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大好きな祖父が亡くなって一周忌を迎えますが辛いです

こんにちわ。27歳女です。 みなさんは大好きな人が亡くなって1年が経つ頃、その人の死と向き合うことはできますか? 私は未だに思い出すと辛いです。 今月、一周忌を迎えますが、辛くて過呼吸になってしまいます。お坊さんが話していたことで、周忌というのは故人が安心して天国で過ごせられるように祈る行為だと言われました。 けれど、私は祖父が生前、幸せだったのだろうか?とか仕事辞めてもっと一緒にいるべきだったのではないかとか、後悔が多く、自責をし続けてしまいます。亡くなった直後は、元々仕事もうまくいっていなく、辛かった上にあったことだったため、適応障害になり仕事を退職し、半年家から出れませんでした。亡くなった人は悲しんでほしくないと思っている。と言われたことがありますが、どうしても自責をしてしまいます。 祖父が亡くなったとき、親戚は悲しんでいても、私みたいに過呼吸にはなっていませんでした。私はおかしいのでしょうか? お母さんにも、そんなに辛いなら出なくてもいいよ?と言われました。 大好きな人が亡くなっても私みたいに過呼吸になる人はいないのでしょうか? まだ向き合えないのはおかしいことなのでしょうか? こんな状態でも、一周忌には出たいです。 出なかったら祖父を悲しんでしまうような気がするので。

みんなの回答

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2724/12278)
回答No.6

>大好きな人が亡くなっても私みたいに過呼吸になる人はいないのでしょうか? とっても少ないですね。人間は便利にできているので、リミットに近づくとどこかで何か自制が働いて、調子を崩さないようにできています。ですから、悲しみが深くても過呼吸には滅多になりません。過呼吸になるのは人として、とってもよろしくない状態であるという認識は持った方がいいです。 それだけ悲しいのはあなたの中で、整理がつかないからでしょう。どんな思いであれ、後悔ばかりしているといういい状態ではないという事。それをおじいさんが見て、喜ぶだろうと思うなら、思いに浸っていてください。悲しむと思うなら、早々に復活するのがあなたの一番やるべき事ではないでしょうか。 一周忌に出たい気持ちは解りますが、一周忌に出ないと追悼できない訳じゃない事は感じてください。いつでもどこでもあなたが思ってい乗れば、それがおじいさんへの追悼になります。いつでもどこでもどんな形でも、あなたに思いがあれば、届くのですよ。ですから、今あなたがどうなるのがおじいさんの喜びになるのか、それを考えて行動するのが大事だと思います。

  • mekiyan
  • ベストアンサー率21% (865/4001)
回答No.5

46年近く一緒に新家庭を築いてきた妻に、先に逝かれてしまいました。二人の子供も結婚し独立で二人暮らし。 先に逝かれましたが、私の体の中で妻は以前として生きています。再婚どころか同棲する気もまったくなしで、6年8ヶ月がたってしまいました。 それでも、最初の一年がたつまでは、やはり、精神的に厳しかったですな。確実に妻が私の体の中で生きていると感じ始めてからは、周りの皆様に感謝しながら、思いっきり楽しめるようになっています。

  • Granpa1969
  • ベストアンサー率22% (619/2744)
回答No.4

気にしないようにとか意識すれば余計シンドくなるのが人情。 なので、敢えて深掘りするために質問者様に問います。 >私は祖父が生前<中略>自責をし続けてしまいます。 では、まず最初に。 具体的にどうやったら一緒の時間を増やせたと思いますか? 出来もしない事を並べ立てて「たられば」を考えていませんか? 次に。 百歩譲ってそれを実行できたとして、故人は喜んだと思いますか? そんなことをしたら質問者さまの行く末を案じて逆に心配や迷惑を増長させてしまい、結果不幸な最期をもたらすことになったんちゃいますか? 質問者さまが取れたはずの最善な行動って何だったのか、今一度考えてみて下さい。 案外何も出来ないもんです。 そこまでいけば、多少は楽になるでしょう。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2381/15945)
回答No.3

亡くなったら生きていた時のことを考えても仕方がないし、生きてる人間が、することは亡くなった人が1日でも早く、行かなければならない所に行けるように、こちらから協力することで、その為に供養をするってことだと思います。 親友を(まだ彼女の子は小学生でした)早くに亡くしてますが、供養が彼女の為と思ってます。 知り合いの、お子さんは小学生で亡くなってますが、親御さんは,それはもう、見てられないぐらいの状態でしたが、親御さんも私達も供養することで、お子さんのことを思っています。 若くして亡くなった方は、それはもう無念だったと思います。それを生きてる人間が、どうのこうのと言っても仕方ないし、もっとこうすれば 良かったと、いくら考えても、その時に帰るわけには、いきません。 じゃあ、どうするか、供養する以外、無いと思いますし、供養は残された人も癒すと言います。

回答No.2

人の死に対する思いは人それぞれです。 過呼吸になるほど辛いのはおかしいことではないと思います。 自責を感じている限り、辛いと思うと思います。 私だったらですが、 肉体の死は受け入れるしかありませんが、 魂(意識)は生き続けているととらえ、 今は見る、感じることができませんが、 日々線香をあげる、手を合わせるなどして想いを伝えていきます。 いつか、何かしら魂を感じることがあると信じて。 前向きに受け入れる努力をお勧めします。 一周忌に出なかったら祖父が悲しむ、ではなく、 一周忌に今よりも少しでも元気になって出ることで 祖父は喜んでくれる、 かと。

回答No.1

わたしは、 まったくの逆でしたね。 まるで、映画かテレビの ワンシーンでも見てるかのごとく、 お葬式のシーンが今でも 蘇ります。 大好きな親戚のお兄ちゃんが。 と。 そのお兄ちゃんは、私が赤ちゃんの 時から、私の目の前にいて優しそうに私を見ている写真があって。 たぶん、中学2年生ぐらいの お兄ちゃん。 私が小学生3年ぐらいに 亡くなってしまい。お兄ちゃんは、 大学四年生だと思いますね。 いつも目の前にいたお兄ちゃんが。 お葬式も夢でも見てるかのように、 あれから、月日が過ぎて、 今もあれは現実なのかさえ、 人のタヒと言うものに初めて 関わったあの日、涙も言葉も何一つ 理解出来ずにただ、ただ、 どこか遠くで生まれ変わって 元気にしている感じだけが、今も 当時のイメージとして残ってます。 ただ、すでにお兄ちゃんより 歳をとってしまっても、今だに そのお兄ちゃんは、常に私より 年上に見えて目を閉じると いつも笑ってるお兄ちゃんがいます。ふと、思ったのですが、 亡くなった人って、生きてる人の 中で、生きているのではないかな? と思ったりしております。 ほら、身体はもう無いから、 声すら出せないが、目を閉じると  その方に会える感じが。。 頑張れよ!って言ってる気が 致します。 たぶん、あなたのお祖父さんも、 あなたの中で生きてますから、 心配しないで頑張ってくださいませ♪

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