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香川県が合併されずに残った理由

都道府県面積最小の香川県は人口も少ないのに隣県と合併されなかったのはなぜですか?中央の関心が薄かった?

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  • oska2
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回答No.5

>都道府県面積最小の香川県は人口も少ないのに隣県と合併されなかったのはなぜですか? 先ず、当初は「大阪府」が一番面積が小さかったのです。 その後、「香川・岡山県の境の確定」があったので香川県が一番小さな県になりました。 ※海上の面積を含めると、大阪府が一番小さな都道府県になります。 他にも回答がありますが・・・。 かつて徳島県と統合して「3年間は、名東県」となりました。 その後、愛媛県と合併。 つまり、今の香川県は2回独立したのです。^^; >中央の関心が薄かった? まぁ、中央政府の関心が薄かったのは事実です。 香川県・徳島県も、当初は県令(知事)が兼任でしたからね。 そこで、香川県+徳島県=名東県となった次第。 その後、香川県の面積・人口では独自の政治は出来ないと看做されて愛媛県と合併となりました。 まぁ、根拠のない都市伝説ですが・・・。 「徳川系の藩は、潰す」という薩長土肥政権の基本が存在した様です。 ※県庁名と県庁所在地名が異なる県は、徳川幕府系の藩でした。 香川県は、御三家水戸藩の分家ですからね。 ※初代は、徳川光圀の実兄で将軍家光とは従弟。 ※幕末の藩主は、井伊直弼の娘が正室でした。 また、鳥羽伏見の戦いでは当然幕府軍として参戦。 これでは、討幕派政府からは嫌われる。^^; ただ、今の営利法人岸田内閣からも嫌われていますよ。

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その他の回答 (4)

回答No.4

一時的に、1876年8月から1888年12月まで、香川は愛媛県の一部となっていましたが、その後再び独立した都道府県として存在しています。 理由としては 香川県は讃岐うどんで有名であり、観光資源や特産品が豊富です。地域の特性や文化的背景、経済的利点などが、合併を防いだ可能性があります。

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  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (552/1074)
回答No.3

合併されてますよ、明治時代に。そして失敗した。 廃藩置県のあと、明治政府は各地で県をくっつけたり、分離したり、試行錯誤を繰り返しましたが四国・中国地方も例外ではありませんでした。高松県だの、丸亀県だの、それをくっつけて香川県、さらに徳島にくっつけたり、愛媛にくっつけたりしてはみました。で、まったくうまく行かなかった。歴史的な経緯や、地理的な状況、長年にできあがったコミュニティを無視してお上の都合でやってみても、障害が山のようにでてきて、住民の不満も一杯。で、明治政府はとうとう諦めました。他の地方はすでに改編は終わっていていつまでもやってるわけにいきませんし。 その後、議会ができると香川県から大物政治家が誕生しました。渋沢栄一が頼りにした盟友中野武営、政界の怪物福家俊一、保守合同の立役者となった三木武吉。こうなると合併なんて話にもなりません。

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  • suiton
  • ベストアンサー率21% (1111/5268)
回答No.2

合併していた時期もありますが、地理的要因、地域文化、住民意識などにより現在の姿になったと言われています。 高松県・丸亀県・倉敷県・津山県→香川県→名東県(徳島・香川)→愛媛県(愛媛・香川)→香川県(現在)

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  • y0702797
  • ベストアンサー率26% (291/1078)
回答No.1

香川県独自ですべて賄えているから合併することなど考えていない。

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