脳死は、疾患名ではないので「脳死と診断される」のではなく、「脳死と判定される」ものです。
言葉だけの問題に限定すると、脳死とは脳という臓器が死んでいることを指します。
たとえば、指の付け根をきつく縛り上げて血液の流れを止めてしまうと、しばらくすると先が完全に死にます(虚血による壊死)。この場合、当該の指は死んでいて、血流を再開しても、どのように治療しても再生しません。
同様に脳死になると、脳は臓器として再生することはありません。
医術の進歩により、心あるいは肺が機能しなくなっても、「死」ではない状態が作出されました。その状態から、たとえば人工呼吸、人工心肺などでサポートしつつ、治療を続けることによって、一旦は止まった心・肺の機能が回復する可能性があり、実際、現場では医療者は奮闘しています。
ところが、外部から機械によって循環と呼吸をサポートして「温かい体」の状態を保っていても、脳という臓器が死んでしまうと、その患者さんは二度と再び生き返ることはありません。
「植物状態」と呼ばれる意識を失った状態では、脳(特に生命中枢)が生きていれば、外部からのサポートを続けることが可能ですが、脳死になると、遅かれ早かれ外部からのサポートも無効になります。
脳死になってから循環・呼吸のサポートを続けた患者さんを解剖すると、脳は溶けてドロドロになっています。
通常の経過で亡くなられた患者さんでは、脳は解剖図譜で見られる形で取り出されます。ところが、脳死になってから呼吸・循環を続けていることによって、脳だけが変性してドロドロになるわけです。
というわけで、脳死になった後で意識が戻ることはあり得ません。
ここからが問題です。
比較として例に出した指であれば、紫色から黒色に変色し、うっ血して膨れ上がり、痛みが生じ、その後痛みが消失して、待っていればポロッと落ちてきます。すなわち、指が死んだことを確実に判定できます。
ところが、脳が死んでいるかどうかは、直接見たりすることはできないので、外からの様々な所見から推測することになります。alfotoさんも、いろいろ調べられているようなので、ここで脳死判定基準を繰り返すことは致しませんが、脳死判定基準は、判定の手がかりの目安であって、脳死の定義ではありません。
脳死と判定されて意識が戻ったとすると、「判定した医師に過失があった」か、「判定基準そのものが誤っていた」ことになります。
上で述べたように脳死になると、遅かれ早かれ全身の死を迎えます。ということは、脳死の起点から明らかな全身の死に向かって、全身の臓器は徐々に(あるいは急速に)衰えていきます。
そのため、移植医療に携わっている医師は、少しでも早い段階で脳死と決めて臓器を頂戴したいと考えています。
臓器提供を想定していなければ、脳死が先に来ても、そのまま待っていれば済むことです。
少しでも早く臓器が欲しい側の便宜を受け入れて、脳死の判定基準が甘い(基準を満たしていても、まだ脳は本当に死んでいないのではないか)という意見があり、議論となっています。
判定基準の考え方は国によっても違いがあります。医学的な見解の相違だけでなく、法制化の有無にも違いがあります。
判定をしようとする行為自体が、患者に負担をかけて死を招く不法行為であると主張する人もいます。
「脳死」から意識は戻らないが、判定は大丈夫? というのが、現時点の知見です。
お礼
どうも詳しくありがとうございます。 そうですよね、判定、ですよね。自分でも文章読んでてなんかしっくりこないなーとは思ってたんですが。ようやくしっくりきました 笑。 実は妹が脳死と判定されていたのですが、判定されてから二週間ちょっと前でなくなりました。 まだ16なんですよ。悔しいです。 やはり医療科学の力には逆らえませんね……。 どうもありがとうございました。