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ルビンコン川ってどこにあるの?
一線を越える時などに「ルビンコン川を渡る」という表現を聞きます。 戦争の時に用いられたフレーズのようですが、どこにある川のことなのでしょうか? また、このフレーズが使われた状況をご存知でしたら教えてください。
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こんばんは。 イタリアです。 ちなみに「ルビンコン川」ではなく「ルビコン川」ですよ。 ルビコン川はイタリア北部を流れる川で、共和政末期のローマにおいてローマの本土であるイタリアと属州の境界線をなしていました。 紀元前49年1月10日、カエサル(シーザーですね)が「賽は投げられた」の言葉とともにこの川を渡ったり進軍したことで有名です。要するに、不退転の決意をして渡ったということですね。 カエサル以前はイタリアと属州ガリア・キサルピナ(アルプスのこちら側のガリア)を分ける古代ローマの北の防衛ラインとされ、軍団を連れて、この川を越えて南下することを法により禁じられていたのを破ったんですね。 ちなみに以前テレビで観たんですが、「川」というにはあまりに幅が狭く、「ルビコン溝(みぞ)」見たいな感じで、以外でした(もっと広大な川を想像していたもので。) http://yama-tabi.net/sekai100kw/sekai1kw.php?p1=39
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- Diogenesis
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#1です。 先に書いたポンペイは英語読みで, 日本では普通ポンペイウスと表記されます。 カエサル,クラッススとともに第一次三頭政治を行なった三執政のひとりです。
お礼
たびたびのご回答、感謝いたします。 古代史は全く知識がなかったのですが 今回の質問とご回答で興味が湧いてきました。 ありがとうございます。
こんばんは。 ルビコン川のことかな? 「賽は投げられた」で有名な川です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 リンク先は参考になりました。
- kamuten
- ベストアンサー率43% (118/271)
こんばんは。 「ルビコン川」ですね。 イタリアの北部にあります。 古代ローマ時代の政治家であり軍事指導者であったカエサル(ジュリアス・シーザー)が、当時の軍事境界線であったこの川を渡るときに「賽は投げられた」と言ったとされています。当時はこの川を軍隊を率いて渡ることは禁止されていたといわれています。 現在の河川名は「ルビコーネ川」のようですね。
お礼
古代史の知識が全くない私ですら聞いたことのある名称が 現在では使われていないというのは意外でした。 禁止されていた場所を渡ったことが、この台詞が 重要なものごとを決行した際の代名詞のように使われる所以なのですね。 とても参考になるご回答でした。ありがとうございました。
- te12889
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惜しい! 「ルビコン川」ですね、たぶん。
お礼
ご回答ありがとうございます。リンク先、参考になりました。
- fufu01
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>どこにある川のことなのでしょうか? イタリア北部を流れる川で、共和政末期のローマにおいてローマの本土 であるイタリアと属州の境界線をなしていた >このフレーズが使われた状況 ルビコン川は、イタリアと属州ガリア・キサルピナを分ける古代ローマの北の防衛ラインとされ、軍団を連れて、この川を越えて南下することを法により禁じられていたが、紀元前49年1月10日、ガイウス・ユリウス・カエサルが「賽は投げられた」の言葉とともにこの川を渡って、ローマはカエサル派とポンペイウス派の内乱に突入した。 こんな状況です。 ルビコン川を渡るとは、もう引き返すことのできない最後の一線を越えてしまった場合に使われますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 太平洋戦争の時のフレーズではないかと想像していましたが そんな昔のヨーロッパでの出来事だったとは意外でした。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
ルビコン川ですね。 イタリア中北部を東流してアドリア海に注ぐ川です。 古代ローマ本国と植民地ガリア・キサルピナとの国境になっていました。 カエサルが「賽は投げられたり」と言ってこの川を渡り, ローマに進軍してポンペイを破った史実で知られています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 古代ローマでの話だとは意外でした。 「賽は投げられたり」という有名な台詞の舞台だったことも二重の驚きです。
お礼
詳細なご回答と現在の状況をお教えいただき感謝いたします。 歴史はすべて人がつくったということなのでしょうか、 歴史的な場所が意外とこじんまりしているというのも 非常に興味深い話でした。