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本質と根本原因との違いは?

私は、現在製造系のエンジニアとして働いている者です。  早速ですが、仕事がら物事を論理的に考える際に必ず「本質とは」という言葉を用いて話す方々がいるため、業務上の迅速かつ深い推敲に必要であるその定義について明確にしておきたいと考えています。 また、”本質”と”根本原因”の違いについてもご教授できる方がいれば、ご教授いただければ幸いです。  個人的見解でもよいので、その定義について多くの方からご指導頂ければ幸いです。 下記は、この疑問を考え始めた背景です。 =======================  本質の定義とは何なのだろうと考えています。私なりには、まだ若い(30歳未満)ため「そのものが、そのものであるための不可欠な因子である」という漠然とした(かつ、正しいかどうかという事すらもあいまいな)回答ぐらいしかできません。けれど、「そのものがそのものであるということ”全体”が本質であるかもしれないな」などとも考えています(この”全体”というのは間違いかな?とも思えてきています)。  「この問題の”本質”とは・・・」という言葉を、「この問題の”根本原因”とは・・・」に置き換えても言葉の意味が通じることもあります。製造業として不具合を未然に防止するためには、”根本原因”を改善することが必要です。もちろん、もろもろの事情により”応急処置”を行うことも必要でしょうし、”放置”や”現状監視”などの措置も必要です。  けれど、ここで、”根本原因”と”本質”という言葉の定義が分からず、困っています。使い分ける方もウェブサーフィンをするだけでもそれなりの人数の方がいるため、それらがどのように異なるのかを明確にすることによって、より内容の把握や分析を迅速にし、かつ、深めたいと考えています。

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  • ベストアンサー
  • kaiu
  • ベストアンサー率20% (65/315)
回答No.23

お世話になります。 >本質が結果でもありえるのではないかと 今までとはまた別の視点ですが、なるほど、 と思いました。 システム設計でいうウォーターフォールモデルは 原則最初に本質を定義しますが、要件が 顧客の目的によって変わっていくのはよくある話です。 それで、プロトタイピングモデルという考えも 提唱された位ですから、 本質は使う側のニーズの目的(原因)によって 変化する(結局最後には「結果」となる)という事ですね。 さて、目新しい事は書けませんが、 このスレッドの本質とは? と仮に考えてみました。 標題にある通り「本質と根本的原因の違いとは?」 という事でしたね。 その根本的原因は、 「仕事がら物事を論理的に考える際に <中略>考えています。」 という事でしたね。 kansai_daisuki様にとっての本質を分析していくと、 もしかしてそれだけでは無いかも知れません。 (例えば暇だったから、とか 多くの人の意見を聞いてみたいとか) 本質の一つ以上の要素に含有されているかもしれません。 一方、読む側にとってのこのスレッドの本質とは kansai_daisuki様の意見なわけです(それ以外の者は こちらのコミュニティーから消えるだけの話です)。 仮に途中で視点が変わっても、 いきなり締め切られても、それは変わりません。 何が言いたいかというと、 本質とは作る側≒定義する側によっては (No.16でいう「1.」の定義)変化し得るという事で、 それは一つ以上ないしはkansai_daisuki様全体の要素を 含むかも知れません。しかし必ず独自のものです。 それは辞書に載っていないしマスメディアからの 情報でもありません。 私は1-2.の側にいます。 「この要素(もの)の本質は?」と聞かれれば 辞書を引くなり情報を入手して、後は自分の 目的によって解釈すればいいだけでしょう。 しかしこれも独自のものを含みますね。 よって、本質とは結果ではあり得るが、 その「もの」の一つ以上あるいは全体の要素 (情報であり目的を含む)を含み、 更にユニークさを含む。 と考えました。 長文失礼しました。 追記:本質とは流動的でもあり案外私達は情報に 影響されていて、そこで今回のように 辞書に載っていない事を定義する際には 「結果」と考えるのも妥当ではないかとも 思います。

kansai_daisuki
質問者

お礼

お世話になります。 この10日ほど、インフルエンザで寝込んでいまして、 返信が送れて申し訳ありませんでした。 ここで、そうですね。 Kaiuさんの言うことは、本質と言ってよいかもしれません。 ここで、私としましては、回答の受付を終了したいと思います。 皆様との回答の中で、十分な議論がなされ、 本質についての定義も十分になされたと思うからです。 ご回答いただいた皆様におかれましては、今までありがとうございました。

その他の回答 (22)

  • rune2
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.22

すいませ~ん!またまた稚拙な意見を書き込ませていただきます。どうもよくわからないので・・・。 ちょびちょびまざっちゃってごめんなさい! 文系と理系の解釈の違いなのかもしれませんが、どうして「本質」がたとえ形而下ということにしても「結果」とイコールになるのかわかんないです。 形而上・形而下にかかわらず「本質」はあくまで「後天的に付随されたものを一切取り去った原初的なもの」という定義が普遍だと思うのですが。 その「本質」をどこまで掘り下げて考えるのか、というと問題にしているものによっては根本宇宙に至るまで無限に近く出てくるのではないかと思われます。 よって「本質」の前に「~における」という条件を冠してやる必要が生じるのではないでしょうか? 「~における本質」=「結果」というのなら納得できるのですが・・・?

kansai_daisuki
質問者

お礼

確かに、そうとも考えられますね。 本質とは、ある対象における1つ(以上?)の因子かもしれません。そうなると、本質は過去と言えますし、更にたどれば、根本宇宙にまでたどり着くのかもしれません。というより、間違いなくたどり着きそうですね。 けれど、視点を変えて、1つ以上の要素によって引き起こされた、もしくは構成された全体が本質であるとも言えそうです。(※エクセルの本質について人によって使用目的が異なるという例を下記に書いて頂いたので、それをご参照下さい。)  よって、1つ以上の要素によって構成されたものが本質であると同時に、その本質ですら、何らかのものの一部である可能性もある。  ここで、一例として、以下のようなことは考えられないでしょうか? ■本質を基点として、それよりも視点が時間軸の過去にあった場合は、本質は未来にあり、”結果”となる。 ■視点が基点と同一時間軸であった場合も、本質は”結果”になる。 ■視点が時間軸の未来にあった場合は、”原因”になる。  以上は、一例であり、過去や現在や未来に関係なく、結果にもなりえるし原因にもなりえると考えるのが妥当かもしれません。(上記例について、それについての検証をしていなくてすみません。)  よって、本質を原因とおくか結果とおくかは、本質とは別次元であるとみなすのが妥当であると考えるのが良いでしょうね。ご意見ありがとうございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.21

No.3です。 うお! まだやってたんですね。 すごいすごい。 えっと既出かもしれませんが、こういうことじゃないでしょうか。 普通問題が起こると原因を探りますよね。 今回の件では、『製造過程で不具合が発生する』という問題。 社員は   ・部品の耐久年数か?   ・社員のスキルか?   ・製造機械の位置か?   ・オイルの問題か?   ・特に多い時は何か環境が変わってないか? そうやって一つ一つ検証していき、これだという原因を探り当てる。 『社長 不具合が発生する根本原因がわかりました!対策を考え近日中に改善し、今月中に撲滅してみせます』と自信満々に報告したとします。 それを聞いた社長は『馬鹿野郎!そんな小学生でもわかることなら、前からできただろう。』とわめきました。 そう怒鳴られた社員は、隣の課の課長にその事を言いました。 すると隣の課長はこういいました。 「今回の本質はそうじゃないんだよ。君は社長から本部長会議で激を飛ばされ、社長の望み通り対策を考えたようだが、社長が激を飛ばしたのには他に理由があるんだよ。1年前からA社と合併話が持ち上がっていて、A社はわが社を吸収することになっているんだ。ところがあっちの条件が厳しくて、こっちのいい値の半額で、しかも社長は合併後社長の座に居たいが、こっちのあちこちの欠点を指摘して社長には不適格で、あちらが推薦する外資系のB社の社長を新しい社長にしたがっているんだよ。それも本決まり。従ってああやって社員を叱り飛ばせるのも後数ヶ月なんだ。」 「ってことはなんですか? 今までもあった不具合の発生率を下げたいのではなく つまり・・・」 「そういうこと。あっちの会社の社員が乗り込んでくるんで、発生率を0にしたところで、俺達は格下げ。下手すりゃリストラ。今頑張ってやったところで結果は同じなんだよ」 こういう時、本質 って言葉を使うんじゃないでしょうか。 このように みんなが見ているところの中にあるのは根本原因で、それとは違うところにあるものを示すとき 本質って使うんじゃないでしょうか。

kansai_daisuki
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 ここで、本質と原因は、特に因果関係はなく、本質が結果でもありえるのではないかと考え始めています。 即ち、本質と原因はまったくの別次元の用語であると。 キグルミさんのご意見も含めて、もうしばらく考えて見ますね。 今後も、びしびしご連絡いただけるとありがたいです。

  • rune2
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.20

なんか頭のいい方々によってすんごい事になってますね~!こういうことって楽しいですね! これこそ人間の定義そのものって感じです。 つまり知性と理性ですよね。文化や学問ですよね。 知性と言っても言語を習得するといった能力的なものではなくいかに使うかですものね。 私も参加することに意義があるってノリで参加させてください。 難しいことは語れませんが、本質って元々備わった抗えないものだし根本原因って結果があっての原因なんで起こった事項から類推するものだからまったく定義としては別物なんじゃないでしょうか? ただの根本なら本質と比較する対象だと思いますが。 根本と本質なら同じということで差し支えないと思いますよ。稚拙な意見ですいません。

kansai_daisuki
質問者

お礼

たしかに!楽しいですね!! 対話の楽しさはここにありますね! 意外な視点からの新鮮な発想を聞けたり、 なるほど!と納得したり。 皆さんと対話できることはいい勉強になりました。  さてさて、本題についてですが、 >本質って元々備わった抗えないものだし根本原因って結果があっての原因なんで起こった事項から類推するものだからまったく定義としては別物なんじゃないでしょうか?  上記については、「本質は、人によって言語的に定義できる性質であり、形而上(時間・空間に依存しにもの、思惟的)と形而下(時間・空間に依存するもの、物理的)に分類され、形而下タイプの本質は、軽自動車の定義などのように再定義(推移?)されることもある。」というところまでは定義されたような気がします。(※間違いであれば、ご連絡ください。) 「根本原因」についても、今までの対話で、 集合論的に下記のように定義されました。 【本質∋部品∋要素】 (※ここで、本質=ニーズ=結果) ここで、本質=結果と定義されました。 (※最終結果か途中結果かは、現状では不明) また、「根本原因」は、その名の通り「原因」です。  よって、現状では、「本質」≠「根本原因」となりました。 (※間違いなら、ご連絡ください!(^^;) よって、確かにrune2さんの言うとおりですね。 >ただの根本なら本質と比較する対象だと思いますが。 根本と本質なら同じということで差し支えないと思いますよ。  確かに、「根本」と「本質」については、比較対象であると思えます。また、「根本」と「本質」であるならば、同一と考えて差し支えないかもしれません。(※私見的には、「本質」=「根本」である可能性はかなり高いな、と最近では直感的に思っています。けれど、まだ、そこまでの証明には至っていません。現在はまだ、「本質」そのものについての定義に奮闘しています。) 今後も参加歓迎します! ではでは、夜も遅くなりましたので、、、

  • kaiu
  • ベストアンサー率20% (65/315)
回答No.19

訂正です。 >サルとヒトは生物であり道具を使いますが、 >独自のもの=本質ではありませんよね。 サルとヒトは生物であり道具を使いますが、 本質∋独自のもの=生物、道具ではありませんよね。

kansai_daisuki
質問者

お礼

度々、ご回答ありがとうございます。  まず、世界の全人類(約60億人)に共通する要素の集合を「人間の本質」、 世界中のサルを集めて、世界中のサルに共通する要素の集合を「サルの本質」、 即ち、【人∋人の本質】と【サル∋サルの本質】とします。  ここで、下記のように共通の要素(生物・道具)も確かに存在します。 【人∋人の本質∋生物・道具】、 【サル∋サルの本質∋生物・道具】、  次に、下記についてですが、 >サルとヒトは生物であり道具を使いますが、 >本質∋独自のもの=生物、道具ではありませんよね。  私の発言に上記のKaiuさんの発言の各項目(本質、独自のもの、生物、道具) を当てはめて見ると下記のようになります。 【人∋人の本質∋人に独自のもの・生物・道具】 【サル∋サルの本質∋サルに独自のもの・生物・道具】 そして、これが、以前(#15)の会話に出てきた下記発言において、 >(1)「人為的に作られた物」 >(2)「人為的に作られた物でないもの」 "(2)"に当たります。 そして、"(1)"が、【本質∋部品∋要素】にあたります。 ※人間とサルの違いという意味での話しにも通用するようにするため、 【本質∋目的∋要素】を【本質∋部品∋要素】に変更しました。  よって、上記"(1)"と"(2)"をどうにかして融合させると、 うまくいきそうな気がしてきたような、しないような、、、 (^^; とにかく、明日また、Kaiuさんの話を踏まえて再度考えて見ますね。 また、他の方々からのご意見もお待ちしています。

  • kaiu
  • ベストアンサー率20% (65/315)
回答No.18

度々お世話になります。 No.1のものです。 すいません、また言葉が足りませんでしたね。 >また、人とサルの違いを定義することが >無意味であると言う意見ですが 無意味とは思いません。 ただ、1,2-1,2-2の様に分類しなければ統一解を 得るのは難しいのではないだろうか、 と考えている私にとって 上記の例と製造のプロセスの「本質」が どうも結びつかなかったので、 それで意見した次第でした。 しかし、無理と言っては元も子も無いので、 とりあえず「物」に関してだけ 考えてみたいと思います。 あと、tascany様の仰る様に何らかの分類も 必要だと思いますが、とりあえず・・・(以下 略)。 >ここでサルと人間という2つの分類の間でのみ >比較を行うと、個々の要素の >最大公約数的なものが間違いのない分類であると >思います。 こちらのご意見ですが、 下記を真とすると、 >「本質とは、1個以上の要素による集合領域であり、 >対象の性質を特定するものである」 どちらかというと「ユニークである事(独自の物)」と いう言葉の方がいい様な気がします。 サルとヒトは生物であり道具を使いますが、 独自のもの=本質ではありませんよね。 本質∋目的∋要素∋uniqueさ 中々進みませんが、 これでまた考えて見ます。

  • tascany
  • ベストアンサー率48% (15/31)
回答No.17

a,b,c,d,…x,yを「猿」の性質の系列とし、 a,b,c,d,…x,zを「人」の性質の系列とします。 両者の差異はy,zだけなので、それらがそれぞれ「猿」「人」の本質のようにも思えます。 しかしここで、zという性質を「イルカ」も有していたとすれば、zは、「あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質」(広辞苑第四版)という意味での「人」の「本質」としては不足です。 ですので、「人」という種を他のいっさいの種から区別するものを考え、その全体が「人」の「本質」であると考えるべきだと思います。 つまりは、種(「概念」と言い換えてもいいです(#9))の定義に使われる性質全体が、その種の「本質」です。 それは、aかつbかつz、というように複合的かもしれませんし、そうでないかもしれません。 また、解がひとつであるともかぎらないでしょう。 生物学的観点から「人」の本質はこうで、社会学的観点から「人」の本質はこうだ(ある言語学者が「人間は約束する動物である」と本に書いてましたが、これはこれで「なるほど」と思いました)、といった言い方も、許されてよいはずです。 機能ないし目的だけに着目して本質を把握してもいいし、物質的側面だけに着目して本質を把握してもいい、ただし、きちんと種を分類せよ、ということです。 あと、概念を定義するさいなど、観念的な操作においては、必然的に一定の抽象化を伴うものであるということ、念のため、注意を喚起しておきます。 この見地から、「この問題の本質は・・・」という言明は、「この種の問題の本質は・・・」というふうに解釈できます。 眼前の問題の種を特定する(つまりそれを定義する)ことこそ、その問題の本質を解明することだと思います。

kansai_daisuki
質問者

お礼

度々お世話になります。 確かに辞書にはそのように書かれていますね。 (【補足】実は、辞書に3種類ほどの意味が載せられていることは、この質問を載せる前に読んで知っていました。けれど、明らかに説明不足であると思えたため、ここに投稿しています。) 人とサルを比較する際に、人の持っている性質全体を定義してしまえば、それが人の本質であるとのことですが、ではその人をどう定義しますか?例えば、人が全て同一であればよいのですが、現実的にはバラツキがあります。例えば、小泉現首相と岡田現民主党党首など。  ここで、小泉首相の性質の全てが人であるとなりますか?では、岡田党首は人ではありませんか?単に全ての定義を列挙すればそれが本質とはいえませんね。  よって、tascany産への回答時ではないのですが、kaiuさんへの回答時(#14)に、下記のように述べてみたのです。 > 即ち、ここでサルと人間という2つの分類の間でのみ比較を行うと、個々の要素の最大公約数的なものが間違いのない分類であると思います。 ただし、この「最大公約数的」が正しいかどうかは未考察ですので、考察する必要があるかもしれません。これについてもご意見・ご返答があれば、おうかがいしたいです。 【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

kansai_daisuki
質問者

補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】 >あと、概念を定義するさいなど、観念的な操作においては、必然的に一定の抽象化を伴うものであるということ、念のため、注意を喚起しておきます。 ご意見ありがとうございます。それについては、認識しています。私はこれまで、集合論とグラフ(ネットワーク構造。主に木構造。)と推論(弁証法のようなもの。導出。)などという、図形と言語との両面から、まとめ続けてきました。  「本質とは、1個以上の要素による集合領域であり、対象の性質を特定するものである」という、現時点まででの皆さんの意見の集約は、認識して(いると思って)います。

  • kaiu
  • ベストアンサー率20% (65/315)
回答No.16

度々お世話になります。 No.1のものです。 まとまりの無い文章をいつも分かりやすく 丁寧にまとめてくださり、ありがとうございます。 >まずは、その「本質」についても定義し、 >【(1)「人為的に作られた物】と >【(2)「人為的に作られた物でないもの」】を >まとめると、強力な一般解が >得られるのではないでしょうか? もう少し詳しく分類してみました。 1. 物を作り出す側 2-1.物を使う側 2-2.人為的に作られた物でないもの このように分類をするのは本質が違う、 或いは明確に本質を定義出来ないものが含まれる と思ったからです。 1,2-1については本質に要素が含まれます。 2-2には要素が含まれない可能性があります。 これらを同一にして定義する事は果たして 可能なのでしょうか? また、 > ▼ >「製造過程もしくは製造品において、 >~省略~ >り、再発するということになります。 > ▲ こちらのご意見ですが、 上記の分類だと1の例と言えます。 この例では「目的」に含まれる要素を明確に把握して 「本質を「作る側」でそれを必ず 決定付けなければならない」のに それを怠っているに過ぎないとしか思えません。 ヒトとサルの違いをもし定義付けられたとしても、 上記の例を改善するに値する「本質」を 見出す事とは何の意義も関連性も無いと感じます。 少し意見が食い違って来たかも知れませんね。 また考えてみます。

kansai_daisuki
質問者

お礼

度々お世話になります。 >もう少し詳しく分類してみました。 >1. 物を作り出す側 >2-1.物を使う側 >2-2.人為的に作られた物でないもの そのとおりですね。切り分けミスでした。 >或いは明確に本質を定義出来ないものが含まれる と思ったからです。 「無限」という対象でさえ集合論によって明確に定義できたため、今後もそのような概念を定義できるもの出ると思っています。確かに「心」など、定義する事が難しい概念は多くあります。また、自動車はリヤカーや自転車でさえ含むと、日本では定義されています。更に、数年前には、軽自動車の規格がより大型まで軽自動車として認めると、軽自動車の定義が変更されました。  ゆえに、定義が難しい概念が多くあるということ、また、定義が変化し得る対象も存在するということは確かでしょう。  次に、「自動車」を見て、「「心」が走っている!」と誤解しないことが明らかであるように、(言語で)定義しづらいものでさえ、人は明らかに区別しています。区別(定義)している以上、これまでの議論に基づいて、本質を定義可能でありそうに思えます。 (【toraumaさん(No.10)の回答を利用して解説しますと】感性に富んでいて、「自動車」=「心」と考える人がいたとしても、同一コミュニティー(環境)の中で使う際には、同一の対象に対して同一の定義を行っています。(「Book=本、予約」など)これによって、意思の疎通が可能になります。) >この例では「目的」に含まれる要素を明確に把握して >「本質を「作る側」でそれを必ず >決定付けなければならない」のに >それを怠っているに過ぎないとしか思えません。  怠っていたとしても、それに対する「本質的対策」なるものを実施しなくてはなりません。その本質とは、如何なる範囲(【目的∋目的∋要素】におけるどれに当たるか)として定義できるでしょうか? 【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

kansai_daisuki
質問者

補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】 >ヒトとサルの違いをもし定義付けられたとしても、 >上記の例を改善するに値する「本質」を >見出す事とは何の意義も関連性も無いと感じます。  これは、「ものづくり」に限らず、経済市場(投資信託や株式投資)や国際政情などマクロ的なものから、ケガをして血が出た際の応急処置などにも当てはまると考えられます。より統一させるならば「”原因”と”結果”の関係」と言えるのではないでしょうか。例えば、予想していた結果が当たった、もしくは異なった場合と同じではないかと、先ほど考えつきました。(※この定義にご意見やご返答があればご連絡ください。)  また、人とサルの違いを定義することが無意味であると言う意見ですが、数学でも昔「0(ゼロ)」と言う概念はありませんでした。定義することによって技術は進歩しました。洗濯機やペットボトル、時計、花、惑星、赤潮、波などを定義することによって、人類は発展しています。「洗濯機の意味は漠然としていて分からない」となると、その語を使った意思の疎通が図られません。個々の語(対象、概念)とは全てこの洗濯機の例と同一ではないでしょうか?理学や哲学によって、漠然とした対象に対して明確な見通しが見えるようになって初めて、産業などへ移行できる対象になりますし。漠然としたものを放置しても問題がないということは、言えないのではないでしょうか?情報工学の国際的品質規格には、定義さえすれば、明確に反復可能、かつ、管理可能、かつ、操作可能にすることが出来るというプロセスも考案されています。「0」が産業の役に立つなど、発見した人が思いもしなかったような役に立つかもしれません。

  • kaiu
  • ベストアンサー率20% (65/315)
回答No.15

おはようございます。 度々お世話になります。 >即ち、他の事象・対象と比較して初めて、 >その差異が明確に定義できる(分類できる) >のではないでしょうか? >(定義とは分類化といえるかも知れませんね?) なるほど、そうですね。 私もそう思います。 しかし、 >目的(=作る側の本質)∋目的∋要素 こちらは、 >(1)「人為的に作られた物」 >(2)「人為的に作られた物でないもの」 で違うと思います。 原因は前述した様に必ず要素を必ず含むといえます。 しかし、(2)の要素が例えば 概念的なものであったとしたら、 (例えば「人間の本質は誠実さだ」というような) 誠実さを持たない人間は 本質の要素を持たない=本質を誤っている というふうになります。 それが(1)と(2)の違いでしょうか・・・。 もう少し考えて見ますが。

kansai_daisuki
質問者

お礼

お世話になります。 まず、No.14の私の解答について訂正させていただきます。 > 私の質問分の稚拙さですみませんでした、「因子」という言葉を「それ以上分割できないもの」と述べればよかったです。上記を基にすると「目的」であり「要素」ですね。 と述べましたが、【私の質問文の稚拙さですみませんでした、「因子」という言葉を「それ以上分割できないもの」と述べればよかったです。上記を基にすると「要素」ですね。】が適切ですね。 >>目的(=作る側の本質)∋目的∋要素 >こちらは、 >>(1)「人為的に作られた物」 >>(2)「人為的に作られた物でないもの」 > >で違うと思います。  次に、上記についてですが、もし定義が違うのであれば違って構わないと思います。これら2つについて、本質の定義が同じか違うかは結果論であり、現在の論点は「本質」に対して明確に定義する事であるからです。  けれど、ここで一つの事例により、「この2つは「人為的に作られたかどうかによって分類される」とは言えないのでは?」と思えます。その事例とは、下記の通りです。  ▼ 「製造過程もしくは製造品において、ある人が管理している工程においてある問題(事故など)が発生したとします。この問題を解決するために、(表面的対策であると気づいているかどうかに関わらず、)表面的に対策(応急処置やその場しのぎなど)を行ってしまったとしても、その工程に別の日に別の人が行ない再度問題が発生したとします。そうすると、「本質的な問題が解決されていない」と言われると思われます。即ち、複数の問題に対して共通の要素、もしくは「(要素の)集合」(【目的∋目的∋要素】の目的。即ち、人為的に作られた物で「目的」に相当するもの)が、この問題に対する「本質」ではないでしょうか?そして、その「本質的問題」を解決しない限り、再発するということになります。 ▲ 【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

kansai_daisuki
質問者

補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】 以上のことは、サルと人との分類についても同様なことが言えるのではないでしょうか?よって、この「本質」についても定義することが必要ではないでしょうか? まずは、その「本質」についても定義し、その後、Kaiuさんの言うところの、(この分類名も変更する必要があるかもしませんが、暫定的に、)【(1)「人為的に作られた物】と【(2)「人為的に作られた物でないもの」】をまとめると、強力な一般解が得られるのではないでしょうか? 以上、ご意見・ご回答の程をよろしくお願いします。 また、Kaiuさんを含め、他の方々からのご意見も歓迎いたします。

  • kaiu
  • ベストアンサー率20% (65/315)
回答No.14

度々お世話になります。 No.1のものです。 >本質を構成する個々の因子とは何なのか? このご質問に関しては下記に まとめたのですが、まとめすぎでしたでしょうか。 (1)作る側から定義する真の本質とは、  物事の存在の目的に値するもの、と考えます。  人は必ず目的をもって物を作ります。 (2)一方、それを使うほう、  局所的にしか物事を認識していない人間からしても、  物事の存在の目的に値するもの、と考えます。  しかし、その「人」の経験や記憶や嗜好から、  本質は構成されると思います。  モノ以外の物(人為的に作られた物でないもの)も  この範疇に入ると思います。 わざわざ(1)と(2)を分けたのは、 作る側と使う側の違いを明確にしたかったからです。 私の意見では両方とも >本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本 という定義に当てはまると思いますが、 (1)は本質を「作る側」で それを必ず決定付けなければならないからです。 その要素は目的によって異なります。 それは全体かも知れないし、一個かも知れません。 (2)に関しては、上記で書いた通りです。 >それを使うほう マイクロソフトのエクセルが 表計算ソフトだと言う事は周知の通りです。 だけど、本当にそうでしょうか? マクロメインで仕様書を書くための 便利なドキュメントを本質として使ってらっしゃる方は どうでしょうか。 >モノ以外の物(人為的に作られた物でないもの) 「人間の本質とは?」 この質問に誰が本当の回答を持っていると 言えるでしょうか? ここで(2)の回答です。 >人間は本質を見誤ってるのかも >知れません。 >人は物事の一部だけ切り取って、 >物事の全体であれ、局所的にであれ、 >頭の中で勝手に定義するだけ と思います。

kansai_daisuki
質問者

お礼

度々ありがとうございます。 >本質を構成する個々の因子とは何なのか?  ご返答を基に、Kaiuさんの流れを体系づけると、 「目的(=作る側の本質)∋目的∋要素」ということですね。  私の質問分の稚拙さですみませんでした、「因子」という言葉を「それ以上分割できないもの」と述べればよかったです。上記を基にすると「目的」であり「要素」ですね。 ※ここで、「要素(または、元)」は、英語ではelementと言いい、哲学用語(数学の集合論の用語と同一なので、もしかすると同一語源?さらには同一起源?)のようですね。 >それを使うほう >マイクロソフトのエクセルが >表計算ソフトだと言う事は周知の通りです。 >だけど、本当にそうでしょうか? >マクロメインで仕様書を書くための >便利なドキュメントを本質として使ってらっしゃる方は >どうでしょうか。 確かに、その通りですね。 人為的に作られた物については、これでかなり明確に本質の定義ができたと思います。 >>モノ以外の物(人為的に作られた物でないもの) >「人間の本質とは?」 >この質問に誰が本当の回答を持っていると >言えるでしょうか?  これについては、また、人為的に作られた物かどうかに関わらず、本質について明確な定義ができるのであれば、科学的に大変有益であると思います。  よって、実際に以下のような手順で、順次解明できないでしょうか? ▼▼▼  この世の生き物が人間Aさん一人しか存在しないとすると、この世に一人しか居ないので、Aさんの本質は「生物であること」と定義できる。  では次に、通常の世界とすると、その他の事象・対象(石、川、サル、鳥、惑星、太陽などなど)と明確に切り分ける必要があると思います。即ち、他の事象・対象と比較して初めて、その差異が明確に定義できる(分類できる)のではないでしょうか?(定義とは分類化といえるかも知れませんね?)  即ち、ここでサルと人間という2つの分類の間でのみ比較を行うと、個々の要素の最大公約数的なものが間違いのない分類であると思います。 【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

kansai_daisuki
質問者

補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】  よって下記に、実際に分類してみます。 サルと人はともに生き物であるので、これは(石などの万物と比較していない今回に限っては、)本質では有りませんね。では、サルと人を明確に区別(分類、カテゴライズ)できる要素は何でしょうか?その要素の全て、もしくは1つ以上の要素の集合が、サルと人間を分類できる「本質」なのかもしれません。 (たった一つでも、明確に分類できる要素であれば、「本質」と呼べるかも知れませんね?) ▲▲▲  まずは、以上(「▼▼▼」から「▲▲▲」まで)を正しいか検証し、それ(「人為的に作られた物でないもの」)と、”人為的に作られた物”を比較することによって、この2つの統一解が得られるかも知れません。 ※明日仕事が早いので、今日はここまでで。。。 以上に対して、ご意見・ご返答があれば、 ご連絡くださるとありがたいです。

  • kigurumi
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回答No.13

kigurumiです。 >という事は、kigurumiさんの中の本質と根本原因の関係は、「”本質”∋”根本原因”」ということですね。 はい、本質を決めて、その本質が含有する根本原因を改善する です。 >また、「”本質”は定義するものである」という事ですね。 自分で書きながらその単語は違うと気づきました。 本質が何であるか決める でした。(定義は適切な言葉じゃありませんでした) この後もせっせと書いていたんですが、あ、、と思うことがあって消してしまいました。 ^^; (問題解決するかも) 普通、<不具合の本質は>とはあまり言わないと思うのです。 <不具合の原因は>と普通は言うと思います。 でも故意に原因といわず 本質と表現した場合、どういったときに使うかというと、概念的なものを言うとき使うような気がします。 不具合の状況を詳細にしない時。 理論思考より感情思考が入る時。 現実より概念として捕らえる時。 などなど。 で、普通、理系の現場では本質という言葉はあまり使わないと思うんです。 本質という言葉は映画や文学や哲学とか深層心理を語る時とかに使います。 でも理系の人が 本質と根本原因の違いについて聞いているってことは、、、理系の現場に右脳寄りな人がいて、その人が本質という言葉を使っているので、どう違うのだろう?ってなっているのかなって思いました。 製造関係で本質という言葉を多発する人の場合、概念でものごとを考えるのを得意とする右脳気質の人に多いように思います。(想像ですけど) 左脳思考な人の言葉→パーツの劣化により不具合が発生しています。(的確な表現です) 右脳思考な人の言葉→構成する何かが関与して不具合が発生する。(ピンと来ませんが崇高な発言に思えてしまう ^^; )      いろいろ書きましたが、この右脳寄り思考の発言が左脳寄り思考の人には「二つの違いがわからんぞ~」となっているのではないでしょうか。 もしそうなら、その人に 理系の現場では本質という言葉は極力使うなって助言してあげれば・・・ あ、、上司ならできないかも。 蛇足ですけど、物事には右脳を使って解決する問題と、左脳を使って解決する問題があるそうです。 私の今までの発言は右脳を主に使っているはずです。 だから いまいちピンとこなかったと思います。 (問題解決するかも)以降は左脳を使って問題を解こうとしました。 今回の質問の答えは、右脳を使って解くようで、実は左で考えないと解けない問題だったのかも。

kansai_daisuki
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。  初めに、「原因」について、不具合などマイナス的な結果に至った原因について「原因」としていますが、ここで、原因については、「原因と結果」というように、結果に対する反意語として用いられるのではないかと思い始めています。(例えば、「勝利した原因(=勝因)は、・・・」など) >本質と表現した場合、どういったときに使うかというと、概念的なものを言うとき使うような気がします。 >不具合の状況を詳細にしない時。 >理論思考より感情思考が入る時。 >現実より概念として捕らえる時。  これについても、本質とは「状況を詳細にしないため」や「感情」という意味合いではなく、より明確な解(定義)があると思っています。 (「現実より概念として捕らえる時。」という項目については、まだ分かりません。) 次に、”本質は人(など?)によって定義されるもの”であると考えると妥当であると思います。 >で、普通、理系の現場では本質という言葉はあまり使わないと思うんです。  理系でも、本質という言葉をよく使いますよ。例えば、私が学生時代に在籍していた大学の教授が、よく「本質」という言葉を使っていました。この方は、かなり鋭い視点で物事を話す方で、日本の情報系学会でも重鎮であった方です。もちろん、論理的な解答も鋭かったです。  ただし、先輩に当たる方の中には、「本質」という言葉を連呼しながらも、明らかに解法を把握できていない、製造上の問題を的確に解決することに苦しんでいる方も見かけます。 >物事には右脳を使って解決する問題と、左脳を使って解決する問題があるそうです。  確かに、下記の様に、その単位面積あたりの情報量の多さや、意思伝達時の正確さなどから、右脳を使う解法は有用であると言われます。 【優先度:高】絵→図→グラフ→文章【優先度:低】 【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

kansai_daisuki
質問者

補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】 また、文系は理系よりも概念的であるか、と言われるとそうとは限らないと思います。例えば、哲学も、あいまいであるなどと思われがちですが、紀元前600年以上前のタレス、もしくは、それより約300年前のアリストテレスなどの理論を見るに、当時としてはかなり高度な科学であるとしか思えないほどの論理性です。  確かに、タレスが万物の構成要素は水であるとした事は、現在の科学からは(核融合や核分裂などでもさせなければ、)外れていると考えられます。けれど、紀元前600年以上前に原子や陽子やクウォークなどは判明できません。(というより、最小構成要素は現在でも調査中であるほどです。)  けれど、その当時に可視的または思考可能であった性質などは、全て科学的に解明しています。「理学部」も本来の英語の直訳では「哲学部」と訳す(らしい)ほど、哲学は科学的です。  よって、理学から発展独立した理系の各学術や、哲学から発展独立した文系の各学術も、同様に科学的であると思えます。  即ち、「本質」も明確に分類できると思えます。 説明不能であった「無限」という概念さえ「集合論」の出現により明確に定義でき、それによって科学が発展したように。 >今回の質問の答えは、右脳を使って解くようで、実は左で考えないと解けない問題だったのかも。 はい、必要に応じて右脳(図形)を使う必要があると思います。(というか、私は、既に、ずっとイメージしながら考えていたのですが。(^^; ) 理系も、医者が手術に備えてイメージトレーニングしたり、工学でも製品がこの世に生まれる前の設計段階で、実際に製品の各部品やデータ、または、製品全体がどう動くか、または、製品が環境に与える影響など、イメージしまくりです。頭爆発しそうです。www  1つの不具合対策でも忘れたら、人の命に関わりますし、コスト的にも最低でも数百万円最高では”億円”単位のリコール損害の可能性がありますから。実際に製品が完成する前は、頭の中にイメージした製品の動作のみが命綱です。