武家にかぎらず、本貫の地を領するということは故郷に錦を飾るということですから、だれでも嬉しいことに違いありません。
漢の劉邦と戦った項羽も、「将軍になったのに故郷に帰らないなんて、錦を着て道を歩かない(家に引きこもる)ようなものだ」とそそのかされて行軍の途中で故郷に寄り道したくらいですから。
日本でも小田原にこだわったらしい大久保氏の例もあります。
小田原のように、参勤交代にも楽だし、気候も温和で米がたくさん採れるというような場所ならダレでも欲しがったでしょうが、一般の大名が「あそこが欲しい。ここはイヤだ」とか言えば幕府の命に従わないヤツとして睨まれたことでしょう。
戦国時代でもな幕命に逆らう気力をもつ武家はありませんでした。
特に德川幕府体制での長州毛利家と言えば、にっくき「外様大名」です。
江戸の目と鼻の先の相模に領地を与えて外様大名を置くなんてことは、キーウの隣町をロシア領にするようなものですから、働きかけなどしたって幕府が認めるわけがないです。
むしろ「江戸攻撃の意思アリ」と認定される危険があるので、幕府に対して「相模への移動を」と働きかけるなどしたはずがありません。