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祖母が末期がんで・・・
83歳の祖母が胆嚢ガンで余命3ヶ月、治療のすべがないと診断されました。 万一の場合、告知しないで欲しいと本人の希望がありましたので、そのまま見守ることになりました。 40代で夫に先立たれ、姑のいじめに耐えながら、いつも残りものの腐った食事を後からひっそりと摂り、老後もお嫁さんや家族に常に遠慮と気遣いの毎日の人生だった祖母の人生を思うと、とても可哀想で涙が止まりません。 日曜日に、4時間ほどの距離の祖母に逢いに行ってきます。 ちっちゃくちっちゃくなってしまったばあちゃんに、 私がしてあげられることはありますか? 一日でも長く生きて、明るく楽しい笑いのある日々を過ごして欲しいのです。 幸せだったと思って欲しい・・・ 特別なものじゃなくとも、喜ばれるものや笑いをもたらしてくれるCDとか・・・ どんなことでも構いませんのでどうぞ教えてください。 このような生活で延命効果があったよとか最後まで明るく過ごせたいう方をご存知の方もいらっしゃいましたらどうか教えてください。
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末期癌だけではなく、死期が分かってしまう病は、ご本人もそうですが、周りの方もたまらなく人間の無力さを感じてしまいますよね。 私の祖母は昨年の夏他界しました。私は祖母の最期の3年半を共に暮らしました。それまでは祖母の長男一家と暮らしていたのですが、彼女の脳梗塞での入院がきっかけで、追われるように我が家へきました。 その時すでに89であった祖母は、その後も発作を起こして、いつ亡くなってもおかしくありませんでした。 私もいつも思っていました。彼女の余生を楽しく安らかなものに、それまで長男一家に受けた数々の仕打ちを忘れてくれるように、と。 しかし、今となっては、彼女がどう思って亡くなっていったか知るすべはありません。今でも「ああすればよかった」と後悔しない日はないほどです。 それでも少なくとも一人の人間として生活できたこの3年半はきっと苦痛とは無縁だったと思います。そう思いたいです。それにいつ亡くなってもといわれた彼女が3年半生きることができたのです。 私が孫として接して一番重要だと感じたことは、「孫」としてひと時でも長く接すること。一番お喜びになるのは、きっとお孫さんであるhanahana78さんが、おばあさまに会いにいらっしゃることだと思います。そして他愛のない会話でも構いません、ぜひお話をして下さい。そしておばあさまを愛していると感じることです。言葉に出さなくてもその思いは絶対に通じると思います。ご自宅に迎えるのは、それがベストであっても、ご家族にとってとても負担のかかることです。年齢からも通院するのは相当の体力を奪うでしょう。ご自宅でなくても構わないと思います。 最後に、おばあさまに何かをしてあげたいと思えば思うほど、後にhanahanaさんはその何倍もの愛と思い出をおばあさまから受け取ることになると思います。とはいえ看病は体力的にも精神的にも厳しいものです。お体にはくれぐれも気をつけてくださいね。
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- gagambo
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こんにちは。 「いよいよ」の時期がおとずれたのですね。 誰にもいずれおとずれる時期です。 質問者様はおばあさんのそばにおられないということで、 本当に近くにいるひとは、また違った思いでいるかもしれません。 現実的なことを言うと、 大事にしたい気持ちよりも、ストレスが上回る場合もあります。 そうなると、コミュニケーションの基本である「会話」がおろそかになったり、 接するのがおっくうになったりするのです。 けれど現実的な面倒は、その人たちが看てくれています。 どんなに放ったらかしにしていたって、 遠くの者にはできない世話をしているものです。 会話もなく、面倒くさがっているかもしれないけれど。 ですから、質問者様のようにたまにしか会わないひとは、 たくさん会話して、たくさん接することができるひとなんです。 世話の苦労を知らないからこそ優しくできるという、皮肉かもしれません。 本当にいとしいと思える時間をすごせると思います。 なんだかイヤラシイことを言ってしまってごめんなさい。 でも私の父方の祖父は、最期までの3年ほどは、本当に手がかかる状態でした。 私は祖父のそばにはおらず、たまに帰って会うだけでした。 祖父の面倒を実際見ていたのは私の母(祖父にとっては義理の娘)でしたが、 3年目にはもう疲れきっていて、 「gagamboはえらいね、おじいちゃんにやさしくできて。 おかあさんはもう、冷たくしてしまうんだ。やさしくできないんだ」 と切実に語っていました。 そんな母を責めるつもりはなかったし、むしろ苦労している母に、申し訳ない気持ちでした。 たまにしか会えないからこそ、 現実を見ず、気持ちだけで接することができます。 それが私の役目だったのです。 延命は考えませんでした。 長らえることが、必ずしもみんなの幸せではないと思っていました。 (死ねと思っていたのではないとわかっていただきたいです) 死にゆくものに愛を与えるとは、難しいものですね。 後悔のないよう、短い時間をおすごしください。
お礼
gagamboさんの体験は、最も現実的で、これが悲しい現実なのかなと思いました。 実際、祖母の家族は皆、これまで病気とは無縁なほうでしたので、お嫁さんなどは考えなければならないことが多すぎて頭の中がパニックになっている感じです。 私も限られた時間があまりに少なすぎるので、正直混乱していますが、少しでも家族の精神的負担が軽くなるよう又、祖母が穏やかな気持ちで過ごしていけるよう私にできることを微力ながら思案してみたいと思います。 どうも有り難う御座いました。
- ym2401
- ベストアンサー率0% (0/3)
私は、前の旦那と一緒のときに旦那のおばあちゃんがいました。自分にはいません。その方も苦労してきて嫁に虐げられ、老人ホームに入れっぱなしでした。 私は、時間のある限り会いに行きなんでもない話、昔話、ばあちゃんが話すのをいつも聞いていました。時には、お風呂に入らせてもらうのを手伝ったりしてました。お年寄りは新になにかするより、昔話や家族身内との時間がいっぱいあるほうがうれしいのでは?と思います。 私はばあちゃんの最後にそばについててあげることが出来ませんでした。離婚した後だったので・・・・。それが一つ心残りです。 悔いのないようにがんばってください。
お礼
そうですね、後悔することのないよう出来る限り祖母の気持ちが少しでも癒される時間を作ることができればと思いました。 どうも有り難う御座いました。
- hokuto-e
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ごめんなさい、なんか涙が出そうで… >姑のいじめに耐えながら、いつも残りものの腐った食事を後からひっそりと摂り …そのシュウトメが非常に許せません、 言い方悪いか知れませんが、いつも残り物の腐った食事ばかり食べてたからそんな病気になっちゃったんじゃないかと思えて仕方ありません。 このおばあちゃんは病院に入院しているんですか。 治療のすべが無い… で、余命が3ヶ月ですか… だったらもう病院なんかに入れとかないで一刻も早く家に帰してhanahana78さんと一緒に暮らすのが一番いいと思いますよ。 片道4時間じゃいよいよという時にも間に合わないでしょうし。 おばあちゃんも病床で旅立つよりも住み慣れ、愛着のわいてるであろう我が家で旅立つのが本望なのではないでしょうか。
お礼
本日、退院し自宅へ戻りました。 祖母は母の兄一家の家族ですので、共に暮らすのは願っても叶いませんが、後悔のないように沢山逢いたいと思います。 どうも有り難う御座いました。
- okorude
- ベストアンサー率19% (8/41)
おばあちゃんの事を思うと本当に可哀想になってきますね。今まで苦労しっぱなしの人生だったのですね。しかしそんなおばあちゃんにもやっぱり趣味や、好きな有名人などが居られるのではないでしょうか?僕ならおばあちゃんの昔懐かしいものや、好きな物などを調べてプレゼントするかな。あと、無理の掛からない程度に旅行に連れて行ってあげたりしてはいかがですか?おばあちゃんゆかりの地へ。
お礼
何か私に出来ることを色々と考えてみようと思います。 どうも有り難う御座いました。
お礼
とても悲しく自分の無力さと、これから起こるであろう壮絶な事態に沈みきった気持ちでおりましたが、優しさを感じるmyamcさんのお言葉、有難くいただきました。 この世で祖母にめぐり会えたこと、私がもらった沢山の愛を感謝し慈しむ気持ちで会って行きたいと思います。 どうも有り難う御座いました。