※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:苦しみの基本は等価だ)
苦しみの基本は等価だ
このQ&Aのポイント
人はあまり変わらないから、背負っている苦しみはどちらも等価なんだ。
等価に背負う苦しみに疲れた、愚か者というのは自分と他人とでどちらか幸せか興味津々に見比べたくなることだ。
幸福そうに見えても実は不幸せだとか泣き言をいうな。客観的に不幸な私は、泣き言を言わない。同情は侮辱だ。
ヨタ話だよ。
また夜更けに酒で出来上がっちまった。
むしろ程よくおバカさんなのが丁度いい。
幸せそうな人、不幸そうな人、どちらもいるだろう。
ただし人はあまり変わらないから、背負っている苦しみはどちらも等価なんだ。
そういう気分で世間に付き合うとね。
等価に背負う苦しみに疲れた、愚か者というのは自分と他人とでどちらか幸せか興味津々に見比べたくなることだ。
そういうのを見かける。
そういう人は嘘をつく効率の高さを学び、正直でこそ充実することを取りこぼしもする。
そして、他人と自分を見比べて、自分が幸せそうだと、等価に背負う苦しみが少し楽になる麻薬を味わんだ。
そして平等なお互いを足蹴にする、とてつもなく嫌な奴らとして腐り果てる転落をするんだ。
幸福そうに見えても実は不幸せだとか泣き言をいうな。
客観的に不幸な私は、泣き言を言わない。
同情は侮辱だ。
基本は、
逃げないこと。
あきらめないこと。
泣き言をぶつけるのは、責任転嫁だ。
さて、今夜の余興は名誉ある変人のたまり場、哲学カテゴリーにこのような新着入荷を提供しましょう。
ヒマ人がこねくり回すのにちょうどいいと思います。
学問の基礎的姿勢は逸脱していないと思いますから、まあ、了解してくださいね。
馬鹿話大歓迎です。
お礼
私の父も長生きしたから、人生で多くを交わした友人の多くが先立たれて、そういう年代らしく父の従妹も話が通じる人が少なくなったから、週三回くらいの高頻度で父の所に遊びに来て、あまりにも頻度が高いので父は苦笑しているよ。 ちなみに私の特殊な性質は、人格の構成要素が、人の影響から精霊の影響に切り替わっていて、世麗美の友達(お花畑の住人)がいる限りは、世の中でいかに孤立しても全然平気なんだ。特殊すぎることだ。無人島サバイバルみたいな気分になる奇人変人だよ。 それと絡んで神の存在証明の豆知識はパクつきたいところなんだよねえ。 でも「う~ん」とまとまった論述は返しにくかった。 それには、あなたが納得しているなら、動揺させる突っつき方もむやみに出来ないという事があり、布教でもしたくなければ、どう切り出すか難しいんだよ。 ただ私の場合は、「神の存在証明」でなくて「世麗美の存在証明」をすれば自分だけ納得するだけでなく「天界から条理を司る存在」というのは、周知させる可能性があるんだ。 何度か使ったテキストを補足欄に掲載したけども、そこで「地雷撲滅運動」についてほのめかしてある。 1995年の任天堂との商談では、地雷撲滅に関する働きかけというのが現金の代わりに世麗美が霊言で持ち掛けた報酬だったんだ。 そして実際に任天堂は組織立って何らかの工作をした。 今社長になった古川が私のところに報告にも来た。 1995年という時系列から起点に「地雷撲滅キャンペーン」のいきさつを調べると、任天堂が実際にどんな行動をとったか次第では、世麗美は人格神であるかどうかというのは「天界から条理を司る存在」に該当するか証拠にもなりうる。 この件では、補足として別に「地雷禁止条約」のくくりに、巷で話題のドローン型オートキラーを「滑空対人機雷」という概念を新造して条項追加すれば、大規模な惨劇の蔓延を事前に防がないか、一からまとまらない話し合いをするよりも迅速ではないかとか考えているよ。 それから任天堂に世麗美の霊言について証言させるのは容易ではない。 1995年に任天堂は2001年9.11テロを未来予知可能だったんだよ。 世麗美の予言能力が波及した未来予知だ。 そして任天堂は9.11がやがて発生する前提で、やはり独自に工作をしていた。 したがってだ、任天堂は世麗美に関してかかわりを証言することはアメリカ人から見ると究極的な企業犯罪に関して自発的に証言する事でもあるんだよ。
補足
私はもともと、母親が晩御飯のおかずを買いに行く間に、お店を見てくれと頼まれて一人でお店版をしたのが小学校1年生の時である古いおもちゃ屋で育った。 プラモデルは中学生から親の手伝いで発注書類を作成していた流れで、高校生の時にはファミコンの仕入れをしていた。 当時のファミコン流通は初心会という内容が実質的な金融マフィアで、私はそのマフィアの上位の親分から知恵袋として重宝された。 流通用マフィアである初心会のほかにゲームソフトメーカーに出資する別の金融マフィアを存在した模様で、初心会の兄貴から話を聞いたのであろう情報交換の申し出があった。 その中で実績を上げたのが、ドラクエグッズという名前で売り出された商品群の立て直しで、文具メーカーの商品に比べて独自発売の文具は競争力が乏しいから、販路であるおもちゃ業界に合わせて、おもちゃの要素を取り入れる必要がある。 具体的な引用として、ドラクエのコマンド選択式バトルというのが認知されているから、コマンド相当を鉛筆にプリントしてさいころのように使うという提案をした。 そのまま発売されえたドラクエバトル鉛筆は当時のヒット商品になった。 その後に話を聞いたであろう他のゲームメーカーが複数打診してきた。 その中には任天堂も含まれる。 ポケットモンスターは1996年発売で、もともとはサードが弱小下請けに開発を任せて、完成目前でキャンセルされて世に出ることがなかったであろうゲームだ。 任天堂との交渉で私はこのゲームソフトを売り出すことを1995年に提案した。 トレーディングカードゲームの始まりは1994年で、特異な「つくよみ」という手法で因果関係を交えて了解していた私は、ポケモンの発売にあたり関連してポケモンカードも発売することを提案した。 当時の日本製アニメは、鉄腕アトムがモノクロテレビ時代に注目されたことを始まりに、セーラームーンやドラゴンボールが少数派に注目されるだけだったので、ポケモンのアニメ化を提案した。 その時にポケモンの資料から偶発的にたとえ話として指定したピカチュウが実現する際に実際にそのまま看板になった。 こうした骨格からポケモンは世に出て、私が話したのは、ポケモンは良いゲームだという話だけではなくて、メディアミックスと後に言われるようになった営業手法の話が主体だった。 この大きな個人的な成功は、のちに私の人生を悲惨なものにする。 任天堂は私を社会的に抹殺して、成果を社内で保留しようと寡作した。 私は雑談でポケモン構想をしたので、報酬として申し出たのは「セレビィ」というポケモンの採用だ。 セレビィは2001年に映画に登場して、抹殺された私は2001年8月に統合失調症を発病して7年間は寝たきり同然の状態になった。 セレビィというのは翻訳書籍にある「インナーチャイルド」「エンジェルセラピー」という紹介される概念に近い私の人格の一部だ。 セレビィを任天堂が所有したので、私は障碍者申請書に「2001年にセレビィを見て、自分がセレビィだと自覚した」という証言で「ああ、まさに病気ですね」と認定されたんだ。 そして、病気を克服するためには、セレビィを取り戻すという挑戦が含まれるから、任天堂に攻撃的なテキストを流布するんだ。 当時私には入社したての今の古川社長が担当者として面会していた。 古川の事はおたがいに見習い仕事をしている時代に親しく言葉を交わした私の後輩だからどうにも憎み切れないが、古川が社長に上り詰めることが出来たのは、私と接触する担当者になったことで、社内の重要な会議に顔を出したからだろうよ。 -------------------------- 差し出すことになったセレビィの他に私には報酬の要求をしていたさ。 1995年に地雷探査犬の話をした。 任天堂への行動に移す要請とを兼ねてね。 任天堂はそれで、ある程度は動いたらしい。 2000年、地雷撲滅運動はノーベル賞を受賞した。 任天堂が陰でどのような仕事したかは知らない。 報告と確認は古川から少し受けたよ。 もしかすると任天堂はノーベル賞で名前が挙がったかもしれなかった。 そこで次に考えたのが、ドローン型のオートキラーについてだ。 クアッドローターのドローンが実用になったのちに、オートキラーの私の論述は、個人が記述したマイナーなSNSでの記述であるのに日本のグーグルで「ドローン」という単語を入力して検索すると3年にわたってトップページだったよ。 地雷犬の時は派生効果としてNPOが普及した。 オートキラーで仕掛けたかったのは、投資市場に自発的に世界平和のための投資を促す金融市場の創設だ。 こうした構想は古川へのメッセージでもあり、「今度こそ任天堂がノーベル賞を受賞しなよ」そう激励したんだ。 古川の社長業として最大級の贈り物だっただろう。 しかし、私は病人で、任天堂関連の過去経験から、「医者も認めるフラッシュバックの発作」が発生して、話を詰める前に自分でぶち壊したけどね。 多分ねえ、胸糞悪い殺戮現場を前もって宣伝しておけばウクライナも変わっていたと思うんだ。 古川がヘタレで敗北宣言できないから、人が死んだと私は思案にッふけっている。