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籠について

籠は2人で担いだりしていますが、肩に相当な重量がかかると思うのですが、60キロの大人を乗せたとして何メートルか進んで休憩していたのでしょうか?特に早籠などではどうなのでしょうか? 殿様が乗るような籠はそれ自体が大変な重さで4人くらいで運んでいたのでしょうが、どのくらい進んで休憩したのでしょうか? 歴史に詳しい方宜しくご教示ください。

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  • oska2
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回答No.4

>籠は2人で担いだりしていますが、肩に相当な重量がかかると思うのです その通りですね。 籠本体の重さに、乗客の体重がかかります。 これを、「へいちょ。へいちょ」と掛け声をかけながら進むのですからね。 >60キロの大人を乗せたとして何メートルか進んで休憩していたのでしょうか? 雲助でない限り、1里(約4キロ)毎に休憩が入った様です。 幕府の定めで、1里400文の代金でした。 速度は、徒歩速度と同様で時速約4キロです。 時代劇でも、誘拐した女性を乗せた籠と素浪人は同じ速さですよね。^^; >特に早籠などではどうなのでしょうか? 早籠の場合も、一般的には同様です。 ただ、同じ籠を用いて「3人交代で移動」した様ですね。 従って、代金は1.5倍になります。 ※4人交代の場合は、代金は2倍。 速度は、平均時速6キロ。 赤穂浪士の場合は、昼夜通しで走行しています。 >殿様が乗るような籠はそれ自体が大変な重さで4人くらいで運んでいたのでしょうが、どのくらい進んで休憩したのでしょうか? 他の参勤交代の大名と会わなければ、1里毎に休憩です。 スケジュール(本陣宿泊予定時刻など)に合わせて移動していますから、遅れている場合は休憩なしで進む場合もあります。 ただ、宿場では確実に休憩!

ponyo7
質問者

お礼

ありがとうございました。 よく理解できました。

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  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (550/1068)
回答No.3

「何メートルか進んで休憩していたのでしょうか?」 こんな駕籠はありません。これじゃお金を払って乗る意味ないですね。 1.もっとも簡易な駕籠の自重はおよそ10kgなので、合計75kg、2人で担ぐ町駕籠なら1人の不可が40kg弱、4人仕立ての早駕籠なら20kg未満。(均等にかかるわけではないのですが) 第二次世界大戦時、長距離移動する歩兵のリュックはどの国もおよそ35-40kg程度です。5kmを50分であるき10分休憩という訓練計画が残っているので、その程度は無理なく歩けるということです。 2.江戸市中で駕籠がよく使われた区間、例えば日本橋から吉原で5km、このくらいは休憩なしが普通だったようです。 3.早駕籠で最も有名なのは浅野内匠頭切腹を知らせたものですが、江戸から赤穂までの620kmの道のりをわずか4日半で移動、昼夜無く走ったでしょうから時速6km。早駕籠を描いた浮世絵や絵草紙の挿絵を見ると、4人で駕籠を担いだり紐で引いたりしていて、それとは別に2人が前後を走っています。そして宿場ごとに別のチームに交替。なので「休憩」はほぼなしですね。 4.大名が乗る駕籠は20kg以上ですので少々負荷が高い。その代わり、ずっと藩主が乗っているわけでもなく、馬に乗ったり、時には歩いたりもしたことは知られています。もちろん、駕籠に乗っている間は走ることなどありません。交代要員も最低でも1チームは用意されていました。弁当を使ったり、藩主が用を足したりもするし、休憩はそれなりにとれたでしょう。安政6年(1859年)の鳥取藩池田家の場 合には鳥取・江戸の行程約720kmを21泊22日で移動している記録があり、時速3kmのスピードになります。 1.記録がある最も有名な「早駕籠」は、浅野内匠頭切腹を知らせたものです。昼夜兼行で走り江戸から赤穂までの620kmの道のりをわずか4日半で移動したと伝えられています。後に描かれた浮世絵には、駕籠を担ぐもの4名、前を行くもの(夜は提灯を持つ)が1名で駆ける姿が描かれています。別の件で、早駕籠は休憩はなし、宿場ごとに担ぎ手は交替、但し10kmを越えるような長い区間はもう2人が一緒にかけ、途中で順番に交替したという記録もあります。 2.江戸市中の全速力で走る辻駕籠は走るわけではありません。

ponyo7
質問者

お礼

ありがとうございました。 よく理解できました。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34538)
回答No.2

https://signboard.exblog.jp/28028954/ 駕籠についてはこんな話がありますのでどうぞ。 江戸時代の人々のマッチョさ具合は、こんなものがありますね。 http://rekimato.blog.jp/archives/37911360.html 幕末の剣客、山岡鉄舟の今に残る写真を見ると、肩の筋肉の盛り上がりが並大抵ではないのが服越しにも分かります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E9%89%84%E8%88%9F 考えてみれば、昭和30年代までは茨城や千葉の農家のおばちゃんが30㎏くらいの野菜を背負って汽車を乗り継いで都内を歩いて回って野菜の行商をしていました。当時はエレベーターもエスカレーターもないですから、おばちゃんたちはみんな階段を上り下りしたんですよね、何十㎏もの野菜を背負って。 現代人が、体力と筋力がなさすぎなのです。明治以前は全て人力によりますからね。 だいたいナポレオン軍の兵士は、フランスから歩いてモスクワ(!)まで行って、200年前のコートでマイナス30度の中で転戦して(生き残れた人は)歩いてフランスまで帰ってきたわけです。 アレクサンドロス大王の兵士はマケドニアから船でトルコに渡ったら、トルコをずーっと歩いて途中から南下して今のカイロに行って、そこから東に転戦してイラクを超えてパキスタンに行ってインドとの国境あたりまで行って、大王が死んじゃったから歩いてマケドニアに帰りました。

ponyo7
質問者

お礼

ありがとうございました。 よく理解できました。

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  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11074)
回答No.1

昔の、米俵 60キロ 力持ちの人は、二つかつぐ人もいたらしいです。 大人の体重50キロ台。 2人でかつぐとして、かごの重さを加えて、1人40キロぐらいです。 休むことなく、運べる重さです。

ponyo7
質問者

お礼

ありがとうございます。 40キロとしても100メートル歩くだけでも苦悶かと思いますがそんなに歩けるものなんでしょうか?

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