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「守破離」の「破」と「離」の違い
「守破離」という言葉を最近知ったのですが,「破」と「離」の違いがよく分かりません。 「こういうことを言っているのではないか?」と言う考えを聞かせてください。 具体例をあげて頂けるとうれしいです。 また,この言葉は誰の言葉なのでしょう? ご存じの方教えてください。 私は柔道をしていたので,柔道に当てはめると, 守,技のかたちを覚える。 破,技の細かい所を工夫し自分のものにする。 離,今までにないオリジナルの技を作る。 と言った具合なのだろうかと解釈し, 守,型を守り型を覚える。 破,型を破り試行錯誤する。 離,型から離れ新しく型自体を作る。 と言うことを言っているのだろうと考えているのですが, ネットで検索し,いくつか説明されている文章を読んだのですが, この解釈で良いのかもよく分かりません。 よろしくお願いします。
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「守破離」とは、修行の段階をあらわす教えで、600年前に能の世阿弥が「風姿花伝」(「花伝書」ともいう。)のなかで展開した芸能論の一部です。(書かれたのは非常に古いのですが、実際この書の存在が確認されたのは明治以降です。それまでは口伝という形で代々伝えられたようです。) 私は剣道をやっておりますので、これに当てはめると、 「破」は守の段階で學んだ基本に自分なりの工夫を加えたり、自分にあった形で打突する段階をいい、「離」は基本を中心にすえながらも、形にとらわれず、機に臨んで自由な打突を得られる段階のことだと考えております。 つまり、「離」とは、新たなワザや形を工夫するというより、むしろ「形にこだわらない」あるいは「形にとらわれない」境地(形から離れる境地)と解釈しております。
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- sophia35
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おはようございます。 「守破離」とは、誰の言葉かは分りませんが、元々は剣道の精神をあらわす言葉です。 私は生憎と武道ではなく工芸なのですが・・・私の師の口癖でもありました。 ほぼ同じように解釈はしておりますが、私の認識では 「守」・・・疑問を持たず、清濁併せ呑み、師の教え(型)を忠実に「体現」出来る様に取得する。 (確実に、「当たり前」のように「体現」出来ねば「守」にあらず) 「破」・・・その「型」を確実に「体現」出来る様になった時、初めてその基本に則して応用し、自分自身のスタイルを模索する期間。 (「型」はどんなに洗練された「完成品」であっても、それをこなす人間のスタイルや資質、若しくは経験に合致するとは限らない。それを踏まえて、自分自身の「型」を模索する時期である。) 「離」・・・その試行錯誤して見えてきた「自分の型」を、経験に基づき肉付けし、若しくは削り磨き上げて、師の「型」から「前進」し、「独自の型」を「創る」段階。 (「前進」せねば「離」にあらず。また、ここは到達点にはあらず) こんな風に考えております。 私の場合は金工です。学生の時に師に付きました。 「先生の技法は古くさい」と思った事もあります。「機械で手軽に出来る工程も、手磨きなんて非効率。」だとも思う時もあります。ましてや、他の先生から批判される技法もあります。しかし、それが体現出来るほど習得出来ていなければ、的確な「批判」は出来ませんし、「批判」する権利もありません。机上の理論はどんなに振り回しても「机上」でしかありませんから。だから今は、只ひたすらに、がむしゃらに教えを守って習得に専念しています。 30半ば・・・ましてや子育て中の身。歩みは遅々として進まず、道程遥かではありますが、何時かは「離」を目指し、その先を目指して頑張っております。 道も違いますし、到達点も分りませんが、vanilleさんもがんばってくださいね。 ご参考になれば幸です。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅れてしまってすいませんでした。 『「前進」せねば「離」にあらず。』はなるほどと思いました。 「守破離」は,奥の深い言葉ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 能の言葉なんですね。600年も前から伝わっていたと言うのはすごい。 師匠が弟子に話している様子が思い浮かびました。(笑) なるほど,「形にとらわれない」と言う意味での「形から離れる」ですか。 そうか。新しい技が生まれるのは,形にとらわれない結果の一つと言うだけかも知れませんね。 いやー,たった3文字なのに奥が深い。