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名前につく"藤"の意味
教えてください。 加藤 工藤 佐藤 斎藤 須藤 … いろいろ"藤" がつく苗字は多いですが、 この"藤"は、植物の藤のことなんでしょうか? それとも他の意味があるんでしょうか?
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藤原氏の藤です。 奈良・平安時代以降の貴族の多くは藤原氏で、武士も藤原氏が多くいます。 加藤は加賀の国(石川県の一部)にいた藤原氏の子孫、 工藤は木工寮という役所の役人だった藤原氏の子孫、などなど。
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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「佐藤」や「加藤」など「藤」が付く苗字の「藤」は元々「藤原」の「藤」なのです。 「藤原氏」が増えて区別するために役職や領地の略称に「籐」を付けました。 https://style.nikkei.com/article/DGXBZO18679650S0A121C1000000 その「藤原」はどこから…と言うと、地名です。 奈良県橿原市高殿町付近だそうです。 中臣鎌足が「藤原(地名)」で生まれたから「藤原姓」を賜ったそうです。 一時、その辺に都を造設し、近代になってから「藤原京」と呼ぶようになりました。 地名の由来までは今となっては不明です。 実際に「藤」が生えていたのか、元々「不死原」や「富士原」など別の漢字だったのか、「ふじわら」をただ単に当て字にしたのか…
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- oska2
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>この"藤"は、植物の藤のことなんでしょうか? 多くは、植物の藤ですね。 >それとも他の意味があるんでしょうか? 特段、意味はありません。 ただ、「由緒・先祖を良く思いたい人達」によっては意味があります。 藤原の総本家は「藤原鎌足」なんですね。 百済が新羅に攻められ時に、中大兄皇子(後の天智天皇)に仕えていた中臣鎌足は「百済援軍派兵反対を主張する蘇我一族を憎んでいた」のです。 ※百済から日本に永住していたのが、百済王子の扶余豐璋=中臣鎌足。 そこで、「味方になったら、大王(後の天皇)にしてあげますよ」と中大兄皇子を懐柔。 あとは、歴史の通り。 即位した天智大王(天皇)は、喜んで「中臣鎌足に藤原姓を与えた」のです。 この後は、藤原一族が政治権力を独占します。 まぁ、藤原一族もどんどん子孫が増えますよね。 となると、藤原の分家が出来ます。 これが、藤が付く姓の誕生らしいです。 〇藤家。藤〇家・・・。 ただ、ただ現実的に言うと本家筋の藤原一族は存在しません。 明治期に断絶しています。 ※藤原家から分離し、別姓を名乗っている家系は残っています。 単純に、「藤」は日本人に愛着がある植物ですから「明治期に藤姓を名乗った者が多い」のが現実です。
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https://name.sijisuru.com/Columns/fujiname これ見てみたんですけど、最後に 藤(ふじ) → 不死(ふし) 藤は実りの季節 不死の読み方に近いから のようなことが書いてありました。
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- 4500rpm
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藤原氏の流れです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F 藤原氏の祖である中臣鎌足は、中大兄皇子(天智天皇)とともに乙巳の変から大化の改新に至る諸改革に携わった。その後功績を称えられ、死の直前に天智天皇から藤原朝臣姓を与えられたとされる。藤原の名は鎌足の生地・大和国高市郡藤原(のちの藤原京地帯、現 橿原市)にちなむ。 <例> 加藤:加賀国にいる藤原氏 伊藤:伊勢国にいる藤原氏
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