、強いものには向けられず、自分より弱い者に向けられるのです。 くじかれた心や折られた心を補おうとして、別の人の心をくじき、折らないと気が済まないというわけです。 ですから、障害を持ち、弱者的立場に見られる貴女をそういう目でみたり、いじめたり 差別したりする人がいたら、実はその人こそが本当に弱い人間だと言えるのです。 しかし、自分の弱さをごまかすために他人の弱さを見て満足を得ようとするのは、 人間として「卑怯者」と言えるでしょう。 しかし、どんな「愚か者」や「バカな人間」でも「卑怯者」よりはましなのです。 つまり、人間評価において、「卑怯者」は、最下層に位置するのです。 ですから、貴女というリトマス紙を通して炙り出されたそういう卑怯な人間は、 最初から相手にする必要はないのです。 普通は、いい人悪い人を見分けるのが困難なのです。 しかし、貴女の場合は、考えようによっちゃご自分への態度を通してはっきり最初から 質の良し悪しを見抜ける面があるので我々よりも得だなとも思います。 本題に入る前に前置きが長くなってしまいましたが、この続きは夕方にでも。
お礼
ご回答ありがとうございます。ご回答者様のお言葉、納得してしまいました。卑怯な人のために一生後ろ向きに生きていくのは勿体ないですよね。前向きに頑張っていきたいとおもいます。何でも話せる友達みつけられるといいな
- usamr
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環境のせいでそうなってしまっただけで、相談者様が特別変わっているわけではないとおもいます。 同様の体験をすれば、他の誰でも心を閉ざしてしまうでしょう。 出来ないことを無理してなさる必要はありません。 無理をすれば必ず歪が出ますからね。 アニマルセラピーをご存知でしょうか? 相談者様が変化をお望みなのでしたら、最初から対人間ではなく ご自分が抵抗なく接することができる相手から初めてみてください。 心のリハビリは焦ってはいけません。 動物は人間のような邪心をもちませんから、こちらの気持ちには純粋に反応してくれますし こちらが必要とするだけではなく、動物側もあなたを必要としてくれますので 相談者様にとって、とても良い環境がつくれるのではないかとおもいます。 URL貼っておきますので、ご興味ございましたらご覧になってみてくださいね。
お礼
ご回答ありがとうございます!アニマルセラピーですかぁ。最近犬をかいはじめたので再考になります。犬にはとても癒されてるし、何より恥ずかしいとか怖いとかいう感情がわいてこないので、自然になんでも話しかけることができます。
- s_momomo
- ベストアンサー率28% (75/267)
No.1です。共通を持つことで会話が弾む。 「うんうん」「そうだよね」「私も同じことがある」と賛同するだけで相手も「この話題ならわかってくれそう」と、次の会話に繋げられる可能性ができます。 また、同じようにこのページの質問についても「自分はどうしたら感情豊かに出来るか」ということをテーマに共通の話題について話している状態ですよね。 それは質問者様が興味のあることで、だからこそ「なんで?」という回答もできたはずです。 リアルタイムだと文章のように最初はうまく言葉をまとめられないかもしれませんが、相手の話を聞いて、頭に浮かんだことを相手に返してあげればいいですよ。 そしてご自分が投げた言葉への相手からの返事に恐れないことです。もう大人なのですから、学生の頃のように稚拙な態度を取る人はそうそういません。 「不快にするような質問で・・・」なんて謝らなくていいですよ。「なんでわからないの?」と怒る人はまずいません。 自信を持って、できることから始めてくださいね。
お礼
ご丁寧に回答ありがとうございます。たとえどんなちいさなことでも恐れず思ったことを口にしてみるように心掛けてきます。会話のキャッチボールができるようになれば、会話の楽しみもみつけられるかな?気長に頑張ってみます。
- kanburu
- ベストアンサー率13% (118/865)
>私は生れつき軽度の障害があり、 どのような障害でしょうか。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20256/40157)
今の貴方が悩んでいる感情の薄さという部分。 それには理由があるんだよ。貴方なりにそうせざるを得なかった。 そうする事で自分を守ってきた。その自分を否定したらいけないよね。 でも貴方の中にある本当の感情や本当の貴方らしさ。 その部分がやはり貴方に問いかけてくるんだよ。 こういう自分で自分を固めてしまったらしんどいよと。 やっぱり私も私らしく生き生きと暮らしたいと。 それが今貴方の中からメッセージとして出来てきた。 それを大切にするのはとても素敵なことだし、必要な事だよね。 ただ、それを急にやろうと思っても自分がついてこない。 今までの貴方が染み付いちゃってる。そこをこれから時間を掛けて貴方なりに変化をつけていく。自分が楽しい嬉しいを感じる前に、貴方は周りの様子を探ったり、どうみられているか的な気持ちに過敏になりすぎてるんだよ。それは仕方がない部分もあるけどさ、それが強いあまり自分の本心、感情にしっかり向き合えなくなっている。 それをこれからやっていくのが貴方の課題。 別に特別な事は要らないんだよ。 貴方なりに人が怖いという部分から改善していく。 残念だけど貴方をいじめたり悪く言う人が過去にはいた。 でも過去なんだよ。今じゃない。もうその人たちとは繋がりもない。 周りは今の貴方を見てる。いじめられてた過去の貴方なんて関係ないんだよ。その今の貴方を見ている相手を、貴方もしっかり感じる。受け止める。そういう小さな積み重ねの中で自分の中での怖さやトラウマが少なくなっていく。少なくなっていくと自然に相手と話したい、関わりたいう感情が溢れてくる。それが自然。貴方はその自然さにブレーキを掛けざるを得なかった。今まではね。でももう違う。 これから今の貴方で貴方なりに誠実に目の前の相手と接していく。感じていく。そこに障害は何も関係ない。交友はこれから貴方なりに活動していく中で広げていけば良い。その際に貴方も自分を解放していく部分も忘れずにね。少しずつで良いんですよ。貴方の人生なんだから。貴方のペースで。変えたいと思う気持ちを大切に。それを焦らず、でも怠らずに今後の貴方自身に活かしていく。過去は過去。今は今なんだからね☆
お礼
回答ありがとうございます。相手を感じ受け止める・・・という言葉とても心にのこりました。人との関わりに恐れ壁を作っていたとおもいます。自分なりにできることから少しずつ頑張っていきたいとおもいます。いじめていた相手はもういないんですよね!!
- s_momomo
- ベストアンサー率28% (75/267)
興味を持とうという心は大切です。 とりあえず、新しい人と会ったなら、自分から質問をしていったらいかがでしょうか? 年、誕生日、出身地、学校、仕事、趣味、普段はどんなことをして過ごしているのか・・・本当につまらないことからで構いません。 それで自分と共通点があれば会話のネタになるでしょう。(地元話、誕生日が近い、同じ趣味等) まずはその人との共通点を見つけることです。 自分が興味を持っている(知っている)ことだったら共感が持て、相手との会話もはずみやすいのではないでしょうか。 慣れていけば共通じゃないこと(知らないこと)についてどんどん質問していってその人を知ることです。 ご自分の知識も増えるのでためになりますよ。知識が増えれば別の場所で別の人とそれをネタに話せる日も来るでしょうし。 同学年の人からいじめられてトラウマを持っているのでしたら、まずは年上や年下、過去の自分のことをまったく知らない人と話してみるのもいいかもしれません。 年上の人は特に年が離れている分だけ、年下に対して気を使ってくれるので接しやすいはずです。 年がずいぶん上なのでご自分が気を使ってしまって逆に話し辛いこともあるかもしれませんが。 どちらにしても人とのコミュニケーションは、よほど口上手な人でなければ経験を重ねないとうまくできるものではないと思います。 「ふ~ん」も勉強の入り口だと思って、つまらなくても人のお話をよく聞いてみてください。「ふ~ん」「そうなんだ」「なるほど」と、ただ相槌を打つこともコミュニケーションの1つです。 何よりも大切なのは、その人と時間を共有することだと思います。 ご参考までに。
補足
早速回答ありがとうございます!せっかく回答いただいたのに、質問してしまって申し訳ないのですが『共通点』をみつければ自然に会話が弾むとのことですが、共通点てなぜ会話が弾むのでしょうか?不思議に思ってしまいました。共通点があっても『あ、そうなんだ。・・・で?』って思ってしまいます。それ以上に会話が思いつかないのです。共通点をみつけたからといって、特に何も感じません・・・。せっかく回答いただいたのに、不快にさせるような質問をしてしまい申し訳ありません。本当にわからなかったので・・・。 たくさん会話を重ねることが大切ってご意見は理解できました。そうですよね!過去の自分について話してみたり、どんな薄い内容でも会話をたくさんすることからはじめてみたいと思いました。
お礼
とても説得力のあるご回答ありがとうございます。過去の自分を、自分がきちんと受入、向き合うことからはじめてみようと思いました。過去をひきずり下を向いてばかりの人生より、過去の自分と共に前を向いて歩ける人生のが素敵ですね!他愛もない会話を発展させ楽しんでみようとおもいます。