• ベストアンサー

大東亜戦争の日本軍戦車

日本軍の戦車は、現在の軽四より小さいですよね。シニアカーくらいの大きさですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11216/34842)
回答No.3

第二次世界大戦時の日本陸軍が主に使っていた戦車はやわらか戦車チハたんの名前で有名な九七式中戦車と、ハ号と呼ばれた九五式軽戦車でした。 で、どちらかというとよく使われたのは九五式のほうで、サイズからするとミニバンより全長は短く、横幅がもうちょっとあるという感じです。 機械的信頼性が九五式のほうが高く、現場で歓迎されたのは故障が多いチハではなく九五式だったそうです。 で、当時の日本の輸送船につけられていたクレーンは、15トンくらいの重さのものしか持ち上げられなかったそうなのです。九七式は15トンくらいになるので、ギリギリなのです。当時の手記を読むと「船に積み込もうとしたらクレーンが曲がった」なんてあるんです。 太平洋戦争は島の戦争だから、戦車も船で輸送しなければなりません。九七式は、運ぶのひとつでも難儀したんですね。だから太平洋戦争では地形の問題もあったりして、戦車が活躍できる場がなかったのです。 ペリリュー島の戦いで、米軍が上陸した日に日本軍の戦車部隊が反撃に出ました。このときに装備されていたのは九五式だけだったみたいですが、米軍は「戦車部隊の投入」にパニックになりかけました。米軍にはバズーカ砲という歩兵が携帯可能な対戦車兵器があったのでこれを投入してなんとか九五式を撃破したのですが、もし米軍にバズーカ砲がなければ海兵隊は九五式に蹂躙されていた可能性がありました。 またその米軍兵士の手記には「戦車は役に立たない」と書いてあるんですね。米軍のM4戦車は太平洋戦線では無敵に近いような強力な存在だったのですが、米軍兵士の目からすると頼りにならないとしか感じなかったようです。 実際、沖縄戦では前田高地の戦いで米軍の戦車部隊が歩兵の支援もなく単独で突入したところ、日本軍対戦車砲の待ち伏せに遭って(米軍が戦車で進撃しようとしたルートは実は日本軍がそうさせようとした罠だった)全滅してしまうということがあり、以降米軍は沖縄戦で戦車部隊を歩兵部隊の支援なしに投入することはしなくなります。 沖縄戦の日本軍の手記でも、本来は対戦車能力がない擲弾筒でM4戦車を撃退する場面があります。戦車は外がほとんど見えないですから、擲弾筒が爆発する音が内部で聞こえると、対戦車砲で撃たれているような感覚になるのでしょう。基本的に跳ね返すとはいっても、何発も当たっていると不安になるので後退したくなるのでしょうね。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2335/5193)
回答No.2

>日本軍の戦車は、現在の軽四より小さいですよね。シニアカーくらいの大きさですか? もともとが、ルノー製の戦車ですからね。 ドイツ・アメリカ・イギリスの戦車と比べると、おもちゃです。 が、旧陸軍としては「ジャングルでの戦闘」を考えていたので移動に便利な小型で十分だった様です。 サイズは、下記写真で判断して下さい。^^;

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • jack-a3
  • ベストアンサー率40% (370/921)
回答No.1

日本で最初に「戦車」として量産配備されたものが八十九式中戦車で、長さ5,75m、幅2,18m、重さが12トンくらい。 次が九十五式重戦車と九十五式軽戦車で、それぞれ長さ6.47m、幅2.7m、重さが26トンくらいと、長さ4.3m、幅2.1m、重さが6.7トンくらい。 その次が第二次世界大戦の主力戦車と呼ばれる九十七式中戦車で長さ5.55m、幅2.33m、重さが14トンくらい。 長さや幅の大きさ的には今の2トントラックくらいですかね。重さはずっと重いですが。 「戦車」じゃなく「装甲車」という名前で開発されたものだと 九十二式重装甲車が長さ4m、幅1,6m、重さが3.5トンくらい。その次が九十四式軽装甲車で長さ3.4m、幅1,6m、重さが3.5トンくらい。どちらも小型乗用車くらいのサイズ。 いずれにしてもシニアカーどころか軽自動車のサイズを大きく上回ります。 当時は小さく作る技術もなかったのでこんなもんでしょう。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A