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戦前生まれの人の幼稚園、保育園

戦前生まれの人(昭和一桁生まれ)の保育園、幼稚園事情に関する質問です。 当時は今みたいに誰でも行く時代ではありませんでしたか? また、幼稚園に行く人保育園に行く人はどういう差がありましたか? 教えて下さい。

みんなの回答

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.3

文部省の所管で就学前教育を行う機関である幼稚園と、労働者のための子育て支援事業である託児所(現在の保育園・保育所)とでは事情が違います。 託児所に子どもを預けていたのは、両親ともに働かなければ生活できなかったり、母子家庭だったりする低所得層です。常設の託児所は都市部を中心に開設され、農村には春秋の農繁期のみ開かれる農繁期託児所がありました。とくに農繁期託児所(漁繁期託児所などほかの季節保育所全般を含む)は食糧増産の国策の一環として開設が推進されたこともあって戦前・戦中に急増し、日中戦争がはじまった昭和12年時点で全国の常設託児所数が885だったのに対し、農繁期託児所数は1万1447、太平洋戦争がはじまった昭和16年時点で常設託児所数が1718だったのに対し、農繁期託児所数は2万8357、昭和19年時点では常設託児所数2184に対し、農繁期託児所数5万320となっています。 幼稚園への就園は都市部の比較的裕福な家庭を中心に普及し、明治29年に0.9%だった5歳児の就園率は、昭和6年5.4%、昭和11年6.6%、昭和16年10.0%となっています。誰でも幼稚園に行くという時代ではありませんでしたが、都市部の住民にとっては、そこまでは特別なことではなくなっていたと思います。 <参考> レファレンス事例詳細「明治・大正・昭和初期における幼稚園就園率、小学校就学率の推移が知りたい」 https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000064796 戦時期における農繁期託児所の設置と活動 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/49783 戦前期石川県における保育施設の設立 : 幼稚園と託児所の設置状況を中心に https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/39458

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.2

昭和一桁生まれ所か昭和30年代生まれまで、幼稚園に行くのは 極少数で、お金持ちの、お坊ちゃま、お嬢様が行く所です。 保育園は無かったと記憶してます。三世代同居が多かったからです。 1964年東京オリンピック後に高度経済成長が始まり、共稼ぎ家庭が 増えて「鍵っ子」なるものが誕生した頃に、保育園が出来て来た と思っていますが記憶違いかも。 学校給食が無かったので、昼食弁当を持参出来ない家庭が 各クラスに数名は居ました、そんな時代ですから優良の幼稚園 なんて行かないのが当たり前でした、小学校に入学しても、 ハンデキャップは感じませんでしたね。 幼稚園なんぞ行かなくても、町内の子供達と喧嘩しながら遊んだ 方が心の強い子供が育つのではと思ってます。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11072)
回答No.1

洗濯機、テレビ、冷蔵庫、車、ガスコンロ 等が、普及しだしたのは、昭和の35年ごろからです。 それまでは、すべて人力。 ご飯を炊くための、材木、水なども、人力で家の中にもって入らないといけない時代です。 風呂など、沸かすのは大変です。 それぞれの家に有ったわけではありません。 道路なども整備されていなく、人力車が通ればよいくらいの道幅 田舎では、ほとんどが農業で暮らしていましたが、小作人がほとんど、貧乏でした。 幼稚園、保育園に行く人は、お金持ち、とても少数。 子供に食べさせることができないと、 子供をよそのお家に、子守として住まわせ、赤ちゃんなどの面倒をみさせていました。 裕福でも、みんな働いていた時代。 今のように家でじっとしている人は、ほとんどいません。 1960年以降に生まれた人には、想像できないと思われます。 戦後、日本は急成長をして、働くところが増え、裕福になってきたのです。