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頭が悪い人間は結局頭が悪いのか

自分が30歳(高卒)なので、小中学生のころと比べたら覚えにくいとかあるかもしれませんが。 頭が悪いのではなくて、勉強していないだけ+勉強時間不足+勉強の仕方が間違っているだけという可能性もあるのですか? 逆に言えば勉強時間を増やして勉強方法を変えてみるとかで案外なんとかなるものなのでしょうか。 (ここでいう勉強は国語英語数学理科社会とか、資格のための勉強とか)

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noname#261478
noname#261478
回答No.3

基本的な能力や知能は遺伝によってほぼ決まり、後天的な努力では変えられないと云うのは、最近の研究の結果で定説になってきているそうです。 よって、同じことなら容姿の問題は理不尽を認めるのに、知能や能力だけは自己責任論にして、努力を強いるのは、能力主義社会を全ての人に押し付け正当化するための、資本家達の言い訳に過ぎないだろう、とも。 私自身も正直、長年洗脳されていましたが、出来ないことは出来ない、天才には勝てない、が結局は正しかったようです。 ただ、頭の良い悪いと云うのは結局のところ他者との比較でしかないのもまた事実で、フラットに見れば、単に自分に出来ることと出来ないこととがあるにすぎません。 過度な劣等感のなかで本来の自分のスペックさえ疑ってしまうのは本末転倒ですから、自分は頭が悪いと、ネガティブな自己イメージを持つことのメリットは全くありません。 また、たとえ優れた頭脳を持っていても、正しい目的や意欲がなければ宝の持ち腐れでもあります。 逆に言えば、人と較べず自分の人生を充実させるために必要なことを知るなら、自分に与えられた能力の範囲内でもいくらでもやりくりして、成果をあげていくことは出来るでしょう。 自分は自分なのだと、強い自信と意欲を持てれば、多少の頭の良し悪しは大した問題ではありません。 自分より賢い人の手を借りることも、いくらでも出来ます。 手段と目的を混同しないように意識する事だと思います。

その他の回答 (4)

  • kaitara1
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回答No.5

普通の意味での頭の良し悪しは興味を持っているかどうかなのでは。興味が持てないものは勉強の対象になりません。故丼もの頃に興味がなかったことでもいろいろな経験ンを積んだ大人になったら面白くなったことは勉強の対象になるはずです。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20337)
回答No.4

私の自分の例で言うと 中学生になったとき 古文 漢文 歴史 などは こんなの勉強しなくていいと決めてしまったので そのジャンルのテストがあるとめちゃくちゃ成績が悪いです。高校の数学もそうです。 現在必要になれば そのとき始めてもいいのです。なんとかなります。

回答No.2

漢字が読めないと文章が理解できないし 足し算がわからないと お買い物に支払う金額がわかりません 知識というブロックがたくさんないと大きな建物が立たないのと同じです まずは 一から基礎を固めていきましょう

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.1

事実としていわゆる「地頭がいい、悪い」はあると思います。 これがスポーツ能力だと生まれ持っての才能について誰も異論はないと思います。誰もが努力すれば大谷翔平になれるわけではないです。 生まれつき足が速いとか体操が得意というものがあるように、生まれつき頭がいい、悪い、というのは存在します。こういうときに引用するのは不適切かもしれませんが、知的障害というのは確かに存在しますからね。 現代日本では「頭がいい」というとだいたい「学校の勉強ができる」という意味合いで使われることが多いですが、頭の良さにも種類があります。 絵が上手とか楽器が得意とかも芸術方面での頭の良さの一種でしょう。話の行間を読むのが上手いのも、ある種の頭の良さですね。 「テストは得意だけど、実社会では役立たず」という人は沢山いますし、また逆に「現場ではすごい優秀な人なのだけどペーパーテストがとても苦手で業務に必要な資格がどうしてもとれない」という人も中にはいます。