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日本の若者と海外の若者での、政治に対する関心の違い

    同世代なのに、日本の若者と海外の若者では、なぜ政治への関心の高さが違ってくるのでしょうか? 実は私の学校のアメリカ人の先生が、 海外の若者たちの多くは政治に義務感と関心をもっていて、政治を“エキサイティングなもの”だととらえているから、 逆に日本では“政治はおもしろくない”と思っている子がいのでびっくりした、 と言っていたので、ふと気になりました。 その先生は、国民の政治への関心を高めるには、もっと若い政治家が日本には必要なのかもね、と言っていました。 私個人の意見なんですが、戦後教育のような歴史的な背景ももしかしたらあったんじゃないかなぁ、って思っています。 もっといっぱい調べたいので、このテーマにどんぴしゃな書籍などがあれば、ぜひ教えてください!! 拙い文章でごめんなさい。

みんなの回答

回答No.7

No.5です。 もう1つ、考えついたことがあるので、ちょっと書いてみます。 よく、「政治は難しいから」というようなことを言う人がいます。 勿論、政治そのものが簡単ではないのですが、日本の場合、特に難しい、面倒くさい要素が含まれている、ということがあるように思います。 比較対象として、アメリカを上げた場合、過去20年間で、民主党のクリントン大統領→共和党のブッシュ大統領→民主党のオバマ大統領、と2回に渡る政権交代が起こっています。 そして、政治そのものが、民主党、共和党の2大政党政治であり、どちらかを選ぶ、という形になります。この状態は、第2次大戦前から続いている伝統で、その意味では、非常にわかりやすい状況が続いている、と言えるでしょう。 一方、日本の場合は、複雑です。 日本の戦後の政権を中心的に担ってきたのは自由民主党です。1955年に結成されてから、細川・羽田内閣のあった一時期を除いて、常に政権与党の座にいます。 では、自民党が、一枚岩の政党で、それがずっと支持されてきたから、政権を取れていたのか、といえば、これは違います。自民党は、結党当時から、内部で様々な意見を抱えて、内部抗争に明け暮れてきた政党です。 というのは、自民党結党というのは、1955年に、当時、二つに分かれていた社会党が一つに合流することになり、このままでは革新政党に国をとられてしまう、と危機感を持った保守政党の自由党と(旧)民主党が、「敵の敵は味方」という論理で合流したに過ぎないからです。元々、自由党と民主党は「保守」を掲げながらも犬猿の仲で、それは自由民主党という政党になって以降も続いたのです。 小泉内閣が出来たとき、「自民党をぶっ壊す」とか、「抵抗勢力」などのフレーズと共に、自民党の派閥争いがクローズアップされましたが、その大本をたどれば、そもそも、決して一枚岩の政党ではない、というところに行き着くのです。 そして、その自民党が、長期政権を取ってこれた理由の1つは、対する社会党がやるの気のない政党だった、ということが大きな理由です(社会党は1960年以降、衆院選で過半数以上の候補者を立てていません。つまり、全員が当選しても、政権は取れないのです) ですから、「自民党はこういう政党」というのが難しい。 一方、現在、野党第一党である(現)民主党はどうか、と言えば、こちらも、一枚岩の政党とは言い難い状態です。 最近まで代表であった小沢一郎氏は、元々、自民党の議員で、離党後も、自由党を率いて自民党と与党にいた、など自民党に近い考え方を持っている人です。その一方で、かつて、野党の第1党であった社会党の議員であった人も多く抱えています。 こちらも、ある意味では、「反自民党」という立場の人々が集まっている、という「敵の敵は味方」の論理の部分が大きいのです。 つまり、そういうわけで、「この問題にとって、自民党はこういう考え方で、民主党はこういう考え方」という風に分けて考えるのが難しいのです。 自民党の中でも「○○派」は、こうだけど、「△△派」はこう。一方、民主党の中でも「旧○×党」はこうだけど、「旧××党」はこう…という風に複雑なものがあります。 しかも、最初に書いたように、アメリカでは、共和党、民主党ともに政権を担当した経験があるので、ある程度、過去の実績などから手腕などを評価できますが、日本は自民党政権が続いていたため、現野党に政権が移って大丈夫なのか? という不安感も出て来るでしょう。 こういう戦後の政治史が、政党内の勢力などを複雑にして、「政治=難しい=興味がない(もてない)」というようなところに進んでいる、というのもあるかも知れません。

  • phj
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回答No.6

日本人が、国と国家の違いを意識していないからだと思います。 国=ランド(LAND)、国家=ステーツ(states)ですが、日本人は歴史上、20世紀前半の数十年を除いて、ずっと日本列島だけに住んできました。 そのため、国の境界線と国家の境界線を分けて論じる意味が分からないのです。 アメリカは、歴史上「イギリスから独立した国」「自由を求めて海を渡った人々が作った国」です。ですので国家の理想は具体的ですし、その国家感に賛同する人がアメリカ人です。それを具体化するために、アメリカの小学校以上の学校は、毎朝必ず国旗に向かって忠誠の言葉を斉唱します。日本人には信じられないことですね。 参考:http://infoe-qanda.blogspot.com/2009/01/q20-pledge-of-allegiance.html またフランスも革命で王政を倒した国ですので、国家が「民主主義」以外の政体を選ぶことに抵抗があるでしょう。 イギリスは逆に、もともと三つの王国が集まってイギリス国王の下に集合した国家ですので、一国づつ独立しても国の形として、国民の意識として問題はないでしょう(実際にアイルランドはイギリスに統合されたくないとテロ活動をしていました) またひとつの地域に文化と歴史を共有する民族でありながら、所属する国が分かれている人々もいます。トルコ・イラン・イラクに分かれてしまったクルド民族や、戦前のイスラエル民族もそうです。またイスラエルは戦後国家を設立したために、その地域に住むパレスチナ人を追い出し、流浪の民族を作り出してしまいました。 それ以外の陸続きの国境がある国はすべて、国境をここで線を引く、という意味や歴史上の価値があり、本来あるべき国の領土と今現在の政府が統治している国家は同じ意味ではないのです。 このようなところに住む人々は、自分たちの国はどうあるべきか、国家はどのように行動すべきか、などが日常の問題として議論になります。もちろん多民族国家なら、国家がどうあるべきかも争点になるでしょう。 それに比べたら、日本は1000年以上ずっと同じところに住み、国がなくなるなど考えずにきたわけで、政治という「どうすればその地域に住んでいる人々全体が幸せになれるか」という問題のかなりの部分を考えないでこれたのです。(多民族国家で隣のA民族の家族は優遇され、自分の属するB民族は冷遇されるとなれば、すぐに大問題になります) もちろん社会人になると、さまざまな事柄が政治に直結していることを実感しますので、年齢が上がるにつれて政治に関心を持つようになります。 しかし日本の若者は、国と国家を意識せず(教育も受けない)、政治の重要性が社会人よりも身近ではないために、自分のこととして論じることがないのです。 極端な例を挙げれば、もし今の日本に徴兵制があれば、若者の政治意識はものすごく高くなるでしょう。徴兵は大体18歳から25歳程度の若者に課せられるもので、「馬鹿な大人たちのせいで、自分たちが戦場に送られるのは御免だ」と考えるようになるからです。(別に徴兵制に賛成なわけではありません) 投票行動が高いから政治に関心が高いとは限りません。少なくとも日本とそれ以外の国では、国と国家と政治を取り巻く歴史的な意味合いがまったく異なるといえます。 どんぴしゃな書物は分かりませんが、司馬遼太郎著「この国のかたち」はお勧めしておきます。

zn011
質問者

お礼

回答ありがとうございます!! 国・国家の歴史などが関係して、自分のこととして政治を論じることがないということにとても納得しました。 実は私も小学生の時に、一時期中国に留学していたことがあって、、 phjさんの回答で、思い出したんですが、確かに、中国でもアメリカに似たようなことを毎朝していたし、それから、中国も台湾の問題やチベット問題をかかえているんだということを思い出して、なんとなく日本との気持ちの違いを改めて感じることができました。 司馬遼太郎さんの本、ぜひ読んでみます。

回答No.5

色々と思うところは、あるのですが、まず大事なのは、本当に「アメリカの人は、日本の人に比べて、政治に関心を持っているのか」という点です。 その比較材料として、投票率の問題があります。 日本の衆院選の投票率は、最近、下がってきたと言われますが、60%前後、参院選は50%台半ばくらいというのが昨今の状況です。 一方、アメリカは、というと、投票率の計算方法そのものが異なるので、その辺りの誤差はあるのですが、大統領選であっても50%を少し超えた辺り、下院選(日本で言う衆院選)では50%前後で推移しています。 そのような数字を比べた場合、言うほど、アメリカの人たちが、選挙に関心を持っている、という主張が正しいのか? というのを疑わざるを得ないでしょう。 ただ、一つ、言えることとして、日本とアメリカの選挙の仕組みの違いの影響はあると思います。 まず、アメリカの人々の方が、選挙に触れる機会が多い、というのはがあります。 アメリカの場合、国政選挙に限っても大統領選(4年に1度)、下院選(2年に1度。片方は、大統領選と同時)、上院選(任期は6年ながら、2年ごとに3分の1ずつ改選)とかなり頻繁に選挙があります。 一方、日本の場合は、衆議院(任期4年)、参議院(任期6年で3年ごとに半分を改選)という形になります。 選挙の機会が多い、ということは、それだけ、何らかの形で話題になる可能性が高い、と言えるでしょう。 それから、アメリカ人の先生が言う「若い政治家」が、でやすい土壌がアメリカにはある、というのも大きいと思います。 それは、アメリカ人の方が政治に関心がある、とかそういうのではなく、選挙システムとしての問題です。 日本の場合、衆議院でも参議院でも、出馬するのに、まず、供託金というお金を選挙管理委員会に払う必要があります。選挙区に出馬するのに、日本では300万円を払わなければなりません。そして、そのお金は、得票率の10%以上を取らなければ没収されてしまい、その他に、事務所を開くとか、運動員を雇うとかの金が掛かります。そのため、衆議院では25歳以上から出馬可能ですが、25歳で出馬するのは、実質的に殆ど無理である、と言えるでしょう(そんなにお金を持っている25歳以上は殆どいません) 結局、出馬するのは、ある程度、お金に余裕のある中高年以上になってしまいがちです(もしくは、親が政治家などという特別な人) 身近に感じられない、ということが起こり得ます。 一方、アメリカでは、このような供託金というのもは必要ありません。勿論、選挙運動などの費用は掛かりますが、日本と比べれば、出馬するだけなら、かなり気楽に出馬できます。友人、先輩といった、身近な人が選挙に出馬する、となれば、それだけで選挙が身近に感じるでしょう。 最初にも書きましたが、投票率など(単純比較は出来ないにせよ)を見ると、必ずしも、アメリカ人が日本人より、政治に関心を持っている、という風には言い切れないのでは、という疑問がわきます。 ただ、その上で、選挙システムの違いから、選挙をより身近に感じるような部分はあるのだろう、という風に思います。

zn011
質問者

お礼

回答ありがとうございます!! どんぴしゃです!! 確かに、投票率でみたらそんなに変わらなかったから、私も半信半疑だったんです。 選挙が頻繁に行われることで、身近に感じられるようになることと、 選挙資金のお話がすごく納得できました。 もっと勉強しますw

  • nourider
  • ベストアンサー率19% (396/2083)
回答No.4

政治への無関心は先進国共通の問題です。 日本の若者が特に顕著というほどではないとおもいます。 その辺の告発は「大いなる陰謀」という映画を見ればわかると思います。 これは日本でのタイトルが変なのでよくわかりませんが、政治への無関心への警告を監督が訴える映画です。 その他に日本特有の問題として「源泉徴収制度」があります。日本のサラリーマンや給与所得者はあたりまえのように給料から税金を引かれています、これは国際的には非常に珍しい制度で、昭和12年に長引く日中戦争で増え続ける戦費を調達するために始まりました。この制度は国民の納税感覚を麻痺させ、政治への関心を薄める副作用があり、戦後日本の制度を調査に来たアメリカのシャープ博士の勧告により、戦後早い時期に撤廃されるべきだとされていましたが、日本の大蔵省は断固として拒否。また納税制度を多岐複雑にすることによって、確定申告を複雑に見えるようにし、「ほら、確定申告しなきゃいけないなんていやでしょ?」という無言の圧力をかけ続けていました。 日本のサラリーマンの3割、派遣労働者の5割は自分で修正申告すれば税金が返って来ると言われていますが、当然払いすぎた税金を当局が向こうから返してくれることはありません。 これはお上の、「民には知らしむべからず」という基本姿勢にはとても都合がいいのです。

zn011
質問者

お礼

回答ありがとうございました!! 「大いなる陰謀」ぜひ見ます! 以前、好奇心で両親の源泉徴収票をこっそり見たことはあるのですが、なんの紙なのかよくわからなかったので、、、nouriderさんの説明でちゃんと源泉徴収制度の勉強をしたほうがいいな、と感じました。 “源泉徴収の適用によって政治への関心が薄まる”ことが、とても気になりました。

回答No.3

日本では政治教育が学校でされていないからではないでしょうか?政治、歴史、社会といった科目に限りませんが、私たちが社会の主権者として学び成長するためではなく、受験の暗記物としてしか教科書を紐解かず、教師もそれに終始している状況では、政治や社会に関心が向く青年は少ないのではないでしょうか?  私がこどもだった30年位まえは、まだまだ、「戦争は絶対にいけない」「一人ひとりを大事にする」というような先生がたくさんいました。ところが、教育現場に国家が平気で介入する、教師をがんじがらめに支配し、物言わぬ教師ばかり作るといった状況が続き、児童生徒とともに悩み成長するという教師が極端に少なくなっていることが反映していると思いますが如何なものでしょう?

zn011
質問者

お礼

回答ありがとうございます!! 私は運がよくて、私が習った先生たちはちゃんと教えてくれたんですが、やっぱり教育現場に国家が介入して、がんじがらめな状態になる教師っているんでしょうね。なんか、ほんと恐ろしいです。 海外では政治教育がなされているのかどうか調べてみたくなりました!

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.2

外国は権利は取るもの。 日本は権利は預かるもの。 預かるからこそ返す。 骨になっても返すでしょう? 教科書的には大政奉還。他には時代劇。歴史物。 預かると言う言葉が良く出てきます。

zn011
質問者

お礼

回答ありがとうございます!! なるほどなぁ、と思いました。 日本の選挙のしくみは、日本人に合ってるんですね! “日本は権利は預かるもの。”で、思い出したんですけど… 高校の時に、“頂戴する”ことは、“支配される”ことでもある…みたいなことを書いた本を私も読んだことがあります。 きっと、調和を大事にする日本人だからこそ“預かる”でとどめるのかなぁ、、って思いました。

  • g-mani
  • ベストアンサー率33% (37/112)
回答No.1

選挙権の仕組みにも問題があると聞いたことが有ります。 アメリカは権利を自らの意思で取りにいくのに対して、 日本は政府から選挙権が配られる。 アメリカでは選挙権は投票すると登録してから与えられますが、 日本では選挙まじかになると投票権が郵便で送られてきますよね? その辺りの違いから選挙は自分で行使する権利なんだっという意識が日本人は薄いのではないか?と聞いたことがあります。 以上ご参考になれば幸いです。

zn011
質問者

お礼

回答ありがとうございます!! アメリカと日本の選挙の仕組みって逆なんですね!初めて知りました!! やはりそういうところからも心構えが変わってくるのでしょうね。