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「もったいない」という言葉
前向きなニュースに水を差すつもりはないのですが、素朴な疑問です。アフリカの活動家が「もったいない」という日本語に感動したとかで、世間では最近、それが日本独自の表現だと思われているフシもあるようですが、そんなことないですよね。少なくとも英語には「What a waste!」という表現があるし。何をそんなに騒いでいるのでしょうか?
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- matchang
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#5です。 英語というのは、私たちが普段使っている日本語や漢字の表現力に比べて、少し舌足らずなところがありますよね。それを質問者様の言うように、実に日本語的な解釈が出来るのは、シチュエーションがあってこそなんですよね。 英語というのはシチュエーションの中で、詳しい意味や、細かいニュアンスが生きてくるものなんですね。 日本よりも遥かに進んだリサイクル先進国については、「勿体無い」と同じ感覚の方もいれば、そうでない方もおられるでしょうし・・・。まあこれは表現どうこう精神的な問題ですよね。 マータイさんとしては、一言でズバッ!と言い表せる言葉が欲しかったのだと思います。その中で「勿体無い」は、コンセプトとして掲げるには、とても便の良い言葉だったのでしょう。 どこでどのように使っても、ニュアンスは生きてきますしね。 またこれは勝手な想像ですが、環境保護の合言葉として、普段使い慣れた英語より日本語を選ぶ事で、無意識的に呪文のような雰囲気を覚えているんじゃないかと思いますね。
- hanpty
- ベストアンサー率13% (12/88)
私見ですが、「後悔」ではないでしょうか。 無駄にしてしまったと言うときには、残念だと思いこそすれ、ゴミを捨てるときに後悔のニュアンスが混じる事は少ないのではないかと。 wasteには「機会を無駄にする」という意味もあるので微妙なところですが、日本人は食べ物を腐らせてしまい捨てるときに「勿体無い」と言いますよね。その時に「食べ物さん、腐らせてしまい、食べてあげられなくてごめんなさい」と言うニュアンスをこめるのは米粒一つに八十八の神様が宿ると言う日本の特色なのでは? アフリカの普及している神話民話で食べ物に神様が宿り人と交渉を持つといったものは寡聞にして知らないので、物を捨てるときに人間に対するような感情を持つ文化があるという事を知ったら・・・感動してもおかしくないのではないかと。
お礼
なるほどねえ。八十八の神様的観点からは考えてもみませんでした。やはり、世間では、そういうふうに「もったいない」をとらえて話題にしているのでしょうか。いずれにしても参考になりました。ありがとうございます。
- matchang
- ベストアンサー率42% (67/158)
「勿体無い」という言葉は、ただ浪費している、無駄だ、という意味に収まりきらない言葉なんですね。 「勿体」というのは物体の本質のこと。本質が無い。つまり、その物にある本来の意味や価値を、理解しない、あるいは活用せずに浪費することが「勿体無い」という言葉なんです。 こういった日本語にある独自のニュアンスを、「What a waste!」と同じとは言い切れませんよね。 そういうことです。
補足
回答をありがとうございます。そうかあ、同じとは言い切れないんですねえ。私が正しく理解していないのかもしれません。でも、そうなると私もますます興味が出てきてしまいました。例えば、映画『レス・ザン・ゼロ』で、ドラッグと手を切ろうとする主人公が上等なコカインを捨てる様子を見て、ドラッグ漬けの“友人”たちが「What a waste」と言います。また、教育テレビの英語講座で、自分はベジタリアンだからと上等なフォアグラをグルメでもない人に全部あげた夫人に対して、もらった人が「You're wasting it on me!」と、「フォアグラの価値も分からない私にくださるなんて」というニュアンスで言います。また、ドイツに代表されるような、日本よりも遥かに進んだリサイクル先進国はたくさんあります。こういうことは決して特殊な例ではないと思うのですが、そういう各国の感覚と「もったいない」は違うのでしょうか。すみません、議論をするつもりではないのですが、どうも自分の疑問がすっきりと解決しないものですから。どなたかお暇なときに教えてください。「もったいない」をもっとよく理解したいです。
- karrin
- ベストアンサー率19% (159/833)
他の方々と 同じような意見になるかも しれません 「もったいない」という言葉 でなくて 「もったいない」という 精神というか 考え方 文化が ないということだと 思います 我が国でも 「もったいない」という言葉はあっても その 精神が 実感してわかり 実践しているのは お年寄りに多く 若い世代は やはり 「消費は美徳」という 風潮ができたあとに 生まれた人が 多く 「もったいない」という感覚が あまり ないような気がします いずれにしても マータイさんが 「もったいない」という感覚を 世界に アピールしたいのではと 思います
お礼
さっそくの回答をありがとうございます。私の説明が足りなかったのですが、マータイさんがおっしゃったことに対しては異論はないし、むしろ、素晴らしいことだと思います。ただ、その影響なのかなんかのか知りませんが、投書欄を見たり、友人の話を聞くにつけ、「もったいないという概念を中国人にうまく説明できなかった」「もったいないという概念は、アメリカにはないの?」など、やや見当違いとも思える「もったいない論議」が一人歩きしているような気がして、皆さん、どう解釈されているのかと思ったのです。余談ながら、ケニアについてはわかりませんが、スリランカなどいろいろな発展途上国では、「ゴミ集積所から貧しい人たちが使えそうなものを勝手に持って行ってくれる」という「天然のリサイクル」がなされているようで、それが許されない日本は、むしろ、マータイさんの言葉を噛みしめて、「もったいない」という概念をますます大切にしないといけないなと思っています。
- shades
- ベストアンサー率23% (6/26)
もったいないにあたる言葉がないのではなく、もったいないという文化を知らなかったマータイさんが『もったいない』を国際語にしようと世界にアッピールしたのではないでしょうか。
お礼
さっそくの回答をありがとうございます。私の説明が足りなかったのですが、マータイさんがおっしゃったことに対しては異論はないのですが、その影響なのかなんかのか、投書欄を見たり、友人の話を聞くにつけ、「もったいないという概念を中国人にうまく説明できなかった」「もったいないという概念は、アメリカにはないの?」など、やや見当違いとも思える「もったいない論議」が一人歩きしているような気がして、皆さん、どう解釈されているのかと思ったものですから。
- melgirl
- ベストアンサー率39% (142/364)
「もったいない」という言葉の存在に感動しているわけではなく、その精神のことを指しているのだと思います。アフリカでは、日本のように、古紙・ペットボトル・ダンボールなどリサイクルという概念がないらしく一回使ったらそれはゴミになるのだそう。 「もったいない」精神で物を大切に使おう・使いまわそうということですね。 言葉の存在の問題でないことは上記に述べた通りですので分かっていただけたと思いますが、"What a waste!"は英語であり、アフリカンはEnglishではなくArabicが母国語だと思うので、もしかしたら彼らの言語そのものに同等の表現が無いのかもしれません。
お礼
さっそくの回答とリンクをありがとうございます。私の説明が足りなかったのですが、マータイさんがおっしゃったことに対しては異論はないし、むしろ、素晴らしいことだと思います。ただ、その影響なのかなんかのか知りませんが、投書欄を見たり、友人の話を聞くにつけ、「もったいないという概念を中国人にうまく説明できなかった」「もったいないという概念は、アメリカにはないの?」など、やや見当違いとも思える「もったいない論議」が一人歩きしているような気がして、皆さん、どう解釈されているのかと思ったのです。余談ながら、ケニアについてはわかりませんが、スリランカなどいろいろな発展途上国では、「ゴミ集積所から貧しい人たちが使えそうなものを勝手に持って行ってくれる」という「天然のリサイクル」がなされているようで、それが許されない日本は、むしろ、マータイさんの言葉を噛みしめて、「もったいない」という概念をますます大切にしないといけないなと思っています。ちなみに、ケニアの国語はスワヒリ語ですが、公用語は英語ですよね。^_^
- micchan32
- ベストアンサー率22% (240/1054)
まぁ、騒いでるわけでは無いでしょうけど、日本の文化に共感したという事でしょうね。 言葉は別にして、アメリカを筆頭に多くの国では消費する事が美徳とされている傾向にあります。 私は発展途上国に数カ国行ったことがありますが、「もったいない」という言葉は(辞書には載っていますが)理解してくれませんでした(私の勉強不足かもしれません)。 アフリカの活動家とは「ケニア副環境相のワンガリ・マータイさん」ですよね?たぶんケニアにはそういう「もったいない文化」が無いんだと思います。 知識のない人々に対して「もったいない」という考えを持とうとする事は環境破壊抑止に大きな一歩になるかもしれませんね。 (答えになってませんね。すみません)
お礼
さっそくの回答をありがとうございます。私の説明が足りなかったのですが、マータイさんがおっしゃったことに対しては異論はないし、むしろ、素晴らしいことだと思います。ただ、その影響なのかなんかのか知りませんが、投書欄を見たり、友人の話を聞くにつけ、「もったいないという概念を中国人にうまく説明できなかった」「もったいないという概念は、アメリカにはないの?」など、やや見当違いとも思える「もったいない論議」が一人歩きしているような気がして、皆さん、どう解釈されているのかと思ったのです。余談ながら、ケニアについてはわかりませんが、スリランカなどいろいろな発展途上国では、「ゴミ集積所から貧しい人たちが使えそうなものを勝手に持って行ってくれる」という「天然のリサイクル」がなされているようで、それが許されない日本は、むしろ、マータイさんの言葉を噛みしめて、「もったいない」という概念をますます大切にしないといけないなと思っています。
お礼
わざわざとてもご丁寧にお答えいただきありがとうございました。皆さんの回答を拝見するにつけ気づいたのですが、私のまったく個人的なとらえかたではあるものの、マータイさんが打ち出された「ここ(日本)には素晴らしいものが“ある”」という肯定志向な趣旨が、「あちら(日本以外)には、それが“ない”」という、やや否定志向な意見をチマタで導いてしまっているのが、ちょっと私の琴線に触れてしまったのだと思います。私が第二母国語を持つ人間であることも災いしているのでしょう。