以下のとおりお答えします。
>論文と作文の違いを教えてください。
⇒「作文」の意味範囲は広く、何らかの意図・目的をもって書かれた文章はすべて作文と言えます。「随筆」、「評論」、「レポート」、「感想文」などはいずれも作文に含まれます。「論文」もそのうちの一つですが、それは多かれ少なかれ、「学術的研究を論じた文章」です。また、論文は一定の要件を満たすことが求められます。その要件とは、論題の示す分野(小体系)において、①疎漏がないこと、②首尾一貫していること、③論理的であること、④経済的であることです。
「将棋」のたとえを使って説明します。もし論稿に疎漏があれば、例えてみればそれは、「駒の足りない将棋セット」のようなもので、論文としてまとまっておらず、論述が完結していないことになります。そして、もし首尾が一貫していなければそれは、「足りない駒をチェスの駒で補っている」ようなもので、揃い方がいびつで、記述・論考の仕方がぎくしゃくします。また、もし論理性が欠けるとすればそれは、「盤上で、永久に動けない位置に駒を打った」ようなもので、全体はまとまっていてもその部分の要員は孤立し、壊死してしまい、論稿中の一部の語句が前後と繋がりません。さらに、もし経済性を損なっている部分があればそれは、「盤上で、駒の動こうとする位置にを別の駒でふさいでいる」ようなもので、他の要素との結合がちぐはぐで、その部分の動きが休止してしまうので、用いられた語句が表現の用を成さないことになります。なお、以上の要件は、降順で、つまり、①②③④の順に重視されます。
論文はまた、多くの場合「起承転結」の構成要件を備えています。「起承転結」の「起」で主題・論題が提示されます(イントロ)。「承」でその提題を受けてさらに内容が補完されます(敷衍)。「転」でその題材を別の角度から見ます(視点の変更)。そして、「結」でその主題の提示部と別視点から見たものとを結び合わせます(結びと結論・まとめ)。
*蛇足の付け足しです。
「起承転結」を簡潔に表した都都逸風の例があります(有名な例です)。
起:「大阪本町糸屋の娘」。
承:「姉は十八、妹は十五」。
転:「諸国諸大名は弓矢で殺す」。
結:「糸屋の娘は、目で殺す」。
お礼