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以下のとおりお答えします。 >チェロキーのモヒカンと日本の曲げは関係あるのですか? ⇒両者間に直接の関係はなかったようですが、起源や目的には共通の要素がありそうです。 日本の曲げ(その小さいのが、丁髷〔ちょんまげ〕)の原型は奈良・平安時代からありましたが、武士の髪型として定着したのは江戸時代です。その直前の戦国時代には、武具、特に兜が改良されました。その結果、兜が頭に密着した(=より防御力が高まった)わけですが、同時に「頭が蒸れる」ようになってしまいました。その対処法として、側頭部の髪を剃り、中央部を束ねて頭頂部に盛り上げることによって「空白部(風通し)を確保」しました。つまり、遠因は戦闘の技術向上にあったわけですが、「狩猟や戦いのため」という、広義の意味ではモヒカン刈りにも多かれ少なかれ似たような側面があります。 すなわち、すでに紀元前4,5世紀のアメリカやヨーロッパ大陸の壁画などにモヒカン刈りの絵が描かれていますが、それは狩りで弓を射る際に側面の髪の毛が邪魔にならないようにそれを刈り込んだ証拠とされています。Wikiによれば、「アルゴンキン語族と呼ばれる北東部のインディアンたちは、一般的に弓を射る際に邪魔にならないよう、頭の両側を剃りあげていた」という。これは、現代(の未開部族)にも共通して存続しているようです。 また、同じ文献に「紀元前の時代から、戦士たちが相手を威嚇するためのモヒカン刈りにすることがあった。(…)紀元後では、インディアンのポーニー族の間ではモヒカン刈りが行われていた他、16世紀のコサックのホホール人もサイドを剃ってトップを伸ばして結ぶ髪型をしていた。第二次世界大戦中のアメリカ軍のGI(特に有名なものは第17空挺団)も敵を威嚇するためにモヒカン刈りをしていた。」とありました。 要約: ①チェロキーのモヒカンと日本の曲げの間に「直接の関係はなかった」と思われる。 ②モヒカン刈りには、「戦闘における優越性のため」という理由があったわけですが、これは、広義に取れば日本の曲げの由来と通底するものがあった、と解釈され得る。