世界が「繋がった瞬間」というものは存在しないと思います。トンネルのように「開通した」というものではないと思うので。ご質問文からはどうもそのように感じられてしまうんですよねー。
世界航路って、バスコ=ダ=ガマとか、コロンブスとかマゼランとかの辺りのことをおっしゃってます?
シルクロードの交流はそれよりずっと遡りますよね。それを並べて、「世界はどうなったか」というのはちょっと質問としては無理があるような気がしますね。
「行き来が頻繁になった」「通商が盛んになった」という原因だか結果だかわからないようなことしか言えないと思うのですが……
「東西文化交流史 シルクロードを中心として」(小林高四郎・西田書店)
「毘沙門天像の誕生―シルクロードの東西文化交流」(田辺勝美・吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)
「ローマ皇帝の使者中国に至る 繁栄と野望のシルクロード」(ジャンノエルロベル・大修館書店)
未読ですが、タイトルからするとこのあたりがお求めのものかな、と思いました。田辺勝美さんを辿ってもいいかもしれません。
世界航路の方は「大航海」というキーワードで書店、あるいは図書館のサイトで検索してみてください。関連するものは何冊か……
また「日本はどうした」ということですが……。この場合の「世界」もどういった意味で使われているのでしょうか。
シルクロードの存在が結果として西域の文物を運んで来たとはいえるでしょうが、日本は「世界」に対して「どうした」といえるほどのことを意志的に行っている時期ではありません。歴史上の、日本と外国との交流の最初期は、視野のほとんど全てを中国が占めていて、それより遠い国々の存在は間接的にしか響いてないと思います。(前史時代に南方諸島、あるいはロシア方面からの流入はあったと思いますが)なので、シルクロードがあったから通商そのものが盛んになったとは言えないと思いますね。西域のものだろうが、唐のものだろうが、日本はやはり物は欲しかったんだと思います。日本がその頃何をしていたかと言えば、一所懸命中国の進んだ文物を取り入れていた、ということに尽きるのではないでしょうか。
「シルクロードが開通したから通商に力を入れよう」という風には思っていないと思います。
新航路の発見はかなり時代が下りますので、それなりにちょっとした日本の反応はあったでしょうが……鉄砲の伝来とか。宣教師の来日もやはり新航路発見があってこそだと思いますし、そこから天正少年使節団とか、支倉常長のローマ行きとか……ただわりとすぐに鎖国を始めてしまいますので。新航路の発見が日本に及ぼした直接的な影響は、限られて来るのではないでしょうか。
文化文物は瞬間的に伝わるものではありませんから。それに、何か異国の物を目の前に置いた場合、人間がやることって、ひとまずそれを持つことで満足→色々想像する→情報を集める→行ってみる、という風に、段階を踏むと思うんですよ。
長い歴史の中で、一人くらいは西方を目指した日本人もいたのではないかと思うし、その方が面白いので期待しますが、今と違ってサマルカンドがどこにあってローマがどこにあって……という風なことは知らない時代ですから、すぐに「では行ってみよう!」とはならないと思います。
とりあえず質問の前提が少々疑問なので、もう少し具体的にご質問なさることをお勧めします。
お礼
十分な回答をくださってありがとうございます。 質問のしかたがわるくてすみません(__) 私は歴史をまったく習ったことがないので、今になって(大学生)ヤバイ度がかなりあがってきていることに気づきました。 「大航海」って検索するのにも気づいてませんでした・・・馬鹿さに自分であきれます。 ありがとうございました!