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朝鮮半島の圧制と専制
最近朝鮮半島関係のニュースを良く見るようになりました。あわせて朝鮮半島の歴史も多少勉強しました。それで私が受けた印象なのですが 朝鮮民族(韓民族)は専制と圧制に甘いような印象を受けます。李氏朝鮮末期や今の北朝鮮みたいな状況が他の民族だったら革命やクーデターが起きてると思うのですか? 今の韓国にしても北朝鮮の圧制に腹を立てているような人が大変少ない印象をうけます。 どう考えますか?
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- kh33
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試し斬りを例に引っ張り出したのは、制度の説明するためです。試し斬りはなかったとおっしゃるなら、それでかまいません。 家族の誰かが、生活のために朝出て、どこかで武士に切られ、もう帰ってこない、ということになると、切られた人の家族の心情はどうでしょうね。どこに訴えればいいですか。その時代背景の中で。肉親が殺されても言いたいことは言えない。圧制ということは、こういうことではないでしょうか。幕府時代では、このような上下関係が続いていたのでは?ま、諸大名の台所の事情が苦しくなってから、町民の力、というか、商人かな、は少しずつ上がってきていましたね。 軍部統制時代は?政治体制に文句をつけたらどうなっていました?誉められて名誉市民にされましたか。下手すると、牢屋行きでしたよね。言論自由はあったのでしょうか。 日本だけではなく、世界中沢山の国がこのような時代を経験しているはずです。ソビエトの粛清、中国の文化大革命、アメリカの赤狩・・・・・・みんな同じです。私はこれを「圧制」だと判断します。 民主主義と言っても、「民」が「主」になっていますか。選挙制度があるけど、自分が投票したその人がどのような人なのか、本当に分かっていますか。普段どこのクラブに居るか分からず、選挙直前に出てきて、おばあちゃんの手を引いて道路をわたる連中ですよ。ま、全部はそうではないですが、いますよ。選挙が終わってもやっている人、見たことがありません。ないとは言っていませんよ。見たことも聞いたことがありません。 「政務調査費」に関する番組がありましたよね。テレビで取り上げられても、誰一人処分を受ける政治家がいませんよね。国民は自分の血税がこのように使われても、どうにもなりませんよね。どうにもなっていませんよね、少なくとも。 それで一般庶民は満足していると言えるなら、仕方がありません。社会にそれだけの富を生み出しているから、吸血鬼くらい養っていけるということですかね。 ただし、日本は、国民の言論自由はかなりの程度で守られる時代に入りました。これは評価されるべきです。だからといって、昔言論自由のなかった時代を、「圧制に腹を立てているような人が大変少ない」とか、「日本民族は専制と圧制に甘かった」と言うのは、どうかなと思いますけど。
- SPQR
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No.3の方のおっしゃる試し切りが江戸時代のいつどこで行われたのかは、私は聞いた事が無いし、昭和戦前期における軍部による政権壟断も、「大正デモクラシーなどの議会政治→金に汚い政治家が米英に屈従する資本家と結託した政治」にウンザリした一般庶民が、「清廉潔白なエリートである軍人さんが、米英に毅然とした態度で臨み、独ソなど当時急速に国力を伸張させていた国を手本にした政治」として歓迎していた側面もあるので、果たして一般庶民が「軍部による圧制」と捉えていたかは疑問ですし、米軍が駐留している先進国は日本以外にもドイツ、イギリス、イタリアなどがあるので、意見が大分違うと思いますが、 今の世の中でも昔でも、自国の政府に対して一揆・暴動を起こすと言うのは犯罪になるので、一般庶民の方からすると、その後ろめたさを正当化する思想が無いと中々起こしにくいのだと思います。古今東西の革命などもきっかけは重税や飢饉、圧制に対する不満でも、このような思想が革命の成功を強力に後押ししたと思います。 中国の歴代王朝の交替は「易姓革命」と言う思想によってるし、アメリカ独立やフランス革命はロックやルソー、モンテスキューなどの「近代啓蒙思想」、ロシア革命は「マルクス主義思想」、イラン革命はコーランの教えに忠実な政治を行うと言う「イスラム原理主義的思想」によってます。 こういった思想の他にはその国の革命を支援し、当該国の混乱や、当該国に対する影響力増大をねらった外部勢力の存在があったりします。 朝鮮半島の場合には、李朝末期も現在の北朝鮮にも一般庶民の側に政府を打倒する為の思想が無い事が、政府の圧制に腹を立てている人がいても、今一つ大規模横断的な暴動に発展しないのではと思います。加えて周辺国も革命による急激な政権転覆は望んでいないので、反政府勢力に援助するなどと言う事も無く、むしろ現政権に食料援助などを行ったりしていますし。まあこの先はどうなるかは分かりませんが…
- kh33
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一つの民族はどうのこうのというのは、客観的ではないと思います。 日本の歴史を振り返ってみましょう。百姓はどれだけ武士階級に圧迫されていたか。物申すだけで、正論でも、取り上げられても、打ち首でしたよ。なのに、今のテレビドラマでも、時代劇なんかは、お上に頼りっきりですよね。 新しい刀を試すのに百姓や町人を切る武士がいましたね。逆だったらとんでもないと思いますよね。 近代になって、軍部が実権を握っていた時代、誰か一般市民が立ち上がって反抗して成功したんですか。 その軍部を倒したのは、実質上アメリカ軍でしたよね。 未だに外国の軍隊が占領軍として駐留している先進国って、他にありませんよね。日本列島の上空を飛んでいるのは米軍機ですよ。 ま、言い始めたらきりがないですが、一つの民族、一つの国を評価するのに、ちと下調べが足りないじゃないかと思っていますが、間違ったら謝ります。
ちゃんと起きていますよ。 ただし、基本的に一般人への教育と言うものがまったくと言っていいほど行われていませんでした。朝鮮にあった教育は、貴族である両班たちの儒教や漢詩の勉強ばかりでした。つまり、一般人や奴隷である白丁は文字も読めず論理的な考え方などありません。実際に、日本が併合した直後の識字率は漢文を中心に、わずか10%程度だったと言うのが有名です。つまり、文字を読めたのは事実上貴族のみといっていいでしょう(ちなみに終戦時点で漢字+ハングル混じり文+日本語の識字率は80%)。 こういう状況ですから、革命といっても単なる暴動レベルで終わってしまったのがほとんどだと推測できます。マトモに革命を起こして新たな政権を作るには、教育水準がある程度高いことが要求されるからです。あるいは、少なくともまともな思考力が要求されます。 ところが朝鮮の場合、儒教と小中華思想、事大主義、人知主義により、働かないほうが偉い、技術職は卑しい、偉い人は何をしても良い、強いほうには徹底して従う(そのためには極力武装もしない)、漢文と儒教だけが学ぶ価値のあるもの、という具合で、堅実さと言うものと程遠い状態です。これに加えて、声闘(ソント)といって、議論する場合には「声の大きいほうが正しい」「怯ませたら勝ち」「そのためには嘘をついてもいい」という論理性と程遠い議論方式がまかり通っていました(現在でもそうです)。 こういう状態ですから、正常な政権交代が起こる図式ではなかったわけですね。 #親の代から子の代に移るのも政権交代ではありますが、革命等によりまったく別の政権へ移ることを言ってます。 実際の暴動の例としては ------------------------------------------------- 朝鮮朝後期の下層民衆の最初の大きな抵抗は、仁祖元年(1623)の「李○(イファル)の乱」であろう。漢城(ソウル)が一時陥落したほどのこの乱は、奴婢層が呼応し、それが主流となったものと考えられる。壬辰倭乱以後、階級間の矛盾が急激に深化し、賎民(奴婢)は自衛のために秘密結社をつくった。仁祖年間(1623-49)、南原を中心に全羅南道地方に急速に広がった殺人契(サリンゲ・契は利害を共有するものの集団)の動きはその代表的なものである。両班層は彼らからの報復攻撃に備えるため、東莱(釜山)から日本の銃を輸入して自己防御につとめ、殺人契員の報復を恐れて、両班が殺害された場合にも官に告発することさえもできなかった。 また1629年、西北地方(平安道・黄海道)の平民流浪民と賎民流浪民が中心となった明火賎(ミョンファチョン)集団は、漢城を攻略した。彼らは両班のいない平等な社会を実現しようと14ヵ条の社会改革案を作成し、奴婢の良人化や権勢家の農場没収などを求めた。17世紀中葉にも下層平民や賎民の抵抗は激化した。1646年に起きた忠清・全羅道の民乱である林慶業の乱がそれである。林慶業将軍が募軍起兵するとの旗幟のもとに私奴と平民1000余人が集まった。 (中略) 下層民衆の抵抗は、17世紀末葉にも引き続いた。1684年、賎民層の秘密結社である香徒契(ヒャンドゲ)が中心となった殺主契(サルジュゲ)・剣契(コムゲ)の動きがその例である。彼らの綱領は、(1)両班を殺戮すること、(2)両班の婦女子を劫奪すること、(3)両班の財産を奪取すること、であった。これらの組織は、漢城内の家奴が中心となった17世紀初めの湖南地方の殺人契とも相通じるものがある。このような下層民衆の抵抗は、彼らの平等社会への渇望を表現するもので、当時「真人(救世主)が出現」するという信仰が平民・賎民の間で高潮した社会的雰囲気があったのである。 ------------------------------------------------- http://mirror.jijisama.org/kankoku_heigou1.htm のような感じですね。烏合の衆による略奪・殺戮・婦女暴行。現代でもしばしば行われている、大陸の定番です。 #1の方の言われているのは甲午農民戦争、いわゆる東学党の乱ですね。 http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/tougaku.html 指導者の下にがんばって活動していたようです。没落とは言え両班だそうですから、やはりそれなりの教育水準があったことでしょう。こういうまとめ役が革命には必要です。 また、李完用あたりになるとかなり腹の座った活動を起こしています。市民革命などとはちょっと違いますが…。 ------------------------------------------------- 李完用はこの高宗退位を受けて、無知蒙昧な庶民の反感を買い、暴徒に自宅に火を付けられるなど命がけの政治を行っている。 なお、日韓保護条約締結の際にも暴漢に刃物でめった刺しにされるなど重傷を負っている。(後にこのときの傷が元で李完用は他界している) 世界の歴史を振り返れば、数多くの悪の為政者たちが存在した。 自己保身・出世栄達だけを考え私腹を肥やし非道の限りを尽くしてきた為政者達も多くいる。 だが、そのような悪の為政者であったと言われる李完用は命を晒して朝鮮の未来のために尽力してきたのではないか。 悪し様に罵られるだけの為政者がここまで政治に命を懸けることが出来るであろうか? また、李完用は公式の場において日本語を使うことは一度もなかった。 もちろん李完用は日本語を話せたのだが、朝鮮民族としての矜持を日本語を話さない事で示していたのである。 高宗に刃物を突きつけ退位を迫っただの、根も葉もない作り話で彼を罪人扱いする輩は李完用の本当の姿を全く知らないのであろう。 ------------------------------------------------- http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi33.htm ちなみにこの人、日本人とは英語でやり取りしたそうなので、彼の能力や教育の度合いの高さがわかりますね。 こういうわけで、革命等の動きを行うレベルの教育水準ではなかったという解釈がいいのではないかと思います。 1910年の日本による併合以降、朝鮮の女学生でさえデモを行えたと言う記録があるらしいですし(ソースは失念。ただし李朝の時代は女性は外は危険だったため、家の中にいるものだった。これはイザベラ・バードの「朝鮮紀行」から)。併合前から伊藤博文が推し進めていた、学校・教育の普及と明確に関係があるものと推測します。 ちなみに比較対照として、日本の江戸時代の識字率は、少なく見積もって60%、高い見積もりだと90%。武士に限定すればほぼ100%だとのこと。 http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/rekishi/Shikijiritsu.html http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=123255&GENRE=sougou http://www.wako.ac.jp/icc/icceduweb/fukasawa_01/fukasawa_01_rep16.htm 確かに農民の日記・和算の記録等残っていますしね。 #日本では農民でも微分積分や代数学、三角関数等学んでいた人もいた。
- SCNK
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甲丑(すみません字は自信がありません。)農民戦争、義兵運動、抗日パルチザン(東北抗日連軍)、麗水事件、学生クーデター、朴大統領暗殺事件、光州事件などは知りませんか。 北の情報は限られているので、詳しくはわかりませんが、単発的に発生しているという話も伝わってきてますよ。
お礼
ありがとうございました。比較的、納得できる点があったと思います。革命理論が必要だという指摘は、その通りだと思います。そういえば、井沢元彦氏は、山城の国一揆が加賀一向一揆と比べて短く終わった理由は、革命理論がなかったというようなことを書いていました。