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宇治拾遺物語の『検非違使忠明』いつ

宇治拾遺物語の『検非違使忠明』というお話、いつの話でしょうか? 書かれた年ではなく、物語の背景を教えてほしいです

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  • D-Gabacho
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回答No.2

https://roudokus.com/Uji/07-004.html こちらの記事の解説によれば、日本古典文学大系では検非違使忠明について、『権記』長徳三年(997年)五月二十四日条に、強盗追捕のため近江国に派遣されたと記されている「忠明」ではないかと推測しているそうです。 997年時点で検非違使として活躍していた「忠明」とすると、その人が「若かりける時」で、京の不良少年たちとけんかしていたころ、ということですから、おそらく、997年より10年以上前のことといった感じではないかと思います。

asatsuyu6122
質問者

お礼

URLの貼付まで、丁寧にありがとうございます。 忠明の情報までとても助かります。 BAとさせていただきます。 ご回答、ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (552/1074)
回答No.1

「検非違使」は816年頃に創設された役職です。舞台となっている清水寺は、枕草子や源氏物語にも言及され、その他の公家などの日記でも話題になっており、平安時代中期には有名なお寺になっていました。 宇治拾遺物語・今昔物語のおおもとになっているとも考えられる宇治大納言物語の成立が11世紀らしい、ということと、お話とはいえ「検非違使」が京童部に襲われていることから、時代設定としては10世紀の終わりから11世紀初めのことのようです。

asatsuyu6122
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございます。 検非違使の創設時期は初めて知りました。 ご回答ありがとうございました。

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