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高校まで義務教育じゃない理由

僕は、一生の人生の中で、受験勉強する機会は、大学受験のみで良いと思います。 更に大学進学に興味のない人の進路は、専門学校か就職かの2択で良いと思います。 もちろんそれは18歳までの高校3年生まで義務教育化させてですが。 そもそも何故、高校を受ける時点で受験勉強をする必要があるのでしょうか? 高校も小学校や中学校のように、無償で入試も無しで、高等教育を受けさすべきだと思います。 私立高校を廃止にして。 塾もなくし、大学受験のためだけの予備校だけで充分だと思います。 こんな事を書いてる僕をおかしいと思う人が大半でしょう。 でも、僕からしてみたら、今の日本の教育制度こそおかしいと思います。 学力が低下するとか反論する人はいるでしょうが、そんなのは大学に行く意志のある人だけで集計をとれば良いと思います 高校が、小学校や中学校のように義務教育じゃない理由を説明してくれませんか?

みんなの回答

回答No.15

若い年代で働きたい人もいるのではないでしょうか。

回答No.14

大人の判断ができないから小中学は義務教育で、勉強させているんではないんですか?

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.13

 で、君自身は何を言いたいの?。これだけならば、自分の成績不振を人のせいにしているようにしかみえないのだけれど、それをキチンと説明してくれるかな?。  もし高校受験を間近にひかえて慌てているだけのことでこの様に不満を述べているなら、高校に進学しても三年後に同じ問題が控えているだけの話で、ただ問題の先送りをしているだけじゃないかな?  それからね、日本の義務教育システムが他の外国と比較して優れている点は、昨年の末頃だったかに発表された「国際比較」で先進国の中でも「読解力」と「計算力」との面で優れた成果を発揮していることが裏付けされたのね。単に漢字が読み書きするだけや暗算ができるなんてことだけでなく、文章の理解の仕方や言語表現の仕方で何れも義務教育課程の成果が大人になっても反映されているということなの。  でもこれが高校まで引き上げられることになると、また別の問題が生じて「高校以後の進路選択」で大学進学を目指すにしても、文系の学問分野と理系の学問分野では受験科目も異なり、それに対応するためのカリキュラムも別の編成にになっているから、もし高校に進学した全員に以前の様な形を求めるとしたなら、僕が実際に受験した当時の70年代後半の様に文系志望であっても生物・地学・物理Bや化学Bそして数学もI・IIB・IIIを必修科目として勉強せねばならず、逆に理系志望であっても国語科の古典I乙や漢文そして社会科の地理B・世界史B・倫社・日本史・政経といった科目も勉強せねばならなくなるとの現実もあります。  僕らの世代にとっては全部の教科目を文理問わずに必修とすることは特別に問題もないけれど、質問者様や今の受験生の世代からすれば、それはちょっと待ってくれとクレームが付くはずですよね?。自分が将来に進みたい道を選ぶことに対しそれに必要なだけの科目を選択すれば良いとの現在のシステムに比べれば圧倒的に負担も増えます。義務教育化するということはそういう意味なのです。  僕らの年代からすれば、今の受験生は遙かに楽をしていると見えています。それだけに基礎学力の低下もありますが。  塾が繁盛しているのは、学校の授業ではコマ数が足りないとの現実もあります。一時は「ゆとり」と称して教科書で扱う内容を減らしたり、項目によっては簡略化するなどの乱暴な話もありましたが、その結果がもたらしたものは惨憺たる内容だけでした。円周率を3にするなどといった無謀極まりない発想に基づいて「数学嫌い」をなくそうとしたなら、それは大間違いです。「3.14………」と続く円周率を扱うならば、πに置き換えることが出来るよとの説明だけをすれば良いはずですが、それを簡略化することで理解を深める事ができると思いますか?  授業の時間数も少ない、その上で児童生徒の学力を向上させねばならない、その両方を同時に成り立たせねばならず、そのために理解度に不安のある子どもに対し見切り発車せねばならない辛さを君は理解できますか?。時間が許せば、じっくりと教えたい。理解できるまで教えたいが年間のスケジュールも決まっています。君たちが楽しみにしている体育祭や文化祭そして部活などの時間を全て削れば多少は軽減もされますが、それも許されないでしょう。  そうした「学校ではできない部分を補う」のが塾本来の姿です。そして学校だけでは補えないから、進学のために準備する場所も必要となってしまうことになります。それが現在の塾の姿です。本来の形から離れているからといっても、学校の教員にはそれを批判することもできないほどに塾の占める割合は大きくもなってしまい、必要悪との形にもならざるを得ないとの話になります。

回答No.12

それだと、分数から大学でやるFランクと変わらないな。                                                                                                                                                                 

  • philasts
  • ベストアンサー率40% (44/108)
回答No.11

「義務教育」とは「等質な教育を提供する」というのが目的なのですよ。 高校は普通科・理数科・英語科・その他実業科がありますが、それらを全否定してあなたは何がしたいのでしょうか。

  • poiuylkjh
  • ベストアンサー率15% (26/163)
回答No.10

高校ぐらいの年齢になると個々の学力差がかなり開いていて同じ授業を受けるのが 難しくなるっていうのもあると思います。 入試による選抜なしだと、数学で言えば九九でつまづいてる人と微分積分を理解している人が 同じ授業を受ける状態になってしまう、これではバランスが悪い。

noname#195874
noname#195874
回答No.9

まず義務教育でないというのは、お金がかかるからですよ。でも数年前から国は授業料無償化をしてますよね。 幼稚園もそうなるらしいですよ。 高校も幼稚園も国がお金を出すとはすごい事だと思います。 それを高校を義務教育にするとなるとこれ以上どこから財源を持ってくるのですか? 今の日本ではまだ無理だと思いますが、いつか高校が義務教育になるかもしれませんね。 そして高校入試の事ですが、やはり子供達にはそれぞれのレベルで勉強しないとついていけないと思うのです。 中学はすごくできる子供からお勉強嫌いな子までいますよね。 高校でレベルに合わせて入学していかないと、できない子は平均的な教えて方をされてもわからないわけだから、やはり高校数学でも簡単なものを教えてもらわないとついていけないと思うのです。 一方、お勉強得意な子は難しい問題にどんどんチャレンジしていかないと大学入試に受からないわけだから、レベルの高い学校に入る方がいいわけなのは、あなたもわかるはず。 入試によってレベル別に高校に子供達がわけられるから子供達のお勉強がよりスムーズになるから良いと思います。

noname#190551
noname#190551
回答No.8

お金の面で高校までの学費を国が保証すると言う意味での義務教育化には賛成です。 でも無試験で公立中学と同じようにただ地域(学区)で仕切って高校に行くというのは反対というか、無理があると思います。 なぜなら平等に教育を受けさせる機会を与えても個人には能力差というものがあります。 同じ授業を受けてるのにテストで100点とれる人と50点しかとれない人、さらには0点の人も出てしまいます。 塾へ行ってる人が100点とれるという単純な問題でもなく学力差というのはどうしても生じます。 それは当然のことでしょう。運動が得意な人、音楽や美術が得意な人もいれば勉強が得意な人もいるのです。 ですから高校からは習熟度別に振り分けたり、将来の希望進路に合わせてそれに見合った高校へ行くのが自然で合理的だと思いますよ。 現在は義務教育ではないけれど無償化になっていますから学ぶ意欲さえあれば高校へは行けますね。 そしてお金を出してもより特化した教育を受けたい人が私立高校へ行きます。 公立高校は平等で一律な教育サービスを提供する場ですが一方で自由教育という意味では実現が難しい部分があるのは否めません。 国や自治体の制度に縛られない私学の存在もまた必要と思います。 家庭に経済力がないから私学への道が断たれてしまうという人もいるでしょう。 そういう人のために私学支援金や奨学金制度もあります。 現実的には高校教育を義務化してしまう事は個人を縛ることになり却って不自由だと思います。 高校に行きたくない人の意志を無視して強制することにもなるでしょう。

回答No.7

税金で高校まで義務化できないのも理由のひとつかもしれませんね。

noname#196249
noname#196249
回答No.6

入試を廃止してしまってはレベル分けが難しくなってしまいます。 前提として義務教育でも留年制度を取り入れて、本人にあった教育を受けられるようにするのなら良いと思います。