>少子化の原因として人類の中性化してる、人類は男性はいなくなり女性だけになる、とニュースや科学雑誌で見ましたがそんなことあり得るんですか? 哺乳類が無性生殖で繁栄できんですか?
⇒生物学的・生化学的・遺伝学的な問題はいろいろあるかも知れませんが、仮に男性がいなくなっても、精子の冷凍保存、クローン人間などの現代技術を駆使することで、人類が滅亡することはないだろう…などと、理系的な観点については能天気な考え方をしています。というのも、少子化問題の根本は、それ以前に自然や社会などもっと広い外的な因果関係に由来すると懸念されるからです。少子化の原因として、大きく2つに分けて考えてみます。
A.自然的・社会的原因
①現代の文明や社会が、自然に逆らい、自然の摂理に反するあり方を人々に要求するようになり、人としての本来の生理を抑え込み、人(男女)を性区分や性役割から疎遠にした。
②「工場廃液や食品添加物が精子を減らす」ということが報告されてからすでに久しい。
③その他、自然災害や民族間の争い、各種の自然的・社会的圧力がストレスになるなどして、正常な肉体・健全な性機能が侵害される傾向が強まっている。
B.文化的・経済的原因
①現代文明のおかげでもあるのだが、小指1本で重機を動かせるようになった現代では、男っぽさの象徴である筋力やマチズムが蔑視されたり、ダサいと思われたりするようになった。
②男女共同参画などの標語が、ともすると性差意識や性の役割を差別の元凶と見なしたり、それを均質化すべきと考えたりする意識を助長した。
③共稼ぎをしないと暮らせないような政治・経済・文化状況によって、子どもを設ける意欲や能力が奪われてきた観がある。
世界的にはともかく、少なくとも日本では以上のような項目が少子化の原因になっていると推測されます。これらの問題・所見を埒外に置いて、ただ子ども手当を支給したり学費の無料化を考えたりするだけでは、現代日本の少子化問題を解決することは困難と思われます。このような問題の根本的な元凶は何か。
その1つは、「差異と差別の混同」があると言えます。かつてアメリカで始まったAffirmative action(差別撤廃運動)、当初は素晴らしい思想・行動原理と思われたが、いろいろに展開されるうちに奇妙なことが起こりました。short「チビ」は失礼だからvertically handicapped「垂直方向に不自由」と言えとか、天皇が阿波踊りを見物なさるから、「踊る阿呆に見る阿呆」の後半が失礼に当たるので削除・変更した、とか。(因みに、これらの対処はpolitically correct「政治的に正しい」とか言われて揶揄されていました。)
さらにそれは自然の摂理さえ冒涜するような例にまで「発展」しました。例えば、ある自治体で子どもに大自然を味わわせてあげようと人工的に野山や谷や川を造ったが、水周りだけは子どもが立てるだけの水深にしようと、滝壺を盆のような平底にしたという。一見親切な配慮に見えるが果たしてそうか。「盆」の中で楽しく遊んだ子どもが、将来本物の滝壺で溺れることのないように祈りたい。
上述の男女平等参画の立派な企画などにもこの種の混同が紛れ込みます。「(名簿などで)何で男子の名前が先なのか?」などのいちゃもんがありました。何か勘違いしていませんか。自然の差異でしかないものを、悪意ある差別と混同してはいませんか。こういう例を挙げていくときりがありません。いずれの場合にも共通するのは、「差異と差別の混同」です。こういう発想の貧弱に嫌気がさして、筒井康隆氏は断筆宣言をしたのでした。暗黙のうちに、人間存在の問題に関わることを予感したに違いありません。少子化問題は、こうした人間存在の根本問題の1つである、少なくともそれと絡んでいると言えるでしょう。